この記事は2022年1月13日に「テレ東プラス」で公開された「他とは違うスーパー~紀ノ国屋の独自戦略~:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。
目次
1. 高級スーパーの代名詞 ~上質の食材とオリジナル商品
東京都港区。青山通りの「Aoビル」の中にあるスーパー、紀ノ国屋。エスカレーターを下って行くと、スーパーというよりデパ地下のような整然とした売り場が現れる。
並んでいる商品は普通のスーパーとはかなり違う。上質なものしか置いていないのだ。
たとえば青森県産のリンゴ「あいかの香り」(2個842円)。蜜が入っていて高い糖度が特徴だ。市場にはあまり出回らず、幻のリンゴと呼ばれている。小さなカップに入った長野県産いちご「彩夏」(971円)は信州・松本の農家が作った珍しい夏のいちご。糖度が高く甘さが自慢だ。
バックヤードではスタッフがいちごを1つひとつチェックしながら詰めていたが、そのうちの1個を弾いた。「長時間売り場に置いたら傷みそうなものは、はじくようにしてます」(青果物課・大谷裕里)という。わずかな傷みでも取り除いてしまう。ここまでして「上質」を届けている。
肉売り場も驚きだ。見事なサシの入った牛リブロースは100gで2,646円。「カレーやシチューにどうぞ」という肉は100gで1,306円。安いはずの切り落としも100gで1,080円だ。女性客が注文していたのは山形牛の「すき焼き用肩ロース」200g(4,752円)だった。
高いだけの理由がある。国産の黒毛和牛を1頭買いし、さばいて販売しているのだ。
「パーツごとに仕入れると自分たちの好みのものを選べない。いいものを1頭で販売しています」(製造部・神田久夫)
このやり方だから、普通なら星付きレストランに卸すようなランクの肉を販売できる。高く感じる値段も、質を考えれば安いくらいなのだという。
高級スーパーの代名詞となった紀ノ国屋は、スーパーマーケットの最先端を走り続けてきた店でもある。
創業は1953年。客が自分で商品をカゴに入れる日本初のセルフサービス方式のスーパーだった。ショッピングカートの導入も日本初。そして今ではコンビニやスーパー各社が作っているオリジナル商品、いわゆるプライベートブランドも紀ノ国屋が先駆けだった。店内の至るところにオリジナル商品が並んでおり、その数1,200種類以上に上る。
売れ筋ロングセラーのベスト・スリーは以下の商品だ。
第3位は1978年発売の「カスタードプリン」(258円)。濃厚な卵を使った今では珍しい、しっかりしたプリンだ。昔ながらの味わいに根強いファンが付いている。
第2位は1959年発売の「アップルパイ」(864円)。中にはゴロッとしたリンゴがぎっしり入っている。変わることのない手作りのおいしさが時代を超えて愛されてきた。
第1位の商品は、大手パンメーカーの商品は見当たらない、ほとんどがオリジナル商品のパン売り場にあった。1958年から作り続けている「イギリスパン」(6枚切り399円)だ。最大の特徴は割った時に立ち上がる芳醇な香り。その理由はビール製造でも使われるホップにある。紀ノ国屋は伝統製法にこだわり、イースト菌ではなくホップで生地を発酵。こうしてほのかな酸味とコクのある味わいを生みだしている。
2. 駅ナカ進出で大変身 ~驚きのお値打ち戦略
高級スーパーのポジションを築いてきた紀ノ国屋は今、大きく生まれかわっている。
転換点は2010年のJR東日本による買収。紀ノ国屋はグループの一員となった。そして鉄道会社の強みを生かす「駅ナカ」への出店戦略が始まる。当時、紀ノ国屋は青山店のような路面店を、首都圏を中心に5店舗展開していたが、2010年以降、駅や駅ビルに進出。現在はそうした駅ナカ店だけで20店舗になっている。
その1つ、東京駅の紀ノ国屋アントレグランスタ丸の内店を見てみると、高級スーパーの路面店とはまったく違う品ぞろえで明確な戦略を打ち出している。
駅ナカ戦略[1] 弁当、総菜がワンコイン
駅ナカ店では、ランチにぴったりの弁当や惣菜を充実させている。「1日の1/3の緑黄色野菜弁当」(500円)は7種類の野菜に唐揚げ付き。ご飯は16穀米とヘルシーだ。「黒毛和牛と九条ネギの肉そば」(540円)には、1頭買いした黒毛和牛の切り落としが入っている。
