加賀種食品工業株式会社

石川県金沢市に本社を構える加賀種食品工業株式会社は、1877年の創業から約150年にわたり、最中(もなか)の皮をはじめとする「菓子種(かしだね)」を製造してきた老舗企業だ。

4代目祖父、5代目祖父の弟、6代目母から会社を引き継ぎ、7代目として新たな挑戦を続けるのが代表取締役社長の日根野逸平氏だ。伝統産業が直面する課題と、彼が見据える未来とは──。

日根野逸平(ひねの いっぺい)──代表取締役社長
1978年生まれ、金沢市在住。2002年、コンピュータ総合学園HALを卒業後、2003年に加賀種食品工業株式会社へ入社。システム構築やEC運営を通じて社内基盤の整備を推進し、2022年より代表取締役社長を務める。
加賀種食品工業株式会社
1877(明治10)年創業の最中種・ふやき種専門メーカー。北陸産「新大正もち」を契約栽培から仕入れ、全工程を自社一貫で製造する。全国の和菓子店や食品メーカーに製品を供給し、1,000種以上のオリジナル最中種を展開。伝統の技を守りつつ、自社金型製作など新たな技術を取り入れ、多彩な製品を生み出してきた。近年は和菓子業界にとどまらず、幅広い分野へ販路を拡大。和菓子文化の継承とともに、新たな食の可能性を切り拓いている。
企業サイト:https://kagadane.co.jp/

目次

  1. 創業から約150年、時代とともに歩んだ菓種づくり
  2. カリスマ経営からの転換。コロナ禍で受け取ったバトン
  3. ITの力で伝統産業の非効率に挑む
  4. 和菓子屋さんと共に。伝統を守り、新たな可能性を拓く
  5. 人から省力化へ。未来を見据えた投資

創業から約150年、時代とともに歩んだ菓種づくり

── 創業から約150年という長い歴史をお持ちです。これまでの歩みについて教えてください。

日根野氏(以下、敬称略) 創業は1877(明治10)年で、もうすぐ150年になります。もともとは東京で商売を始めたと聞いていますが、当時の記録はほとんど残っておらず、言い伝えられている程度なんです。創業者が富山の出身だったこともあり、「地元に帰ろう」ということで北陸に戻り、商売のしやすい金沢に拠点を移したようです。

当初からお菓子をつくっていたことは間違いないのですが、現在のように最中(もなか)の皮などをつくる「菓子種(かしだね)」の専業メーカーという形になったのは、戦後、私の祖父(4代目)のころからですね。そこから全国の和菓子屋さんを中心にお取引を広げ、今の事業の礎を築きました。

── 歴史の長い企業が多い和菓子業界の中で、貴社の特徴や強みはどこにありますか?

日根野 私たちがいる「種屋」(たねや)業界は、もち米を原料にしたお菓子の材料を製造するのですが、実は同業者の多くはご家族で経営されているような小規模なところがほとんどです。その中で、弊社は全国トップクラスです。

強みとしては、まず商品のラインアップが豊富なこと。最中だけ、おせんべいだけ、という専業メーカーも多い中、私たちは「菓子種」と呼ばれるものはすべて手がけています。

そしてもう一つの強みが、およそ10年前から可能になった金型の内製化です。最中の形をつくるには必ず金型が必要になるのですが、これを自社で設計から製造まで一貫して行えるようになりました。

これにより、デザインの自由度が高まり、納期やコストの面でも有利になった。お客様から新しい企画のご相談をいただいた際に、柔軟かつスピーディーに対応できるのが大きな強みになっています。

カリスマ経営からの転換。コロナ禍で受け取ったバトン

── もともとウェブ制作のお仕事をされていたそうですが、どのような経緯で家業を継ぐことになったのですか?

