本記事は、柴田元氏の著書『日本社会の余命』(晶文社)の中から一部を抜粋・編集しています。
高齢者・障害者・認知症者をめぐる社会の幻想
近年、「共生社会」「多様性」「尊厳ある生」という言葉が繰り返し語られています。ところが、その一方で、現実の社会構造は、老い・障害・認知症といった「生の多様性」を、丁重に扱う装いをしながら実は隔離していく方向へと進んでいる現実があります。
この乖離は制度設計に問題があるとともに、私たち社会全体の死生観に対する貧困さが垣間見えているように思えます。
かつての日本では、老いも障害も日常の中にありました。家族や地域がその人の「生」を丸ごと引き受けていました。しかし、現代社会では、社会保障制度の進化により、専門施設・福祉制度・医療機関という〝専用の空間〞が整備されるにつれ、社会から見えないところでケアされるという形の隔離が広がっています。「高級介護付き分譲マンション」「サービス付き高齢者向け住宅」はその象徴です。自立・快適・安心という言葉で飾られながら、実際には高齢者を社会から切り離し、「死を静かに迎えるための管理空間」に収めているのです。
興味深いのは、こうした隔離が「強制」ではなく、本人の同意や希望の形で行われている点にあります。「迷惑をかけたくない」「子に負担をかけたくない」という美徳が、実は社会の無言の圧力に応じた自己消去の倫理を生み出しているようにさえ見えます。
まるで『楢山節考』のように、自ら山へ登る。それは道徳的な決断のようでいて、実は社会全体の「老いの否認」「死の回避」が背後にあるのではないか。
私たちは「やさしさ」の名のもとに、人間の老いと死を制度化して排除しているのかもしれません。
失われた「生老病死の連続性」
人が老いること、病むこと、死ぬこと。これらはかつて、家族や地域の中で目の前にありました。それを見て育ち、学び、次の世代へとつないでいくことで、社会は生命の連続性を維持してきました。しかし今、子どもたちは「死を見ることなく成長」し、大人たちは「老いを見せない社会」で生きています。そこには、生と死の実感の欠如が広がっています。
真の共生社会へ向けて
「共生」とは、特別な制度や建物の中で達成されるものではありません。
それは、生の不完全さを互いに受け入れる関係性の中にしか生まれないからです。
保育園と高齢者施設を一体化する試み、大学キャンパスに高齢者住宅を置く試み、障害者が地域で働く社会の実現、こうした取り組みの根底には、「人間の多様性を可視化し続ける社会」への意思があります。共生とは、制度ではなく「インクルーシブ(包摂)」「まなざし」といってもいい。
それは、老い・障害・認知症を「異なる存在」として扱うのではなく、自分自身、あるいは未来として見つめ直すことから始まります。
障害者・認知症施策における同型構造
障害者制度や認知症施策もまた、似た構造を持ちます。
「自立支援」「地域共生」を掲げながら、実際には制度の枠の中に閉じ込める形が多い。
表向きには認知症高齢者の尊厳を謳いながら、認知症を医学的治療の対象として分類し、グループホームや専用棟に囲い込むことで「社会の生きた時間」からは切り離したケアを行っている。
障害者福祉ではB型作業所が「社会参加の場」とされていますが、やはり社会との交流の場所とは言い難い半ば隔離された環境にあります。
まるでサファリパークのようです。全体の景色は自然のサファリをイメージしてはいても園内は動物ごとに高い壁で区分けされており、監視員の監視のもと動物同士の交流はありません。
動物は安全確保のためにやむを得ないとしても、人間社会もそれでいいのか疑問です。
私の医療機関では、共生社会の実現を目指して、B型作業所、保育所、高齢者フィットネス、地域ボランティア活動、バリアフリー住宅、地域カフェ、小規模多機能型居宅介護を一体型として運用(Hygge Yamamoto構想)し、高齢者、障害者が地域から隔離されないような取り組みを行ってきましたが、現在のところ道半ばにして、社会保障制度の壁や折しもコロナ禍により横のつながりが遮断されたこともあり、今のところ初期目的を達成できていません。
2025年9月現在、病院の中では6名の障害者(うち2名は車いす)が正規のスタッフとして働いています。
当院のB型作業所で働く障害者は作業所内にとどまらず、病院スタッフ、地域(認知症を含む)住民、小規模多機能施設利用者、保育所(2025年春以降一次閉鎖、外部委託)の子どもたち、カフェの利用者などとの交流を行いながら地域社会の一員としての活動を維持していくことを目指しています。
日本の年金制度について知っておきたいこと
私は経済の専門家ではありませんので、あまり詳しいことはわかりませんが、日本の社会制度を議論するうえで、最低限のことは知っておくべきだろうと思い、私の能力の範囲でまとめてみました。
公的年金と私的年金の違い
