株式会社どんたく

石川県七尾市を拠点に地域密着型のスーパーマーケットを展開する株式会社どんたくは、創業から62年目を数える。地域のインフラとして、そして食文化の担い手として、地元住民の暮らしを支え続けてきた。

先代から事業を引き継ぎ代表取締役社長に就任した山口宗大氏は、変化の激しい時代の中で、いかにして会社を成長させてきたのか。ドミナント戦略による地域深耕から、データ活用を駆使したマーケティング、そして「高質化」「エンターテイメント化」といった独自の価値創造まで、その取り組みと未来への展望を聞いた。

山口 宗大(やまぐち むねひろ)──代表取締役社長
1983年、石川県生まれ。2002年、石川県立七尾高校卒業。2006年、早稲田大学政治経済学部中退後、東京築地市場や石川県外の有力スーパーマーケットで修業を積む。2012年4月に入社し、専務取締役を経て、2016年5月に代表取締役社長に就任。事業領域は食品スーパー事業を核としつつ、地域の食文化継承や地域活性化を担う「地域支援業」を目指す。趣味は釣り。小中高校時代はバスケットボール選手として全国大会に出場。
株式会社どんたく
1963年、創業。“地域で一番「ありがとう」を集められる会社”を目指し、スーパーマーケット事業を中心とした地域密着のサービスを展開。
企業サイト:https://www.dontaku.co.jp/

目次

  1. 地元でのプレゼンスを示し地域外への進出で成長
  2. 社長就任以降進めた若返り、マーケティング、デジタル化
  3. 価格競争から脱却し「高質化」を志向したきっかけ
  4. 地域の食文化を守り、発展させる使命
  5. 先代の急逝、そして震災。危機を乗り越え強い組織に

地元でのプレゼンスを示し地域外への進出で成長

── 創業60年超の歴史を経て、売上高が150億円規模に成長するまでの流れと、経営戦略について教えてください。

山口氏(以下、敬称略) 私が会社に入ったときにはすでに売り上げ100億円は超えていました。

そこまでの流れとしては、まず先代である父が採ったドミナント戦略があります。拠点の能登・七尾市で競合他社が簡単に参入できないよう、良い場所にどんどん出店したのです。

当時、七尾市にも大手スーパーはありましたが、当社は車社会への変化にあわせて郊外の良い場所に店をつくっていきました。これが成長の第1フェーズだったと感じています。また、現状維持ではなく、より良い場所へ移転するという決断をしたことも、今となっては良かったと思います。

次に第2フェーズとして、七尾市を出て能登半島の広域へ店舗展開した時期がありました。奥能登に2店舗、周辺の志賀町にも出店するなどして、売り上げを拡大しました。

そして現在は、第3フェーズのさなかです。12年前に能登から出て金沢へ初出店し、現在は同エリアに3店舗を展開しています。時代の変化に応じて地域を選びながら出店してきたことが、成長の大きな部分を占めていると考えます。

── 第1フェーズのドミナント戦略について、大手もいる中で良い場所の取り合いやコストの壁はなかったのでしょうか?

山口 当時の能登、とくに七尾は、道路事情があまり良くありませんでした。人口は5万人以上いて港町として栄えていましたが、金沢から能登へ伸びる自動車専用道路が七尾を通らずに抜けていたため、一般道を使わなければ行きにくい場所だったのです。

そういった点で、大手が出店しづらい状況があったのだと思います。

当社はショッピングモールへの移転も経験しており、もちろん初期投資も家賃も高かったのですが、当時は十分に元が取れる状況でした。

── 現在は道路事情が良くなったことで、人の流れは変わりましたか?

山口 むしろ、人が入ってくるよりも出ていかれてしまう方が多くなったというイメージです。人口流出の方が多かったと思います。一方で、和倉温泉という大きな観光地があるので、インバウンド客に来てもらいやすくなったというメリットはありました。

社長就任以降進めた若返り、マーケティング、デジタル化

── 店舗戦略以外に、組織づくりで変えた点はありますか?

山口 私が社長に就任したのは10年前、33歳になるときでしたが、当時は幹部が全員年上でした。部長も店長もバイヤーも、先代を支えてきたメンバーがメインです。

そのため、中堅以下をどう引き上げるかが変化の一つであり、一緒に研修を受けるなどしながら、少しずつ若返りを図りました。

もう一つは、部署の新設です。マーケティングの重要性を感じ、もともとあった営業と管理の2部署に加えて「企画本部」を立ち上げ、その中に「マーケティング戦略室」をつくりました。営業とマーケティングを分けたのです。

── なぜ、部署を分ける必要があったのでしょうか?

