株式会社細尾

1688年・元禄元年創業、京都・西陣織の老舗「HOSOO」は、12代目細尾真孝氏のもと、伝統を革新し続けている。世界初の150cm幅西陣織織機を開発し、ラグジュアリーブランド、五つ星ホテル、レクサス、大阪・関西万博の建築素材へと、西陣織の可能性を広げてきた。細尾氏が語る「美と協業と革新」をDNAとする経営哲学と、伝統産業をクリエイティブ産業へと昇華させる挑戦の軌跡に迫った。

細尾真孝(ほそお まさたか)──代表取締役社長
1978年、京都府生まれ。大学卒業後、音楽活動、大手ジュエリーメーカーでの経験を経て、2008年に家業である細尾に入社。2010年、HOSOOは世界初となる150cm幅の西陣織織機を開発し、西陣織の技術を活用した新しいテキスタイルで世界的なラグジュアリーブランドと協業。新たな販路を拡大し続けている。2012年、代表取締役に就任。一般社団法人GO ON 代表理事。日経ビジネス「2014年日本の主役100人」、WWD「ネクストリーダー 2019」、「2021 Forbes JAPAN 100」などに選出。2024年「Forbes JAPAN 日本の起業家ランキング 特別賞」受賞 。同年、ファッション業界で最も影響力のある人物を選出する「BoF 500」(イギリス発「The Business of Fashion」)に名を連ねるなど、伝統工芸の未来を創出するリーダーとして注目されている。
HOSOO(株式会社細尾)
元禄元年(1688年)、京都・西陣において大寺院御用達の織屋として創業。京都の先染め織物である西陣織は1200年前より貴族を始め、武士階級さらには裕福な町人達の圧倒的な支持を受けて育まれてきた。帯やきものといった伝統的な西陣織の技術を継承しながら、革新的な技術とタイムレスなデザイン感性を加えることによって、唯一無二のテキスタイルを生み出し、国内外のラグジュアリーマーケットに向けて展開している。会社設立は1960(昭和35)年6月。
企業サイト:https://www.hosoo.co.jp/

目次

  1. パリでの展覧会が転換点 大阪・関西万博にも提供
  2. 伝統の革新と社内の抵抗を乗り越える
  3. クリエーティブな視点で事業をデザインする

パリでの展覧会が転換点 大阪・関西万博にも提供

── 創業から330年以上と長い歴史がありますが、事業変遷や強みについて教えてください。

細尾氏(以下、敬称略) 弊社はもともと元禄元年(1688年)に京都・西陣で創業し、西陣織に携わってきました。近年は帯を中心に事業を展開しています。

1923年には曽祖父の代に「織屋」に加え「問屋業」を始めました。これは、人間国宝をはじめとするさまざまな染色作家や工房のものを全国の着物専門店へ流通させる、いわゆる着物のプロデューサー、ディストリビューター業です。この二つの事業が会社の顔となり、主に問屋業が会社の母体です。

しかし、着物のマーケットは過去40年で10分の1にまで縮小した斜陽産業で、新しい挑戦が必要と考え、海外展開を始めました。2000年ごろから父の代が実験的に西陣織を海外に展開しましたが、まだ事業にはなっていませんでした。

私も2008年10月に家業に戻り、海外展開のバトンを引き継ぎました。前例がなく手探りでしたが、最初はうまくいかず、展示会出展でお金ばかりが出ていく状況が続きました。

転換点となったのは、2008年12月にパリのルーブル装飾美術館で開催された「日本の感性展」です。日仏国交150周年を記念した展覧会で、弊社は帯を出品しましたが、とても好評で、翌年にはニューヨークに巡回。その直後、ニューヨークのデザイナー、ピーター・マリーノ氏から、織りの技術と素材を使ったテキスタイル開発の依頼が届きました。クリスチャン・ディオールの店舗の壁面やカーテン、椅子の張り地などに使いたいという内容でした。

── それは大きな転換点ですね。

細尾 ただ大きな課題がありました。通常の帯幅32センチでは、海外のインテリア用途では継ぎ目だらけになり、テキスタイルの土俵に乗らないのです。この壁を乗り越えるため、2008年から約2年かけて、世界で初めて150センチ幅の西陣織織機を開発しました。

