この記事は2024年6月27日に「第一生命経済研究所」で公開された「何度も何度も、給付金が繰り返される理由」を一部編集し、転載したものです。

世論調査の結果
6月22日の東京都議会選挙では、国政与党の自民党が獲得議席21議席(改選前30)と大きく減らした。これを7月20日の参議院選挙の前哨戦だと位置づけると、与党には次の参院選もまた厳しい結果になりそうだ。しかし、この選挙結果をみて、もっと積極的な給付をしなくてはいけないという政治家の声がある。各種世論調査は、1人2万円の現金給付に批判的な国民の声が大きいという結果になっている。給付を強化せよという声は、これに反するものだ。簡単に紹介すると、
NNN、読売新聞 効果的だと思わない76% 思う19%(4月11~13日実施)
日経新聞‣テレビ東京 効果があるとは思わない74% 効果があると思う21%(4月19~21日実施)
朝日新聞 評価しない67% 評価する28%(6月14・15日実施)
テレビ朝日 必要だと思わない59% 必要だと思う30%(4月19・20日実施)
毎日新聞 評価しない57% 評価する20%(4月12・13日実施)
共同通信 反対54.9% 賛成41.2%(6月14・15日実施)
NHK 反対50% 賛成38%(4月11~14日実施)
以上の例示はすべてではないが、おそらく他のアンケート結果もおおむね同様だと考えられる。国民の多くが現金給付に否定的という結果は揺るぎない事実であろう。その理由は、いくつかあるだろうが、筆者は「自分たちが納めた税金が選挙を意識した現金給付に使われてはかなわない」という理由かと思う。そんなつもりで納税している訳ではありません、と反発を感じているとみられる。そして、そのような物価高対策をする位ならば、もっと別に優先してやることがあるだろう、と首をかしげていると思う。
物価高対策
実は、この「もっと別にやるべき物価高対策」というのは処方箋を描くのが簡単ではない。なぜならば、適切な政策対応は、「痛み」を伴う対応であり、かつ単純明快に実行すれば効くという内容ではないからである。少なくとも言えるのは、多くの人が物価上昇の痛みに寄り添う給付・減税は不十分だと感じていることだ。「物価高対策」とは、物価上昇を止める政策だ。給付金・減税は、物価高対策ではなく、家計救済措置だ。傷口に包帯を巻くのと同じで、傷自体を消す治療にはならない。いくら家計救済措置を手厚くしても、物価上昇自体はなくならない。多くの国民はきちんとそれがわかっている。逆に、消費税減税を実施すれば、恒常的な財政赤字の拡大が起こる。日本国債が格下げされて、円売りを引き起こす可能性がある。さらなる円安で輸入物価が上昇すれば、物価高対策ではなく、物価高促進になってしまう。そうした政策の失敗リスクをどう考えているのだろうか。
問題点は、消費税減税の方が大きい。野党は、社会保障財源に大穴を開けて、さらに長期金利上昇や円安リスクを高めるような消費税減税を、どうして今、提案しているのか。危険な賭けに出る必要もない経済局面で、こうした政策提言が出てくるのが不思議に思える。
伝統的な物価高対策
極めて教科書的な処方箋は、日銀の利上げと財政緊縮で物価上昇を止めるということになる。歴史的な教訓を踏まえると、物価上昇と景気下支えの対策は両立しないから、まずは物価上昇リスクに対処して利上げして、その後で景気悪化に対処するという順序になる。物価上昇と景気下支えのジレンマにあるとき、景気下支えに動くと、物価上昇のトレンドに慣性力を与え、後でさらに強力な金融引き締めを必要とする状況に陥るとされる。ジレンマ対策は、最初は景気悪化を甘受して物価上昇を抑えるというものになる。
あまり教科書的な話をすると、リアリティを失うので、次にもっと現実的な表現で、「今、選択すべき物価対策」について述べていこう。現在の物価高は、輸入依存度の高い食料品とエネルギーの価格が特に全体を押し上げきた。日銀が利上げをすれば、円高になって輸入物価は下がる。今、問題なのは、日銀の利上げを行うと、トランプ関税で打撃を受ける輸出企業が円高でさらに打撃を深めるという点だ。日銀が利上げをするにしても、トランプ関税の打撃が一服してからになる。筆者は、米国経済が一時的に悪化したとしても、時間が経てば再拡大するとみる。その再拡大のタイミングで速やかに追加利上げを実施して、円安是正に動くことが望ましい。米国経済が再拡大するとき、ドル高が進むと考えられるので、ドル高・円安圧力を相殺するかたちで追加利上げを行う。今後、タイミングをみて、利上げ再開に動くことが物価対策になる。
利上げへの備え
日銀の利上げを通じて、為替を円高方向に変えていくことが有効な物価対策だとすれば、財政運営のすべきことは利上げに備えることになる。1つは、利払費の増加に備えることだ。税収から利払費に回す金額は増えていく。新規国債発行をなるべく減額して、現在と将来の利払費を抑制する。これから金利が上がるからこそ、基礎的財政収支の黒字化を進めて、国債発行残高の元本部分が増えないように変えていく必要がある。「金利のある世界」は、財政運営において赤字を抑制する段階であると言える。
もう1つは、中小企業が利上げに耐えられる経営体質をつくることだ。現在、トランプ関税の脅威が強まっているので、経営体質の強化はより必要性が高まっていると言える。円高になっても、輸出競争力が低ければ、輸出減少で経営悪化が進んでしまう。
教科書的には、財政緊縮で総需要を減退させれば物価も下落することになるが、筆者はそうした選択肢よりも、優先すべきは利上げの方が適切だと考える。財政運営は、歳出規模を大きく削るよりも、歳出内容をより効率的な内容に変えることを目指すべきであろう。歳出規模を拡大させないことが、インフレ進行に歯止めをかけるには肝要になる。
なぜ、現金給付に反対か?