山口 スーパーマーケットの営業視点でお客様を増やそうとすると、どうしてもチラシ広告に偏りがちになります。また、スーパーはコスト感覚に影響されやすいため、新しいことにチャレンジしづらい面もありました。

そこでマーケティング戦略室を独立させ、アプリ開発やデータ分析、デジタル化の推進などを担わせました。また、レジ担当者の所属を営業からマーケティングへ移管し、サービスレベルの向上にも取り組んでいます。

スーパーは現場が強い文化がありデジタル化が遅れがちだったので、データ活用を進めたいという思いがあったからです。

── PayPayを石川県のスーパーで初めて導入するなど、業界の中でもいち早くデジタル化を進めています。データ活用はどのように進めていますか?

山口 もともと独自に発行していた会員カードをデジタル化するためにアプリをつくり、その会員情報を顧客分析に活用しています。

たとえば、能登半島地震のあと、支援の方がたくさんいらっしゃいました。その方たちはカードをつくらずに買い物をされるので、非カード会員の比率が一時的にぐっと増え、最近また減ってきています。こうした動向を、感覚だけでなくデータで把握できるということです。

また、お客様がどの地域から来てくださっているかも分かります。店舗の大きさがさまざまなので、小さい店は足元のお客様を大切にし、競合の多い金沢の大きい店ではどのエリアからお客様が来てくださっているかを分析して戦略を立てています。

ほかにも、品ぞろえが多いため、デジタルを活用して発注ミスを減らす取り組みも進行中です。

価格競争から脱却し「高質化」を志向したきっかけ

── これまでの成長における、最大のターニングポイントは何だったと考えますか。

山口 「高質化」という言葉を取り入れたことです。スーパーマーケットは薄利多売な商売で、競合が出れば価格競争になりがちです。そこから脱却し、安売りではないところで勝負しようと舵を切ったことが、今につながる大きな転換点だったと感じています。

── もともとは価格で勝負していた時期もあったのでしょうか。

山口 価格というよりは、シェアの取り合いでした。以前は、ドミナント化によって地域全体のシェアを高め、大手に対抗していたような形です。

ただ、金沢に出店したとき、それが通用しないと痛感しました。能登では地域一番店として売り上げが取れていましたが、人口も競合も多い金沢では、ただ店を出しただけでは売り上げが伸びません。

しかしあるとき、お客様から「どんたくには、変わったものが置いてある」と評価をいただいたのです。能登の市場から毎朝魚を持ってきて販売するスーパーは当時ほかになく、まず生鮮でお客様の支持を得られました。

さらに、生鮮以外の食品でも同様に「能登から来たどんたくは、変わったものを置いている」と口コミで広がり、お客様から「あれはないか、これはないか」とリクエストをいただくようになりました。

それに応えて品ぞろえを増やすうちに、普通のスーパーにはないような品ぞろえになっていった、というのが正直なところです。

当時、私たちは「松竹梅」という考え方で品ぞろえの比率を決めていました。「松」がこだわりの商品、「竹」が売れ筋、「梅」が価格訴求の商品で、全店で「松2:竹6:梅2」の比率を目安にしていました。ところが金沢の店舗は、お客様の声に応えているうちに「3:6:1」や「4:5:1」のように、まったく違う構造になってしまったのです。

当初はこの店を「異端児」と捉え、意図してつくるのは無理だと考えていました。しかし、ドラッグストアなどとも競争が激しくなるなかで、これからは高質化した店を狙ってつくっていかないと生き残れない、と考えるようになりました。

── 「高質化」の戦略は、現在どのように進化していますか。

山口 先代が始めた「高質化」を、今はさらに深掘りしています。最近では「お買い物経験価値の最大化」や「エンターテイメント化」という言葉を使い、とくに大きな店舗では、普通のスーパーはここまでやらないだろう、ということまで意図的にやっています。

── 「お買い物経験価値の最大化」とは、具体的にどのようなことでしょうか?