2010年に織機ができ、海外展開が本格的にスタート。最初はディオールの店舗インテリアに弊社のテキスタイルが展開されました。当初はベテラン職人3人と私が営業1人という体制でしたが、徐々に織機と職人を増やし、今は約25人の若い職人チームで事業を進めています。

現在はラグジュアリーブランドや五つ星ホテルのインテリアを中心に事業を展開。パリコレクションに代表されるハイファッション、現代アート、2020年にはレクサスLSのドアトリム、そして大阪・関西万博の建築外壁(ギネス世界記録認定)など、織物の領域を拡張し、マーケットを広げています。これが自分たちのビジョンであり、ビジネスの形です。

伝統の革新と社内の抵抗を乗り越える

── 12代目として承継の経緯や、当時の状況などを教えてください。

細尾 私は家業を継ぐつもりはまったくありませんでした。伝統工芸は同じことをやり続けることが伝統を守ることだと見えていたからです。私はクリエイティブな産業をやりたいという思いがあり、音楽活動をしていました。

しかし、2000年ごろに先代が海外に向けて実験的に西陣織を展開を進め、当時私は東京にいたのですが、「西陣織の海外展開は誰もやったことがないな」と思い、伝統産業がクリエイティブ産業になる可能性を見出しました。それが家業に戻ろうと思った大きなきっかけです。

── 先代の社長とぶつかることはなかったのですか?

細尾 まったくなくはなかったですが、長男である父ももともと家業を継ぐつもりはなく、海外で仕事がしたいという思いがあったそうです。伊藤忠商事にいてミラノに駐在し、ブランドを日本にインポートする仕事もしていて、私は6ヵ月から4歳までミラノで育っています。

そういった部分で海外との距離感が近かったこと、父の時代はヨーロッパのものを日本に紹介するのが時代の流れでしたが、どこかでその逆のことをやりたいという思いがあったそうです。

海外展開は父の悲願でもあったでしょうし、むしろバックアップしてくれたからこそ、社内で新しいことをやろうとしたときも、推進しやすかったですね。

── 変革を期待する人もいれば、変化に眉をひそめる人もいると思いますが、社内からの抵抗はなかったのですか?

細尾 ありましたね。新しいことをやることは嫌がられます。職人は今まで帯を作っており、工房、メンバー、業界が同質化し、外との価値観との交わりが少ないため、固定観念の世界に閉じこもりがちです。「これは西陣織じゃない」といった抵抗は当然ありました。営業職も、海外展開にはまったくイメージがわかなかったようです。

ただ父が応援してくれたからこそ、大丈夫だったのです。もし当時の社長も反対していたら、実現は難しかったでしょう。

中を変えるのこそ大変で、今回の大阪・関西万博についても、4年前、話があったときに、前例がなく、できない理由が100個ぐらい出てきました。野外に織物を置いて雨風や暴風にあたること、公共建築物の機能性、色飛びなど、すべて素材ベースから見直したり開発したりしなければなりません。

ただ全員ではありませんが、「やり方によってはやれるんじゃないか」という声もありました。

必要なのは、常にチャレンジし続ける仕組みです。社外の方から「細尾さんは色々なことをやりますね」と言われますが、それはトレーニングと一緒で、常に体を動かし続けないとおっくうになる。慣れてくると、やらないと気持ち悪くなるし、やっているほうが調子いいし、次にチャレンジしようとなる。筋トレのような部分があるなと思っています。

── 万博で大変だったことについて教えてください。

細尾 万博では二つの大きな山がありました。一つは外壁素材として使えるレベルにすること。強度などさまざまな部分をクリアするため、素材ベースから見直しました。

もう一つは、桜尽くしの柄がすべて立体でつながっていることです。織物は平面で織るので、立体につながることは通常ありません。そこでプログラマーたちとチームを作り、3Dマッピング技術でマッピングしたものを平面に戻し、プログラムを開発しました。織っていくところは曲がっていくのですが、最後にカットして何百スパンも合わせていくと合うというやり方です。

クリエーティブな視点で事業をデザインする

── 音楽活動をされていたそうですが、ものづくりにはこだわりがもともとあるのですか?