日根野 一人っ子なので、6代続いてきた家業を無責任に放り出すことはできないなと、学生のころから漠然とは考えていました。学校を卒業した後はウェブ系の仕事をしていましたが、2003年に入社し、2022年に社長に就任しました。

社長交代のタイミングは、特に決まっていたわけではありません。先代である母はまだまだ元気で、「永遠に社長を続けるんじゃないか」と思っていたくらいです(笑)。

ですが、2020年からのコロナ禍で状況が変わりました。贈答品やお土産物が中心の和菓子業界は大きな打撃を受け、弊社の売り上げも大きく落ち込みました。

母は「この状況で次の代に引き継ぐのはかわいそうだ」と考え、もう少し落ち着くまで責任を持つと続けてくれましたが、世の中が日常を取り戻し始めた2022年、売り上げにも回復の兆しが見えてきたタイミングで、「そろそろどうだ」とバトンを渡されました。

── 後継ぎ社長ならではの苦労もあったのではないですか?

日根野 社長になったのは入社から15年以上経っていたので、社員との人間関係で困ることはありませんでしたが、経営スタイルについては少し思うところがありましたね。

祖父や母は、いわゆるカリスマタイプ。「社長の言うことを聞いていれば大丈夫」というトップダウンの経営で会社を成長させてきました。そのため、社員も指示されたことをきちんとこなすタイプの人が多かったのです。

私はそういうタイプではないので、意見を出し合いながら進めていきたいのですが、長年培われた企業文化を変えていくのは、これから取り組むべき課題だと感じています。

ITの力で伝統産業の非効率に挑む

── 社長就任までの15年間、どのような仕事を担当されていたのですか?

日根野 主に営業部長という肩書でしたが、前職の経験を活かしてIT関連の業務に注力していました。たとえば、ECサイトの立ち上げや、先ほどお話しした金型の内製化プロジェクト、社内システムのDX推進などです。

私が入社した2003年当時は、まだかなりアナログな会社でした。弊社は少量多品種で全国に数多くのお客様がいるため、毎日100件ほどの電話注文が入ります。それをすべて紙の台帳で管理していて、電話がかかってくると、まず棚からそのお客様のファイルを探し出すところから始まる、というような状態でした。

これはまずいと思い、電話がかかってきたらPCの画面にお客様情報が自動で表示されるシステムを導入するところから始めました。

今では、友人や取引先の方に弊社のシステム運用を見ていただくと、「進んでいるね」と言われることもあります。こうしたIT化によって、事務や営業のコスト削減、生産性の向上に大きく貢献できたのではないかと思います。

── 社長就任後、経営の舵取りで最も困難だったことは何ですか?

日根野 なぜか、あまり運がないなと思うことが続いています(笑)。社長に就任してわずか2週間後、取引額で2番目に大きかったお客様が倒産してしまいました。売掛金の焦げ付きはもちろん、それ以降の売り上げがなくなるという大きな痛手でした。

それが落ち着いたと思ったら、今度は能登半島地震です。幸い人的被害はありませんでしたが、設備がかなり壊れました。さらに、昨今の物価高、特にお米の価格高騰も続いています。毎年、何かしら大きな損害が出ているような状況ですね。社長という立場になって、一つひとつの出来事の重みを痛感しています。

── 取引先の倒産という大きな危機は、どのように乗り越えたのですか?

日根野 実は、その倒産が起きる前から、和菓子屋さんにだけ頼る経営に危機感を持っていました。新しい和菓子屋さんがオープンするという話はあまり聞きませんよね。市場全体が少しずつ縮小していく中で、弊社も手を打たなければならないと考えていました。

そこで、和菓子業界以外への営業を強化し始めていたのです。飲食業界やECサイトでの個人向け販売など、新しい販路の開拓を進めていたことが功を奏しました。結果的に、その年は売り上げを落とすことなく、新しいお客様からの売り上げで倒産の穴を埋めることができたのです。

── "ネオ和菓子"のような新しいトレンドなど、和菓子市場が盛り上がっている印象もあります。

日根野 市場規模は、横ばいか微減、というのが全体の実情です。伸びている和菓子屋さんもたくさんありますが、特に伸びているのはコンビニスイーツの和菓子などですね。つまり、昔ながらの和菓子屋さんではなく、大手メーカーがプレーヤーになっている。

