アートという一見ビジネスとは相容れない領域で独自の地位を築きつつあるのが、株式会社The Chain Museumだ。三菱商事からキャリアをスタートし、食べるスープの専門店「Soup Stock Tokyo」を生み出した経営者、遠山正道CEO。彼が次なる挑戦の舞台として選んだのは、現代アートの世界だった。一点物のアートと、複製芸術の象徴ともいえるチェーン店。その両極を知る経営者は、どこにビジネスチャンスを見出し、いかにして新たなマーケットを創造しようとしているのか。これまでの変遷と、未来への野望に迫る。
目次
すべては「自分事」からはじまった。商社マンがアートの世界へ
── まずはThe Chain Museumの成り立ちについてですが、どういった経緯で創業にいたったのでしょうか?
遠山 創業以前の話からさせてください。私はもともと三菱商事に勤めていたのですが、サラリーマンでありながら絵の個展を5回ほど開いた経験があるんです。ニューヨークでも開催しました。
個展というのは、誰かに依頼されてやるものではありません。上司やクライアントはもちろん、家族からの依頼でもない。なぜやるのかと問われても、合理的な理由を見出すのは難しい。「やりたいからやる」という、まさに“自分事”の極致のような活動でした。自分でテーマを考え、自分の手で作品を創り、直接人々に届け、評価を得る。この一連のプロセスが、私にとって非常に心地よかったのです。
この経験を通じて、「これは起業と似ているな」と直感しました。当時、商社では情報産業グループにいましたが、もっと手触り感のあるリテールや食の分野に携わりたいという思いが募っていました。そこで、関連会社だった日本ケンタッキー・フライド・チキンに出向させてもらい、新規事業部門にも片足を突っ込んでいました。そこで思いついたのが「Soup Stock Tokyo」です。この事業は後にMBO(マネジメント・バイアウト)し、25年間手掛けてきました。
そして10年ほど前から、再びアートに対する思いが沸き立ち、ビジネスとして立ち上げたのが「The Chain Museum」です。
アートとチェーン店。両極の間に眠るビジネスチャンス
── The Chain Museumという社名には、どのような思いが込められているのでしょうか。
遠山 私はアートが好きである一方、Soup Stock Tokyoというチェーン店を経営してきました。アートは一点物であり、チェーン店は複製。片や表現であり、片やビジネス。これらは真逆の存在です。しかし、この両極の間には、まだ誰も手をつけていない、すっぽりと空いたエリアがあるのではないかと考えました。そのコンセプトを社名に込めたのです。
事業としてはまず、現代アートの総合的なプラットフォーム「ArtSticker(アートスティッカー)」を立ち上げました。現在、約3,000人のアーティストと25万人を超えるアート好きのユーザーが登録しています。
当初、私が最もやりたかったのは、アーティストへのドネーション(支援)、いわゆる”投げ銭”の仕組みです。かつてアートは王侯貴族や教会がパトロンとなって支えていましたが、現代にはそうした存在がいません。ならば、我々自身がパトロンになればいい、という発想です。
例えば、東京藝術大学の油絵科に入学しても、卒業後、多くの学生が油絵だけでは食べていけず、表現活動を諦めてしまうことがあります。しかし、もしArtStickerのドネーションで月に数十万円の収入が得られるようになれば、作品を売ることに固執せず、純粋な表現活動に打ち込めるかもしれない。そんな世界を実現したかったのです。
その延長線上で、ArtStickerは現代アートに関わるワンストップサービスとして成長しています。展覧会の電子チケッティングや、企業向けのアートコンサルティング、アーティストへの制作依頼など、多角的な事業を展開しています。
リアルな「場」がコミュニティを生む。オンラインとオフラインの融合
── プラットフォーム事業だけでなく、ギャラリーなどリアルな場にも展開されていますね。
遠山 はい。私たちはウェブ上のプラットフォームと同時に、リアルな場所を持つことの重要性を強く感じています。現在、六本木、麻布台ヒルズ、京橋、浅草の4拠点で、それぞれ特徴的なギャラリーを運営しています。
例えば、六本木の「アートかビーフンか白厨(パイチュウ)」は、ギャラリーの中で本格的な台湾ビーフンが味わえる場所です。麻布台ヒルズの「Gallery & Restaurant 舞台裏」では、ギャラリーの奥に隠れ家のようなフレンチレストランがあり、ベルギーの二つ星シェフが腕を振るっています。
これらの場所は、単なる作品展示の場ではなく、アーティストやアートファンが集うコミュニティハブとなっています。若いアーティストが気軽に立ち寄り、お酒を飲みながら交流できる仕組みも作りました。先日は私も、そこでアーティスト本人から作品のコンセプトを聞いて、その面白さに惹かれてつい彫刻作品を購入してしまいました。