細尾 もともとクリエーションはたいへん好きですし、頼まれなくてもやりたくてやるという性分ですね。今の会社の事業や研究開発なども楽しんでやっています。すべてがクリエーティブ産業であり、経済活動もクリエーティブであるべきだと思っています。

アーティストのヨーゼフ・ボイスは「リンゴの皮を剥く」行為を、作業ととらえるか、創作性ととらえるかでやり方が変わると言いました。人がどうとらえるかで、学べることも変わってきます。

先日、茶道・小堀遠州流の小堀正一さんのお話をうかがったのですが、家業に戻ったとき、庭の苔をピンセットできれいにすることを3年間続けさせられたそうです。最初は嫌だったそうですが、続けるうちに苔の生え方や効率的な手入れ方法に気づき、その中にクリエーティビティが見えてきたと話していました。

結局、作業として見るか、入り込んで学びを得るかで違いが生まれます。3年続けるプログラムには大きな学びがあるからこそ組まれているわけです。そこに気づけるかどうか。そこから学べることはたくさんあると思っています。

会社でいえば、人事や福利厚生もクリエーティブに考えるとまったく違ってきます。「世の中がこうだからやる」のか、「みんなが驚き、家族に自慢したくなる福利厚生とは?」と考えるのか。同じ予算でもやり方で違ってきます。それがクリエーティブだと思うので、できる限りそういったところにパワーと力を割いていきたいです。

── 個人の感覚に委ねられる可能性のある部分を、プロジェクトメンバーや組織としての判断基準として持つ工夫はありますか?

細尾 HOSOOのDNAである美と協業と革新、そして「工芸が時代をつないでいく」という理念があります。工芸は産業革命以降、大量生産・規格化の流れに押し込まれ、斜陽産業となりました。

工芸の特徴は、素材の持ち味を生かし、お客様一人ひとりに合わせて作る世界です。大量生産はできませんが、お直しも可能で、一生ものだけでなく、二生、三生と代をまたいで使えるようにする。時間や手間はかかりますが、無駄なようで無駄ではない世界観です。

この考え方は、大量生産・大量消費で環境問題が顕在化する現代において、工業的な良さやテクノロジーを取り込みつつ、工芸的な思想で進めることが、これからの時代をリードできると信じています。弊社は工芸品を作る会社なので、そこを大事にしています。

京都のHOSOOフラッグシップストアも、工芸建築をコンセプトに、さまざまな職人の協業で作りました。西陣織のDNAである協業がここにあります。美を目指し、左官や金箔職人などとの協業によって作られています。

── 今後の事業展開や新規投資をお考えの領域について教えてください。

細尾 2010年に150cm幅の織機ができて15年が経ち、ハイエンドインテリアからファッション、モビリティ、建築へと織物の領域を広げてきました。

しかし、海外の可能性はまだまだあります。2023年にはミラノにショールームをオープンし、ヨーロッパに拠点を持てましたが、世界のラグジュアリーマーケットは広大です。インテリアだけでなく、ハイエンドモビリティ(プライベートジェット、スーパーヨットなど)や建築(外壁)など、これからも海外展開を強化し、「グローバルな中にある日本」という考え方で進めたいです。

伝統工芸の会社で、まだグローバルブランドになり得たところはないと思うので、そこを目指していきたいです。具体的には、北米などにもショールームや拠点を検討中です。中東やサウジアラビアからのオファーも増えており、アジアも含め、世界を見ながら展開していきたいです。

織物や美しいものは言語を超え、文化は国境や人種も超えていくものだと思います。弊社の織物もシルクロードを渡ってやってきたカルチャーがベースです。そういったものを通しながら事業展開し、文化交流を通じて、次の未来の文化を一緒に世界の文化として作っていけたらと考えています。

氏名
細尾真孝(ほそお まさたか)
社名
HOSOO(株式会社細尾)
役職
代表取締役社長

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