ベストセラーのアップルパイも1人用サイズの「シナモンアップル」(280円)に。本店で守ってきた「上質さ」を日常に落とし込んだのだ。
駅ナカ戦略[1] オリジナルのお菓子
会社で食べるおやつを買いに来る女性客がいる。他では買えないお菓子がそろっているからだ。こうしたお菓子のほとんどは駅ナカ用に開発された。「ラー油せんべい」(398円)は2017年の発売から4年連続でお菓子部門売り上げナンバーワンとなった人気商品。「あんこおかき」(12個入り669円)も駅ナカから生まれたヒット商品。原料の餅米や小豆は国産品。「甘みと塩味のバランスが絶妙」と評判だ。
駅ナカで売る新しいお菓子の開発会議にカメラが入った。製造を行う食品メーカーが持参していたのは丸い揚げ菓子。カレー味が付いている。中にはピスタチオが1個。意外な組み合わせの商品だ。
「駅ナカにはコンビニエンスストアさんがあります。『そこにはないものを作ろう』という発想で商品開発をやっています」(副社長・髙橋一実)
こうして他所にはない商品を生み出し続けているのだ。
駅ナカ戦略[1] 気軽なギフト、手土産
紀ノ国屋のオリジナル商品は、気軽なギフトや手土産として人気が高い。
女性客が「先輩に渡す」といって購入していたのは「愛媛産いよかんバター」(1,080円)。国産バターと愛媛県産のいよかんを合わせたフルーティーなオリジナル商品だ。「ちょっと高級感があっておしゃれでプレゼントにいいかな」と、選んだという。
ギフトで人気なのは「贅沢な卵かけトリュフしょうゆ」(1,080円)だ。白醤油にオリーブオイルを合わせ、高級珍味の黒トリュフで香りづけ。卵かけ御飯がご馳走に変わる。
こうした商品はあらかじめ一部をラッピングして販売。時間のない客がギフトとしてすぐに買えるようにしている。
高級路線の路面店と日常使いの駅ナカ店。この戦略を打ち出した5年前から売り上げは右肩上がりになり、去年は過去最高の226億円をたたき出した。
新生・紀ノ国屋を率いるのはJRから出向でやってきた社長の富田勝己(52歳)は、「ある意味、2刀流的な攻めができるようになってきた。そうすることによって10年後、20年後の紀ノ国屋のブランドを作っていける」と語っている。
3. 巨大企業の買収 〜「高級路線の呪縛」とは?
11月、名古屋市の「名鉄百貨店」の中に東海地方初となる紀ノ国屋がオープンした。
開店初日、長い行列を生んだ商品が紀ノ国屋のエコバッグ。ロゴが入ったおなじみのデザインだが、色や形が違うものなど100種類を超える。名鉄百貨店の前にある巨大マネキン、ナナちゃん柄の名古屋限定バッグは凄まじい人気で、売り切れ続出となっていた。
順風満帆の紀ノ国屋だが、過去には消滅寸前まで追い込まれた危機があった。
紀ノ国屋は創業家一族が3代で大きくした会社だ。創業は1910年。増井浅次郎が東京・青山に開いた1軒の果物店だった。それをスーパーマーケットに変えたのが2代目の増井徳男だ。
紀ノ国屋1号店のモデルは東京・代々木にあったアメリカ軍の宿舎、ワシントンハイツの中にあったスーパーマーケット。食料品を卸しに行った徳男は、その新しいスタイルに魅せられた。そして1953年、日本初となるセルフ方式のスーパー、紀ノ国屋をオープンさせた。
3代目は、現在は会社を離れた増井徳太郎。高級スーパーとしての絶頂期は80年代、徳太郎の時代だった。
「当時はまだ独立店というか、個人経営のスーパーマーケットが力をもって特色を出していた時代でした」(増井)
しかし、90年代に入ると大手のスーパーが台頭。客の奪い合いになり、安売りの競争が激化する。紀ノ国屋は昔からの客を大事にし、高級路線を続けたが、デフレの波をかぶり2008年から2年連続で赤字に転落。倒産の危機に直面し、徳太郎は会社の身売りを決断する。2010年、JR東日本の傘下に入り、自分は会社を去った。
「ある時点で成長が止まって後継者もいないという時に、『紀ノ国屋』という屋号を保っていただけると同時に、働いている皆も受け入れていただけると、JRさんから声をかけていただきました」(増井)
一方、JRは運賃収入が減少し、駅ナカビジネスを強化していたタイミングだった。
