1989年の設立以来、製造スタッフ派遣やエンジニア派遣・受託開発、製造特化型求人サイト「ジョブコンプラス」の運営などの人材サービスを軸に事業展開する、ディーピーティー株式会社(DPT)。近年はスマート農業分野への参入、さらにエージェント事業へと多角的な挑戦を続ける。
リーマンショックから数年は、危機的状況にも直面。しかし、創業者の営業力をチームに浸透させて逆境を乗り越え、現在は無借金経営と「人」への徹底した投資で2000人近い従業員を擁する。
代表取締役社長の竹本昭一郎氏が目指す、仕事を通じて夢を語ることができる社会の実現という将来への野望、そして同社の次なる展開を取り上げる。
企業サイト:https://www.dpt-inc.co.jp/
目次
人材サービスを軸に農業分野にも事業拡大
── DPTという社名には、どのような意味があるのでしょうか? また、事業の全体像も教えてください。
竹本氏(以下、敬称略) 当社は1989年1月に設立しました。社名のDPTは、ドリーム(Dream)、パッション(Passion)、サンクス(Thanks)の頭文字から採用したものです。日本語では「夢・情熱・感謝」を意味します。
事業は、人材サービス業を中心にビジネスを展開しています。もともとは岐阜県可児市で、製造派遣事業から始めました。
2000年には、エンジニア派遣を行うサンコーポレーションを設立。その後、創業時の会社と合併して今のディーピーティー株式会社になりました。さらに、人材派遣だけでなく求人媒体の運営も行っています。自社で「ジョブコンプラス」という特化型の求人サイトを運営しており、現在は、製造派遣とエンジニア派遣、求人サイト「ジョブコンプラス」の運営の三つが大きな柱です。
近年は、農業分野にも参入しました。ビニールハウス内の環境測定や制御を行う技術を駆使し、農業のDX化を推進しています。
2025年からは、製造・物流向けの人材紹介を行うエージェント事業も開始し、多角的な挑戦を続けています。
私自身の経歴ですが、1990年生まれの35歳です。もともとは別の企業で人材広告の営業をしていました。当社には2018年に入社し、まずは東京支社の立ち上げと営業活動に従事。2019年に本社へ戻り、会社の事業発展にさまざまな立場でかかわってきました。
そして2024年5月に代表取締役社長に就任し、現在にいたります。
── 2000人近い従業員に理念を浸透させるために、どのような工夫をしていますか?
竹本 社員のみなさんに理念を共感してもらうための活動を、大切にしています。朝礼で、理念や行動規範を唱和する時間を設けることも、その一つです。
当社には「チャレンジシート」というものがあります。これは、自分自身が将来どうなりたいかという「夢」を言語化するものです。
自身の夢に対して、来年はどのようなアクションを起こすのかを一人ひとりが設計します。これは、人事評価制度とも密接に結びつけているものです。こうした考えに共鳴して入社してくれる社員が多く、社内研修でもこの価値観を共有しています。
社員が夢や情熱、そして感謝の気持ちを持って仕事に取り組む環境をつくることが、組織の活性化につながると考えています。
無借金経営を維持し人に対して重点投資
── 創業から現在まで、重きを置いてきたことは何でしょうか?
竹本 社名にもなっている「夢・情熱・感謝」の三つは、先代が創業時から一貫して大切にしてきたことです。先代は非常にエネルギッシュで、強い営業気質を持っていました。
当社が右肩上がりに成長できた最大の要因は、この営業力にあります。創業1年目から大手企業と取引を開始できたのは、信頼も実績もない中で人間力を商品として売り込んだ結果です。
何度も断られながらも、情熱を持って同じ企業へ足を運び続ける。この営業姿勢こそが当社の根本的な思想であり、今も全社員に引き継がれている強みです。
── 無借金経営を貫いていますが、投資の際の判断基準を教えてください。
竹本 無借金経営は創業時からの信念です。お金を借りることは、経営の自由度を奪い、自らの首を絞めることにつながるという考えが根本にあります。安全かつ安定的な経営を行うために、自己資金の範囲内で動くことを徹底しています。
その上で、投資の対象として最も重視しているのが「人」です。何かの設備に投資してリターンを得るよりも、人に投資してその成長を促す考え方が強いのが、当社です。今でいう人的資本経営に近い感覚を、創業当時から持っていました。
具体的には、教育研修への投資や社員への待遇面での還元です。求人の出し方や研修内容、給与や賞与といった部分に注力し、社員の成長を支援しています。
リーマンショックを契機に生まれたメディア事業
── メディア事業「ジョブコンプラス」への参入が、DPTにとっての大きな転換点だったのでしょうか?