山口 試食や接客、手書きのPOPなどが顧客体験として含まれますが、やはり「商品」そのものが大切です。すべての部門でしっかりとした品ぞろえをし、お客様が欲しい食材がワンストップで入手できることが重要です。

たとえば、良いステーキ肉を買おうと思ったとき、ミルで挽くような塩やコショウ、いいバターも欲しくなりますよね。付け合わせや、いつもより少し良いワインも探すかもしれません。良いお肉はあるのに、それに合う調味料やワインがなければ、お客様はまた別のお店に行かなければならず手間がかかります。

どんたくに来れば、関係するものが一通りワンストップで買える。これは高質化においても、エンターテイメント化においても、非常に大切なことだと考えています。

── 商品だけだと、他社にも真似されてしまう可能性があります。

山口 そのとおりです。だからこそ、トータルでの提案の仕方が重要になります。

そこで、私たちの強みである「地域密着」が生きるのです。地域の生産者やメーカーとコラボして商品開発をするなど、小回りが利くからこそできることがあります。大手にはできない、細やかな対応がわれわれの強みです。

昔ながらの魚屋や肉屋のような専門性がスーパーの中にあり、お客様の要望にも応えられる。そういうやり方をしないと、生き残れないと考えています。

地域の食文化を守り、発展させる使命

── たしかに能登は、能登牛や海鮮などが全国的に知られています。

山口 地域の食文化を守り、PRすることも私たちの重要な仕事です。実は今日(取材日の12月1日)が、能登の天然ブリの初競りでした。私も朝から市場へ行き、400万円で競り落としてきました。

── 400万円ですか。

山口 ええ、正直、私も最後は笑うしかありませんでした。でも、こうして地元の企業として地元のものをPRし、県内外に広めることは大切な仕事です。

食文化が根付いている地域は、食にお金をかけてくださる土壌があります。私たちは、お客様の「舌が肥え続ける」ようにすることもテーマの一つです。一度美味しいものを食べると、安くても美味しくないものには戻れませんよね。

私たちの店の商品は、知らない人が値段だけ見ると「高い」と感じるかもしれません。でも、POPや試食、関連商品の提案などを通じて一度手に取って食べてもらえれば、その価値を分かっていただける。「ちょっと高いけど、やっぱり美味しいね」と感じてもらうことが大事なのです。

地域の食文化で言えば、のどぐろは東京では有名ですが、地元の人はほとんど食べません。ズワイガニのメスであるコウバコガニも、高騰して庶民の口に入りにくくなっています。観光客だけが食べて地元の人が食べていない、という状況では食文化は根付きません。

私たちは、地元の人が当たり前に美味しい食材を食べられる環境を守り、食文化を継承し、発展させる。そんな存在でありたいと思っています。

先代の急逝、そして震災。危機を乗り越え強い組織に

── これまでで最も大きな壁やハードルは何でしたか?

山口 個人的には、先代が急に亡くなったことです。対外的には、能登半島地震は経済的な被害も大きく、会社としても大変なできごとでした。もっとも、店舗が半年間再開できないなど大きな被害はありましたが、最大の危機だったかというと、少し違います。

幸い従業員に犠牲者は一人もおらず、全社一丸となって乗り切れたので、今となっては良い経験になったとさえ感じています。もちろん、あくまでも当社にとっての話で、地域としては今も大変な状況ですが。

── 危機が良い経験になった、とはどういうことでしょうか。

山口 コロナ禍でスーパー業界はどこも業績が良かった反面、新しいことができず閉塞感がありました。コロナが明け、外食やインバウンドにお客様が戻る中で、このままではいけないという危機感を漠然と感じていました。

そこで地震が起こり、「もう一度、この地域の食を守っていかなければいけない」と、会社が再スタートを切るきっかけになったと感じています。地震はあってほしくありませんが、しかし何も起こらなければ危機感を持つことなくそのまま進んでいたかもしれません。

危機があったときに変化できるのは、私たちの強みだと思っています。

先代が亡くなったときも、カリスマ的な父の後を継ぐことに「大丈夫か」と思いましたが、なんとかなるものです。これからは、能登で上げた収益を金沢への出店の原資にするのではなく、金沢で上げた収益を能登のお客様や地域に還元する。そうしないと、人口減少が進む能登の店舗を維持できなくなると考えています。

── 次の10年に向けたビジョンを教えてください。

山口 10年先を正確に見通すのは難しいですが、まずは最近、策定した5ヵ年の中期経営計画を着実に実行したいです。

個人的には、10年後に食だけでなく「文化都市」としての地域の発展に、スーパー以外の領域も含めて寄与できる会社になりたいと考えています。人が集まる魅力的な地域であるためには、文化の存在が欠かせません。

本日の初競りが全国的に話題になったように、能登のブリが金沢や能登に来るきっかけの一つになってくれれば嬉しいです。私たちは地域のスーパーとして、インフラとしての役割だけでなく、普段から地域の食文化を守り発展させる。そんな存在でありたいと強く思っています。

氏名
山口 宗大(やまぐち むねひろ)
社名
株式会社どんたく
役職
代表取締役社長

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