「一般的なスーパーだと競争になってしまう。より駅の価値を高めるという意味では、ブランド力、商品力がある会社と組むほうが、都合がよかった。双方にとってよかったのではないかと思います」(富田)
買収によって紀ノ国屋は倒産の危機を脱したが、本当の試練はここからだった。
買収が行われた2010年の12月、早速、東京駅に駅ナカ店をオープンさせた。そこには青山の高級スーパーをそのままもってきたかのような高額商品と内装が。新幹線の利用客も来るはずと、客単価は青山の店より高い4,000円から6,000円を見込んだ。
だが、いざオープンすると、客は入るものの買ってくれない。売り上げがまったく上がらない状態が5年も続いた。そこで呼ばれたのが、スーパー出身で現副社長の髙橋だった。「JRグループになってからの紀ノ国屋は迷い道に入って抜け出せない状態でした」という。
髙橋がまず驚いたのが「高級スーパーの呪縛」だった。
「当時、びっくりしましたが、『カップヌードル』を売るか売らないかで議論していたんです。『置いたら高級スーパーではなくなるのか』『では高級スーパーではない方がいいのではないか』といったんです」(髙橋)
駅ナカで高級スーパー路線を続けても結果は出ない。客のニーズに応える日常使いの店に方向性を変えたのだ。その改革が行われた2016年を境に売り上げは上向き、紀ノ国屋は生き残った。
さらに衝撃の一手を打つ。舞台は東京・世田谷のスーパー「ライフ」桜新町店。紀ノ国屋とはいわばライバル関係にあるが、その店内の一角で紀ノ国屋オリジナルのパンが売られている。棚を貸している訳ではない。紀ノ国屋が「卸し」を始めたのだ。
「紀ノ国屋さんはブランド力が圧倒的に強いので、お客様に喜んでいただける商品であれば扱わせていただく。お客様に支持されている商品だと改めて感じました」(「ライフ」小川啓)
現在、紀ノ国屋のオリジナル商品は「ライフ」だけでなく、スーパーや百貨店など29社に卸している。新たな販路はライバルの棚だった。
4. 知る人ぞ知る ~「キノクニヤ」の知名度
現在、紀ノ国屋の店舗があるのは全国で6都府県だけ。店舗のないところで聞くと、漢字が違う紀伊國屋書店のことは知っていても、スーパー紀ノ国屋の知名度は低い。
地方での知名度アップを狙った紀ノ国屋の仕掛け。百貨店の「大丸」神戸店で開催されていたのは「紀ノ国屋特別販売会」だ。紀ノ国屋の店舗がない都市に出向き、オリジナル商品をアピールする催事で、年間30ヵ所以上を回っている。
ここで力を発揮するのがロングセラーのアップルパイ。あえて売り場のすぐ後ろにオーブンを置き、焼きたてを売っている。やがて辺りにはアップルパイの甘い香りが広がり、それに誘われて紀ノ国屋を知らない客も続々と集まってくるという寸法だ。
神戸では1日で300個以上が売れた。
この催事には知名度アップに加え、もう1つの役割がある。富田はスタジオで次のように語っている。
「商品を売ることが目的ですが、実はマーケティングでもある。どのくらい紀ノ国屋を支持してくれるお客様がいらっしゃるか。商業施設側のほうは、どのくらい紀ノ国屋のことを信用して売ろうとしていただいているか、調査している。お客様から『なぜ(紀ノ国屋が)来ないの』『なぜないの』など、ありがたい言葉をいただくこともあるので、そういうエリアにはぜひ出店していきたいと考えています」
5. ~ 村上龍の編集後記 ~
高コストで、かつコンセプトが古い。でもファンが多い。実はわたしも好きだった。特に魚の切り身が新鮮で、バイヤーの気合とプライドを感じた。JR東日本の傘下に入るが、紀ノ国屋は生まれ変わったわけではない。残った従業員たちが、昔ながらのスピリッツで誇りとともに働いたのだ。富田さんは、生粋のJRマンだった。社長になって、従業員に聞いて回ったらしい。現場にも数多く行っただろう。新しく経営者になるには、それしかない。そうやって融合が生まれる。
<出演者略歴>
富田 勝己(とみた かつみ) :1969年、北海道生まれ。1964年、JR東日本に入社。2015年、JR東日本ウォタービジネスに出向。2019年、JR東日本青森商業開発に出向。2021年、紀ノ国屋代表取締役に就任。