世論調査で現金給付に否定的な意見が多かったことを、どう考えるべきなのだろうか。答えは、ほとんどの国民が現金給付は一時凌ぎに過ぎないと知っているからだ。政治的にそれが単なる人気取りに過ぎず、物価上昇に対して家計が強靱になる施策ではないと考えているのだろう。石破首相は、前々から好循環シナリオを唱えており、賃上げを通じて物価上昇への抵抗力をつけることを政策の主軸に置いてきた。多くの国民は、その考え方に賛成しており、消費税減税を唱える野党の政策には不安を感じてきた。だから、現金給付という選択は「易きに流れた」と失望してしまったと思う。政府の税収は、経済成長を促すものに支出するべきだ。歳出を振り向けるとすれば、中小企業の成長を促すような技術支援や、生産能力が過剰な業界での事業再編、そして人材流動化だと考えられる。こうした体質改善は、一朝一夕には実現できず、政府には地道な試行錯誤が求められる。そうした努力を脇に置いて、現金給付に走ることは「易きに流れた」という印象を禁じ得ない。多くの国民が明示的にそう思っていなくても、潜在的にそう感じるのだと思う。政府支出には、インフレ期特有の歪みが生じている。給食の食材が高騰したり、様々な人件費・外注費・原材料コストが上がっている。政府の予算の中でも、経費高騰に応じて予算を増やした方がよい支出内容もある。歪みに対処する予算見直しよりも、現金給付を増やすことには、優先順位を間違えているのではないかという気もする。それが「今、現金給付に税収を優先して配分するのはおかしい」という国民感情を生むのだろう。
なぜ、繰り返されるのか?
最後に、重要な論点を考えたい。なぜ、国民の多くが否定的な現金給付が何度も繰り返されるのか。2020年以降にパンドラの箱を開けたように、給付金などの施策が繰り返されている。そのメカニズムについて考えたい。
筆者の考えでは、現金給付に反対し、本気で怒る人が少ないからだとみる。「また現金給付を繰り返すのか」と嘆息を漏らす人は多くても、本気で怒って政権を批判する人は少ない。逆に、現金給付を望む人が少数だとしても、彼らの声は結構大きい。投票行動を考えると、たとえ少数者しか賛成しなくても、多数者が現金給付を「仕方がない」としか反応しなければ、少数者の得票を狙ってそうした現金給付が繰り返されるのだろう。いくら「金利のある世界だから、効率性の劣る税金を使い方は止めよう」と言っても、財政赤字の痛みが生活する上で表面化しなければ、本気になって財政赤字を止めようという世論は高まらない。
有識者の中には、財政再建を声高に主張すると、SNSで批判されるから怖いという人も少なくない。多くの有識者が自分で声を出さなくても、誰かが身体を張って止めてくれるだろうと考える。これも同じように本気で怒っていないということだろう。実は、そうした姿勢が民主主義の弱体化を生み出していく。現金給付に反対するパワーは、全体として「現金給付への反対者の割合×声の大きさ」で決まる。おそらく、「現金給付への賛成者の割合×声の大きさ」のパワーの方が勝っているのだろう。ならば、政策当局者は、後者の声の方が大きいのだから、世論調査の結果に関わらずに、現金給付を繰り返してしまう。
石破首相や立憲民主党の野田党首は、元々は経済・財政の健全性を重視する考え方の人物だと思うが、党全体の意見が「現金給付(あるいは減税)を主張した方が選挙にも有利です」と詰め寄られると、最後は折れてしまうのだろう。その理由は、たとえ現金給付をしないという考え方が正論だとわかっていても、正論を唱える人々は総体としてパワーは強くないと知っているからなのだろう。この点が変わらないと、将来も現金給付が繰り返されることが起きよう。