本記事は、山葉隆久氏の著書『誰とでもどこででも働ける 最強の仕事術』(自由国民社)の中から一部を抜粋・編集しています。

Planned Happenstance Theoryに見る「今を一所懸命生きる」個人のキャリアの8割は、予期しない偶然によって形成されるという学説

Planned Happenstance Theoryに見る「今を一所懸命生きる」個人のキャリアの8割は、予期しない偶然によって形成されるという学説
(画像=Krakenimages.com/stock.adobe.com)

序章で紹介しました工場の閉鎖、ロームによる買収、ローム本社への転籍、そのあとに続く人生の転換点はいずれも偶然の出来事でした。

それより前の人生を振り返ってみても、その時その時に出会った方々の言葉や、たまたま手にした本に書かれていたことが、自分の進路に強く影響していました。いずれも偶然の出会いでした。

東北大学を選んだのは、高校時代にお世話になった数学の先生から、工学部なら東北大学が「研究第一主義」で良いという一言がきっかけでした。

専攻は化学でした。公害が社会問題になっていて、有害物質を排出しない工場を作れたら社会に貢献できる。プラント設計をイメージして、選びました。

ところが、産業のコメが鉄から半導体に変わると大学の講義で知って、半導体企業に進むことに変更しました。

希望通りに沖電気工業で半導体事業部に配属されました。

ところが、当然開発部署に配属されると思っていたのが、品質保証部門でした。辞令を受けた瞬間はショックで退職も頭をよぎりました。

それでも、当時の座右の銘の一つ「石の上にも3年」と思い直し、担当となった信頼性技術に取り組むとなかなか面白かったのです。この分野での権威になろうかと考えが変わりつつありました。

そんな時に、自宅に封書が届きました。

転職のお誘い。今でいうヘッドハンティングです。開発の仕事をさせてもらえると説明を受け、転職が稀な時代でしたが、ほぼ即断しました。

ヤマハで新技術開発の担当になって、特許を出願したり、学会発表をもっとしたいという思いが強まりました。

ヤマハ入社後には、その思いを実現でき、入社4年目には論文採択率30%の米国電気電子学会で口頭発表をしました。ヤマハ初のことで社内報に載せていただきました。

これがきっかけで、学会発表をコンスタントにするようになり、他社の優秀なエンジニアとの交流が増え、彼らからインスパイアされることがたくさんありました。その一つが、東北大学の社会人博士課程への入学でした。

1年で工学博士号を取得し、ヤマハでそのままエンジニアを続けて、ごく普通の会社員人生を送るものと思っていました。

このように、進む道が変わるきっかけは、恩師の言葉、読んだ本、受けた講義、配属辞令、ヘッドハンティング、論文採択や学会で知り合った友人、まさかの工場閉鎖そして買収でした。いずれも偶然の出来事であったといえます。

今までに、5年先、10年先のキャリアを設計したことがありません。

キャリアプランを立てようにも、転職は選択肢には無かったので、できることは社内の他の部署への異動です。

会社に異動の希望を伝える場は、上司との定期面談でした。

ですが、異動の思いを伝えたところで、そのとおりに処遇してもらえることはまずありません。つまり、キャリア形成を目的にした社内異動がほとんどありませんでしたから、キャリアプランそのものに興味を持てませんでした。

このような環境下でしたが、仕事の仕方とかやりたいことはイメージしていました。論文を書きたいな、こんな新技術を開発したいな、部長になって部門を引っ張りたいな、そんな願望でした。

さて、会社員を卒業する頃に、私のキャリア形成を聞かれることが何度かありました。

私は、「目の前の課題に精一杯対応してきた。それが解決すると、また新しい局面が現れて、そこの課題に精一杯対応してきた。その繰り返しだった」と、答えました。正直な気持ちです。このやり方に後悔していませんし、他人にも自信持って話せる内容です。

こういう考え方を持った人がいないかと気にしていましたら、計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)という学説があることを知りました。

ご存知の方も多いと思いますが、1999年にスタンフォード大学のクランボルツ教授が提唱したものです。

著書の『その幸運は偶然ではないんです!』(ダイヤモンド社)を手にしたところ、「偶然をきっかけに、意識的に行動することが望むキャリアに近づく」ということが書かれていまして、私の生き方が承認されたようで嬉しかったです。

簡単に内容を紹介します。

クランボルツ教授らによりますと、18歳でなりたいと考えていた職業に、実際になった人の割合は、わずか2%だったそうです。

ですから、遠い未来のキャリアを設計し、そこから逆算する考え方よりも、偶発的な出来事からチャンスをつかみ、自らのキャリアに活かしていくといった考え方です。

この理論のポイントは、キャリア形成の8割が偶然によって決まるというものです。夢とか目標は、偶然の出会いから始まり、どんどん変わっていきます。

私もまさにそうでした。つまり、偶然の出会いを前向きに捉えることで、私が変わっていく。

これを維持するための5つの条件が示されています。

●新しい出会いのために好奇心を絶やさないこと
●新しい機会を得たら一歩踏み出す冒険心を持つこと
●失敗しても前向きさを保つ楽観性を持つこと
●納得いくまでやり切る持続性を持つこと
●他人の意見や新しい視点を受け容れる柔軟性を持つこと

私の今までの人生は、クランボルツ理論に近かったと思いました。

私の解釈ですが、キャリア形成に繋がる偶然を呼び込むのは、やはり人とのご縁なのかなと思います。

偶然、出会った人から……。
偶然、何十年ぶりにお会いした人から……。
偶然、手に取った本で……。
偶然、ネットで見つけた情報から……。

人生、何が起こるか分かりません。

分からないのは不安でもありますが、分からないからこそ、好機が巡ってくる可能性があります。

立ち止まらず引きこもらず、興味ある進路への一歩をまず踏み出すことが大切です。そしてその可能性にかけてみる価値が、人生にはあります。経験に無駄は無いです。

私は会社員を卒業して独立をしました。

これからも、この考え方で生きて行きたいと思っています。この本を書くことも、先ほど触れましたように偶然から始まりました。

誰とでもどこででも働ける 最強の仕事術
山葉隆久(やまは・たかひさ)
Yamaha Labo代表、経営支援アドバイザー、大阪大学産業科学研究所特任教授、光産業創成大学院大学招聘講師、工学博士。1959年浜松市生まれ。ヤマハ創業家の子孫。78年浜松北高等学校、82年東北大学工学部卒業。半導体エンジニアとして沖電気を経てヤマハに入社。98年東北大学で工学博士号を取得。99年ヤマハの半導体工場を買収したローム浜松法人に移り、2002年にローム本社に転籍。09年、49歳でローム取締役、翌10年に常務取締役に昇任し、社長に次ぐロームNo.2に。13年超円高による業績不振の責任を取り退任。その後、半導体関連会社2社の取締役を経て、新日本無線常務執行役員を21年末退任。22年独立し、実務型顧問として活動開始。大阪大学では、日本の半導体産業復活に繋がるプロジェクトに参画。仕事術の講演やシニアの働き方の研究を通して「働ける内は働きたい」を試行実践している。

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