この記事は2024年6月17日に「第一生命経済研究所」で公開された「トランプ交渉の難航リスク」を一部編集し、転載したものです。


交渉
(画像=thodonal/stock.adobe.com)

目次

  1. 歯車が狂ってきたトランプ外交
  2. 時間管理の失敗リスク
  3. 顕在化しつつある貿易戦争リスク
  4. ウクライナ問題

歯車が狂ってきたトランプ外交

カナダで6月15~17日の日程で開催されたG7では、日米首脳会談が行われ、関税交渉の決着も期待されたが合意に至らず終わったようだ。石破首相によると、「パッケージ全体としての合意には至っていない」という。こうした交渉の不調は、日本と米国だけではなく、トランプ大統領側がかかえている柔軟性を欠いた態度に起因するとみた方がよいかもしれない。ここから感じとれるのは、トランプ外交が予想以上に難航しているという図式である。ここにきて、トランプ外交は様々な歯車が狂い始めている。

G7に先立った6月13日に、イスラエルによるイラン攻撃が行われた。本当に悪いタイミングである。イスラエルは核開発施設と見られるイラン国内の複数地域をミサイル攻撃し、その後報復合戦に陥っている。イスラエルは、米国が6月15日にイランと核開発に関する協議を行う予定を意図的に潰しにかかったと考えられる。原油市況は、急騰してWTIの価格は、一時77.62ドルまで急騰した(図表1)。金融市場には、紛争の終結が早いという見方もあるが、楽観はできない。原油高騰は、トランプ外交がうまく行っていないことの裏返しでもある。金価格の高騰もそれと符合する。

第一生命経済研究所
(画像=第一生命経済研究所)

実体経済に与える原油高騰の悪影響は心配である。せっかく、エネルギー価格が落ち着いて、欧米の物価指標も伸び率を鈍化させているのに、その流れがひっくり返ってインフレリスクが高まるからだ。米国の5月CPIは、総合指数で前年比2.4%だった。インフレ率は、3~5月にかけて2.3~2.4%と落ち着いた。目先、トランプ関税によって、輸入物価が押し上げられる警戒感が強い中で、米CPIが落ち着いていることは、金融市場に一定の安心感を与えてきた。それがイスラエルによって攪乱されようとしている。

そこで心配されるのが、米金融緩和観測の後退だ。FRBが年内利下げをできなくなる。FRBはトランプ大統領からの強いプレッシャーを受けているものの、内心では景気悪化リスクに備えて利下げしてもよいと考えているはずだ。折からのトランプ関税は、物価上昇要因だが、一時的なものに止まる可能性もある。そこで原油高騰が起こると、もっと持続的なインフレが生じてしまうリスクがある。

時間管理の失敗リスク

中東情勢の緊迫化は、トランプ大統領にとって頭が痛いはずだ。この6・7月は外交日程が詰まっている。各国と進めている多数の関税交渉に集中できなくなる。6月15~17日のカナダG7も途中で帰国してしまった。

すでに、就任時にトランプ大統領が思い描いていたプランは、計画通りではなくなっている公算が高い。日米貿易交渉も、日本がもっと柔軟に25%の自動車関税率を受け入れると思っていた可能性はある。石破首相はそれを容易に受け入れなかった。甘い見通しだったと思う。高関税をかけられた相手国からすれば、トランプ関税は無から有が生まれたような災難だ。関税適用に何ら説得力を感じないのだから、よい落とし所が見つかるはずもない。これだけ時間をかけて、まだ英国としか合意を得られていない。

今後、イスラエルの暴走を止められずに、中東問題により時間を割く必要に迫られると、トランプ大統領にとって、各国との関税交渉などに充てる時間はより限られたものになっていく。このままだと、相互関税を10%に据え置いた暫定措置を7月9日以降も延長することになる。そうなったときに、最も困るのは米国自身だ。関税率引き下げの見返りに、獲得しようとしていた多額の対米投資が得られずじまいになるからだ。トランプ大統領は2026年11月の中間選挙を念頭に、日本などから投資拡大の成果をより多く引き出したかったはずだ。それが限定されたものになると、米国経済への恩恵は乏しいものになり、景気浮揚も十分には得られなくなる。このままでは、中間選挙の結果は厳しいものになるだろう。

トランプ大統領が当初の時点で描いていたシナリオは、①ディールで対米投資を増やし、②FRBにもっと利下げを促し、さらに③トランプ関税を徴収してその財源で法人税減税を積極的にする、というものだったとみる。しかし、そのシナリオは少し崩れてきて、徐々に経済の歯車も狂い始めている。企業の雇用リストラは増え始めている。歳出カットや政府機関の人員削減は、民間部門の活動にも悪影響を及ぼしてきている。仮に、2025年後半にかけて雇用削減計画を多くの企業が次々に発表していくと、現在よりも景気マインドは悪化して、トランプ政権はより窮地に追い込まれる。景気後退リスクも強まる。トランプ関税が輸入物価を上昇させ、個人消費を下押しする動きも強まるだろう。

顕在化しつつある貿易戦争リスク

トランプ大統領の関税交渉がうまく行かなくなっている弊害は、米中交渉でも顕著になっている。中国からのレアアース規制は、日米経済に予想以上に打撃を与えそうだ。レアアースは、EV、航空機など幅広い分野で使用されている磁石などハイテク製品の原料である。中国が4月から輸出規制したのは、報復措置の1つだとされる。輸出規制したレアアースの中には、例えば、EVなどに欠かせないものが多い。磁石の添加物であるジスプロシウムは、ネオジム磁石の欠かせない原料である。ネオジム磁石の制約は、EV生産に障害を与える。そうした悪影響は、日本を含めた自動車生産にも徐々に及んできている。

また、驚くのは、インドが日本に輸出していたレアアースを輸出停止するように動いているというニュースだ。世界的な供給制約から、日本企業の調達も厳しくなっているということだ。こうした供給制約は、物価上昇リスクにつながる。

ウクライナ問題

イスラエルの暴走を見るにつけ、ロシアに似ていると感じる。4月のトランプ大統領は、ウクライナとロシアの停戦に力を尽くしていた。しかし、ロシアはウクライナ東部・南部の領土からのウクライナ軍の完全撤退、領土承認など無理な要求を繰り返して、ウクライナはそれに反発し続けた。ここでも、トランプ大統領はプーチン大統領を少し甘く見ていた印象を拭うことができなかった。

トランプ大統領には、以前はロシア産原油を買おうとする国々に二次制裁を課して、ロシアを締め上げようと意図があったと思う。しかし、そのターゲットであった中国はレアアースで反撃に出て、二次制裁どころではなくなっている。トランプ大統領は、ウクライナとロシアの停戦を早期合意して、ウクライナ支援の費用をかけずに済ませたいと考えていたと思っている。その願望は叶わず、イランとの核開発の停止交渉も宙に浮き、ウクライナとロシアの和平合意も遠ざかっている。

仮に、ウクライナの和平合意が成立していれば、穀物供給、航空・船舶航行などが徐々に回復する起点になっていただろう。和平合意の大きな利得は、特に欧州経済に及んでいたはずだ。欧州諸国の軍事費の負担が軽減されて、エネルギー供給も改善の道が開けていた可能性がある。物価面でも、資源・穀物市況が落ち着いて、その恩恵が及んでいたと考えられる。そうしたシナリオが遠のいたことは残念である。

第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生