竹本 はい。2008年のリーマンショックが大きなきっかけです。実は、過去最高の売上高を記録したのはその前年の2007年で、約141億円でした。
しかし、リーマンショックを受けて売り上げは約88億円に落ち込み、そこから右肩下がりの状況が続きました。この状況を脱却するためには、何か新しいチャレンジが必要だと考えたのです。
これからはネットの時代だという確信のもと、ウェブ事業への参入を決めました。最初は「ハピワーク」と「限コレ」という二つのサイトからスタートしました。
「限コレ」は限定コレクションの売買サイトでしたが、マネタイズが難しく3年でクローズしています。一方で「ハピワーク」は手応えがあり、現在の「ジョブコンプラス」へと進化しました。
── 社内での反対はありませんでしたか?
竹本 反対はほとんどありませんでした。当社には、「変化なくして成長なし」という考え方が浸透しているからです。先代も常に変化を恐れず経営してきました。
1990年代、日本のものづくりが海外へシフトし始めたとき、技術派遣事業を立ち上げたのもその一環です。技術は海外へ流出しないという読みのもと、会社として未経験であるにもかかわらず挑戦しました。
ネット事業の立ち上げも、社内のエンジニアたちの発想から生まれました。彼らのこだわりの深さが「限コレ」などのアイデアにつながったのです。
トップダウンで決めるのではなく、時代の変化をキャッチし、みなで知恵を出し合って新しいことに挑戦する。この文化が当社の成長を支えています。
顧客ポートフォリオ再構築のため営業力を強化
── これまでの歩みの中で、最大の壁だったと感じる逆境はありますか?
竹本 2012年ごろに直面した危機です。リーマンショックの影響が遅れてやってきた時期でした。当時、売り上げの約7〜8割を一社のお客様に依存していました。
その主要顧客の工場が閉鎖されることになり、当社の売上高は一気に約40億円まで激減したのです。これは極めて大きな逆境でしたが、同時に重要な学びを得た機会でもあります。
一社に依存する危うさを痛感し、そこから新規営業に徹底して注力するようになりました。顧客の開拓と創造にリソースを割き、特定の企業に依存しない体制を構築しました。
現在の売上高は約110億円ですが、昔の100億円とは中身がまったく違います。健全なポートフォリオを組めていることが、今の当社の強みになっています。
── 新規開拓へのシフトはスムーズに進んだのでしょうか。
竹本 既存顧客との関係維持と新規開拓では、営業のノウハウがまったく異なります。そのため、社内教育を強化すると同時に、中途採用で新しい血を入れる二軸で進めました。
何度も失敗を繰り返しながら、先代が持つ営業のノウハウを社員に伝授しました。創業時の苦労が、結果として逆境を救う鍵になったと感じています。
「社会の夢の架け橋になる」という新たなビジョンに込めた思い
── 売上100億円を超える企業とそうでない企業の差は、どこにあると考えていますか?
竹本 大きく二つの要素があると考えています。
一つは、人材育成と権限委譲をどれだけ強く進められるかです。一人の判断に頼る経営は、どこかでスピードが限界に達します。現場に権限を委譲し、一人ひとりが判断できる組織にすると、全体のスピード感が増します。
二つ目は、経営と現場の可視化です。情報が全員に共有されているかどうかで、判断の軸が変わります。一貫性を持って、経営の意図を末端まで浸透させることが肝要です。
これらが機能しているかどうかが、企業の成長を左右する境界線になると考えています。
── 次の10年、竹本社長が成し遂げたい野心について教えてください。
竹本 新たに「社会の夢の架け橋になる」というビジョンを掲げました。これには、三つの対象があります。
一つはお客様です。事業成長や新規事業の創出を、人材を通じてサポートします。二つ目は求職者の方々です。夢を持って生き生きと成長できる社会を、私たちの支援で実現します。そして三つ目は社員のみなさんです。DPTという会社を通じて自己実現ができ、仕事を通じて成長できる環境を整えます。
私の希望は、働く人たちが目をキラキラさせて夢を語る社会をつくることです。「月曜日が嫌だ」という感情をなくしたい。仕事が人生を豊かにする楽しい選択肢であることを、証明したいのです。
駅で見かけるビジネスパーソンが格好良く、子どもたちが「将来あのようになりたい」と思えるような存在であふれる日本を目指します。
── 教育を変えたいという思いもあるそうですね。
竹本 はい。私自身の野望として、教育のあり方を変えたいという思いがあります。大学卒業後にニューヨークへ留学したとき、多国籍の学生たちのハングリー精神に圧倒されました。
彼らは授業を止めてでも手を挙げ、必死に学ぼうとします。その姿勢が世界を引っ張っているのだと肌で感じました。日本の教育の良さを生かしつつ、もっと前に出る姿勢を育みたいのです。
将来的に教育事業へ参入する可能性も十分にあります。社内での立ち上げやM&Aなど、手段は問いません。みなが夢を持って挑戦できる社会をつくるために、教育という側面からアプローチしたいと考えています。
- 氏名
- 竹本昭一郎(たけもと しょういちろう)
- 社名
- ディーピーティー株式会社
- 役職
- 代表取締役社長