アートを買うことは、そのアーティストとの関係性を手に入れるための「切符」のようなものだと考えています。作品を通じて作家を応援し、その後の成長を見守っていく。コレクターやスポンサーとして、アーティストの活動に寄り添えるのです。私たちは、こうしたリアルな場を通じて、アートの敷居を下げ、誰もが気軽にその世界に触れられる機会を創出したいと考えています。
経営哲学は「自分事」。マーケティングから生まれない価値を創造する
── 遠山さんの経営哲学の核はやはり「自分事」なのでしょうか。
遠山 創業当初から、そして今も一貫して「自分事」というキーワードを大切にしています。特にSoup Stock Tokyoの時代から、私たちは「マーケティングをしない」と公言してきました。市場調査からニーズを探るのではなく、常に自分たちの中に存在する「やりたい」という動機や理由からすべてをスタートさせる。スープ事業の次がネクタイ屋で、その次がリサイクルショップだったりと、一見脈絡のない事業展開も、すべて私たちの内なる声に従った結果です。
この点において、アーティストは「自分事」の大先輩です。彼らは、会社のミッションやビジョン、ルールに縛られることなく、明日何時に起きるか、何を作るかまで、すべて自分自身で決めなければならない。これは途方もなく大変なことです。アーティストが作品を作る際にマーケティング調査をしたら、それはギャグになってしまうでしょう。私たちは、ビジネスもそれと同じスタイルで良いと考えています。
── 組織面で「自分事」を体現しているなと感じる部分はありますか。
遠山 先ほど申し上げた「自分事」という文化が浸透しているため、トップダウンで「あれをやれ、これをやれ」と指示するスタイルは、ほぼ皆無です。社員はそれぞれが個性的で、アートへの強い情熱を持っている人たちばかり。キュレーターという同じ役職でも、一人ひとり得意な領域やスタイルが全く異なります。各自が自分の考えでプロジェクトを進められる、フラットで自由な組織です。
日本の巨大な潜在市場と、世界が注目する日本人アーティスト
── 日本のアート市場はまだまだ小さいという話も聞きますが、成長性をどのように捉えていらっしゃいますか。
遠山 世界の巨大なアート市場において、日本のシェアはわずか1%程度しかなく、非常に低い水準です。これは裏を返せば、とてつもないポテンシャルが眠っているということです。
非常に興味深いデータがあります。UBSとArt Baselが発表しているレポートで、「世界のアートコレクターが海外から購入したいと答えた地域のランキング」があるのですが、日本は「将来購入したい海外地域」のトップ5に常に登場しているのです。 しかし、実際に欧米の関係者が知っている日本人アーティストは、ごく僅かです。
これは、アニメやファッション、建築といった周辺カルチャーの評価の高さからくるイメージや、日本人の真面目で手先が器用といった国民性への期待が、アートへの期待値にもつながっているからでしょう。つまり、世界からの期待は非常に高いのに、彼らが日本のアーティストに出会う機会が圧倒的に不足しているのが現状です。
このギャップを埋めるべく、私たちはArtStickerの海外展開を本格化させていきたいと考えています。現在は国内の流通が主ですが、今後は台湾や韓国などアジア圏を足がかりに、桁違いに市場が大きい欧米にも日本の素晴らしいアーティストを紹介していきます。
「アート×〇〇」で新産業を創造する。未来への構想とは
── The Chain Museumがこれから描いていく未来の構想についても、ぜひお聞かせいただきたいです。
遠山 今後は、アートそのものの事業領域にとどまらず、「アート×他産業」という視点で、新しいビジネスを創造していきたいと考えています。例えば、「アート×宿泊」。ギャラリーの空間にベッドを置き、「泊まれるギャラリー」として宿泊業を展開する。あるいは「アート×金融」で、作品購入のためのローンやリース商品を開発する。アートを中心に据え、様々な産業を掛け合わせることで、新たな収益モデルを生み出していきたいです。
もう一つ、現在具体的に進めているのがサードスクール構想です。美大の学部・大学院を卒業した若手アーティストは、制作場所も、保管場所も、発表の機会もないという厳しい現実に直面します。そこで、大学の次に彼らが集える「三つ目の学校」のような場を創ろうとしています。アトリエの提供だけでなく、請求書の書き方といった実務的な知識や、コレクターとの繋がりも提供し、彼らがアーティストとして自立していくためのインキュベーション施設を目指します。
そして、基幹事業である「ArtSticker」は、単なるECプラットフォームから、現代アートの巨大なデータベース、検索エンジンのような存在へと進化させていきたい。美術館で気になった作家を調べれば、その全作品や経歴、インタビュー記事までが網羅されている。作家にとってはポートフォリオとして、ユーザーにとっては知的好奇心を満たすツールとして機能する。毎日つい開きたくなるような、情報が集積するプラットフォームへと成長させていくことが、私たちの野望です。
- 氏名
- 遠山正道(とおやま まさみち)
- 社名
- 株式会社 The Chain Museum
- 役職
- 代表取締役

