株式会社しちだ・教育研究所代表取締役。七田式主宰。1963年、島根県生まれ。東京理科大学理学部数学科を卒業。父は七田式の創始者、七田眞。主な著書に、「七田式0〜6歳の週末右脳あそび」(WAVE出版)、「お父さんのための子育ての教科書」(ダイヤモンド社)、「七田式頭が鋭くなる大人の算数ドリル」(青春出版社)、「夢を叶える右脳力」(サンライズパブリッシング)などがある。
―これまでの変遷について教えてください。
当社は昭和53年に私の父が立ち上げました。その数年後に東京支社が設立され、そこで、当時大学生だった私はアルバイトとして仕事を手伝い始めました。大学には6年間在籍しており、最後の1年間は週に半日だけ出席し、残りの時間で週40時間の仕事をしていました。そのとき既に専務取締役という立場になっていました。
大学を卒業したその年に幼児教室の全国展開の話が出ました。その時までに全国に10教室ほど、七田式という方法論の幼児教室を独自に展開していましたが、本格的に全国展開をするため、S社と契約してフランチャイズ化を進めていく流れになりました。このフランチャイズ契約は、本家である我々にとって不利な条件もあり、私は強く反対したのですが、父の全国展開への強い思いに押し負けて承諾しました。
これが父と話し合う良い機会になり、私の中でこれまで考えていたことや父や会社に対しての思いをすべて父にぶつけたところ、父はそこまで考えてくれているなら、あなたが社長をやってはどうだと言われ、社長になりました。このとき、私は24歳で、大学を卒業して間もない頃でした。当時は、従業員が10人程度の規模で、誰もが知らない、新しい事業だったので、今のように大きな事業になるとは思わずに始めました。しかし、始めてみると、教室数は3年で100教室、6年で200教室、9年で300教室、12年で 400教室という具合に急拡大していきました。
七田式というノウハウを確立しそれを伝えていく教育者の育成を手掛けた父と、教室数を増加させ事業拡大させたS社の代表、教材を作り上げてきた私という3つの歯車が、それぞれの得意な部分を活かし、相互に機能し合ったことが成功要因だと考えています。実はこの背景には、父のとあるエピソードもありまして、我々がまだ10教室ほどしかなかった時期に、父はある出版社へ「奇跡の七田式教育」というタイトルの本を出版したいという提案を持っていきました。しかし、「お話は大変興味深いのですが、教室が200教室になったらまた来てください。」と言われてしまい、父はそれをとても悔しがっていたのです。その思いを原動力に200教室達成という目標を立てて、実際にそれを達成することができました。
―海外との事業連携について教えてください。
2000年からアジアを中心に海外へのフランチャイズ展開を始めました。現在では16の国と地域で契約を結び、ノウハウを提供しています。 これらの国々と国際会議を行っており、今年(2023年)の6月には5年ぶりに開催することができました。それまでは2年ごとに、最初は当社、島根の研修センターで開催していましたが、契約国が増えて運営が難しくなったため、東京や京都で会場を借りて開催したり、新たに設けた神戸オフィスで開催してきました。そして、今年は4月に落成した新しい社屋の大ホールで開催しました。
―これまでの企業変遷の中でのターニングポイントを教えてください。
私がバトンを引き継いだのが会社設立10年目で、今年で46年目になります。その間、紆余曲折があり、提携していたS社とは裁判を経て契約を解消することになりました。その結果、加盟していた約400教室のうち180教室程度が七田式教室の看板を掲げる ことになりました。しかしそこから5年で教室数は230を超えました。ここ数年はコロナの影響で少しペースが落ちましたが、それでも新たにいくつかの教室が増えています。 また、先ほどお話しした海外の教室も、一時は18拠点まで増やしました。我々の教育メソッドは言語を問わず適用可能であり、1970年代から韓国や台湾で父の著書が翻訳され、1990年代からは台湾やアメリカなどで講演活動も行ってきました。その結果、各国から我々の教育メソッドを導入したいというオファーを多くいただくようになりました。
―現在、サブスクリプションモデルへの移行を進めていると聞いています。具体的に教えてください。
まだまだ手探りな部分もありますが、教室の生徒向けに専用のアプリで映像や音源を自由に利用できるようなサブスクリプションモデルへ転換しています。時代の変化に合わせて教材が変化する場合の提供も、これまではCDや紙媒体でお客様にお届けしていましたが、アプリにしたことで、素早く反映できる上に輸送コストも材料費もかからないので、経営面でも環境面でもメリットが大きいです。 しかし、実は我々の教材販売の事業は、教室には通わないけれど教材は購入するという方々も多くいて、その割合はだいたい半分くらいです。
我々はこれまで、様々な音源や教材を作成することに力を入れてきたので、これが資産となり、方法が変わっても提供することができています。
―最後に将来のビジョンについて教えてください。
まずは国内の展開に力を注ぎたいと考えています。現在、私たちの教室は約230ヵ所ありますが、国内でも教室がない県もあります。そのような県にも教室を展開し、多くの生徒が通えるようにしたいと考えています。
また、「未来会」という組織をつくり、現在全国にいる約100人の七田式教室のオーナーの次の世代を担う人々の育成にも注力しています。全ての教室に後継者がいるわけではありませんが、このような組織があることで、教室を長期的に存続させていくことができます。
さらに、オーナー同士でコミュニケーションを取り合い、互いにアドバイスや問題解決のアイデアを共有しており、特に親から経営を引き継いだばかり、あるいはそれまでに具体的に何を準備しておくべきかわからないというような方には大きな手助けになっていると考えています。それぞれのオーナーが自分の経営スタイルや、困っていることを共有し、一緒に解決策を見つけていく、それが七田式教室の強みの一つです。
またオーナー同士のつながりだけでなく、我々本社からは、新教材の開発や教育的なノウハウ提供に留まらず、経営的な側面のアドバイスも行っています。これらの支援を通じて、オーナーたちは自分たちのビジネスをより堅固なものにしていくことができます。このつながりが日本全国、更には世界中のオーナーへと広がり、互いに協力し合い、コミュニケーションを取りながら、一緒に問題を解決していく。それが我々の基盤であり、今後さらに強固なものにしていきたいと考えています。
印刷事業者などの、協力企業様とのつながりも我々の強みであり、今後も大事にしていきたいと考えています。ある時期に、これまで月に3枚のペースで行っていたCD制作を毎月12枚のペースで二年間にわたって作らなければならない状況になったのですが、その時は当社の社員だけでなく、デザイン会社さんや印刷会社さんなどの取引先にも大いに助けられました。例えば、原稿がようやく完成し、当社の社員が帰宅することができたのが夜の23時。印刷所ではそこから作業が始まるので、深夜3時まで残業してくれるというような、今の時代では許されないような状況でしたが、日頃から良好な関係を築いていたこともあり、取引先も「七田さんの頼みなら」と言って協力していただけました。このような繋がりも、世代が変わっても引き継いでいかなければなりません。私たちが運営している教室は、協力者の力を借りて成り立っていて、このようなつながりは、我々がここまで生き残ってこれた背景にあると思いますので、この先も七田式の輪をより強く、より大きくできればと思います。
- 氏名
- 七田 厚(しちだ こう)
- 会社名
- 株式会社しちだ・教育研究所
- 役職
- 代表取締役社長