和菓子の世界は「100年前から同じお菓子を売り続けている」という歴史が価値になる、非常に特殊な世界です。新しい商品が次々と生まれる洋菓子とは真逆の発想です。

私たちは、そうした歴史あるお菓子の材料を供給することで商売をしてきたので、その売り上げが急に伸びることは考えにくい。だからこそ、和菓子屋さんという主軸を大切にしながらも、新しい分野に挑戦していく必要があると考えています。

和菓子屋さんと共に。伝統を守り、新たな可能性を拓く

── 飲食など新たな市場も開拓されていますが、どのような戦略を描いていますか?

日根野 二本柱で考えています。まず一本目の柱は、これまで通り、和菓子屋さんをしっかりと支えていくことです。私たちの「種屋」業界は後継者不足が深刻で、廃業を選ぶ同業者も少なくありません。

供給が途絶えて困っている和菓子屋さんと連携し、業界内でのシェアを確固たるものにしていく。一度取引が始まると長くお付き合いいただけるので、ここは今後も絶対に揺るがない主軸です。

二本目の柱が、和菓子業界以外への販路拡大です。飲食の世界など、一歩外に出れば、私たちの「最中の皮」は非常にニッチな商材です。だからこそ、特定のターゲットに絞るのではなく、「いかに多くの人の目に触れる機会を増やすか」に全力を注いでいます。

ECサイトや展示会を通じて、「こんな面白い使い方があるんだ」と知ってもらう。全国に何百万とある飲食店のうち、ほんのわずかな割合の方が興味を持ってくれるだけで、私たちにとっては十分大きなビジネスになるのです。

── 「最中の皮」の新たな可能性を見せていくことがカギですね。具体的に、どのようなアプローチで新しい価値を生み出そうとされていますか?

日根野 新しい“形”の最中をつくることは、金型の内製化によってフットワーク軽くできるようになりました。それと並行して力を入れているのが、“用途提案”です。

たとえば、最中にココアの粉を入れて、お湯をかけて食べる商品をつくったこともあります。残念ながら売れませんでしたが、それでいいんです。それを見たお客様が「面白いね。じゃあうちはカレースープでやってみよう」と、新しい発想のきっかけになってくれれば。

私たちはあくまで「裏方」として皮を提供することにこだわり、お客様の創造性を刺激するような提案を続けていきたいと考えています。

人から省力化へ。未来を見据えた投資

── 新たな市場を開拓し、事業をさらに成長させる人員や資金については、どのような計画ですか?

日根野 これまでは、売り上げが伸びたら人を増やし、場所がなくなったら工場を増築する、というやり方で成長してきました。

しかし、人口減少や人件費の高騰を考えると、そのやり方も限界に来ています。今後は、人を増やすのではなく、AIやDXを活用した省力化への投資に舵を切ります。古い生産設備を更新し、少数精鋭でも生産性を上げていける体制を整えることが急務です。

幸い、現在の財務状況は悪くありません。今のうちにしっかりと未来への投資を行い、儲けの出る体質へと転換していきたい。将来的には、工場そのものを建て替える大きな投資も必要になるでしょう。その時に備えて、企業としての体力をつけておくことが重要だと考えています。

── 経営の舵取りの中で、大切にしている考え方があれば教えてください。

日根野 私たちの仕事は、和菓子という日本の文化を支える側面を持っています。金沢市にも、工芸や和食など、さまざまな文化に携わる仕事をしている方がたくさんいます。

しかし、どんな文化も、時代の流れとともに必ずかたちが変わっていく。その中で商売を続ける者として、会社を存続させるために何をすべきか。私もまだまだ模索の途中ですが、伝統を守るべき部分は守り、変えるべき部分は大胆に変えていけたらと思っています。

氏名
日根野逸平(ひねの いっぺい)
社名
加賀種食品工業株式会社
役職
代表取締役社長

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