日本の年金制度は、すべての国民が加入する「公的年金」と、企業や個人が任意で加入する「私的年金」に分かれています。公的年金はさらに「国民年金」と「厚生年金」に分けられ、それぞれ対象者や給付内容が異なります。具体的にいえば、国民年金は主に自営業者やフリーランスの人たちが対象で、厚生年金は会社員や公務員が加入します。
よく「公務員はいいよね。給与は安定しているし、退職金、年金もいいしね」という話を聞きます。では、公務員の年金制度は一般の人とどう違うのか? 調べてみると、次のことがわかりました。
2015年以前は公務員の年金は独自の仕組みで運用されていましたが、同年の「年金制度一元化法」により、公務員の年金制度も厚生年金に統合され、現在では一般の会社員とほぼ同じ仕組みで運用されています。しかしそれでもなお、公務員の年金制度には一般の会社員とは一部違いがあります。
2015年以前に積み立てられた公務員年金の資産は、「国家公務員共済組合連合会」や「地方公務員共済組合」などの共済組合が引き続き管理しており、これらの資金は独自の運用が行われています。このような分離運用の背景には、公務員の職務の特殊性や歴史的な理由があるとされています。
年金積立金管理運用独立行政法人と公務員年金現在、日本の公的年金の積立金は「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」が運用しています。GPIFは2001年に設立され、2023年にはその運用資産額が約200兆円に達している、世界最大規模の年金基金です。一方で、公務員年金の積立金はGPIFではなく共済組合によって管理されているため、リスクの分散仕組みが異なります。
GPIFの利益は主に株式や債券などの投資から得られていますが、その利益が現在の年金受給者に直接還元されるわけではありません。GPIFの主な役割は、「将来的な年金財源の確保」であり、運用益は未来の年金制度を支えるための資金として蓄えられているということです。
年金制度の課題と不信感
現在の年金制度は「賦課方式」を主体としており、現役世代が高齢者の年金を支える仕組みになっています。しかし、日本は少子高齢化が進行し、人口構造が変わってしまったために、この方式では現役世代の負担が増加し、システム自体が破綻することは確実です。そのため、政府は給付開始年齢の引き上げや給付額の調整などで制度の維持を試みていますが、根本的な解決策は示されていません。また、過去には旧社会保険庁による年金資金の不正流用や記録漏れ問題が発覚し、年金制度への信頼が大きく損なわれました。現在でも、国民の年金に対する不信感は根強いものがあります。
こんなたとえ話はどうでしょうか。
ダメ親(政府)が、成人した子ども(国民)を働きに出し、その子どもたち(孫世代)の将来のための資金にあてるといって、子どもの給料から一定のお金(保険料)を集めます。親は、そのお金をもとに株(GPIF)に投資して多額の利益を得ますが、「将来の子ども(孫世代)のために」という理由でお金は貯金しています。
親は、自分の子どもの成長のためにこれまで多額の借金をしてきたので、自分たちの生活費さえも不足してきた。生活を維持するために、もう少しお金(税金)が必要だといいます。子どもが「預けたお金はどうしたの?」と聞くと、「あれはお前たち家族の将来のための貯金だから使えない」と親。子どもが「もうそんな余裕はない」と突っぱねると、親は、「お父さんとお母さんの生活費が足りないから、借金(赤字国債)するしかない」といいますが、その借金も将来的には子どもが払うことになるのです。
親が手元のお金を使わない理由は、「100年後の子孫が安心して生活ができるように貯金(100年安心年金)しておくから」というものでした。子どもはいいます。「お父さんの時代は4人兄弟だったからいいけど、僕は1人だけ。僕1人の給与でお父さんやお母さんの生活費まで払うのは無理だよ。今は僕の家族の生活費が必要なんだ」。
すると、親はこう言うのです。「じゃあ、お前も株(新NISA)で儲けたらどうだ?」
年金制度の未来
年金制度は、国民の老後を支える重要な社会保障制度ですが、少子高齢化の進展により、その持続可能性が課題となっています。政府は「つみたてNISA」などの個人による資産形成を推奨していますが、これは国民に「年金だけに頼らないで」というメッセージを送っているように見えます。
年金制度が抱える問題を解決するには、財源の確保や制度の見直しが必要です。国民の負担と給付のバランスをできる限り保ちながら「積み立て方式」などを含めた現実的な仕組みへ転換を急ぐ必要があります。
どの方法がいいのか私にはわかりませんが、すでに長い間、議論ばかりで何の行動もなされないまま時間だけが過ぎています。もう時間はありません。
先日2025年度の一般会計予算の総額が115兆1978億円となり、3年連続110兆円を超えたという報道がありました。その一方で、基礎年金底上げ法案は見送りとなり、その資金は将来世代の年金水準を改善するために使われるのだそうです。
本当でしょうか。また、先送りの感が否めません。
※画像をクリックするとAmazonに飛びます。
