
一度は解散した名門声優事務所を復活させ、現在の株式会社アル・シェアへと発展させた、同社代表取締役の藤田浩治氏。学生時代から30年間にわたり「声優」と「IT」という二つの領域でビジネスを続けてきた人物だ。
近年、音声AIの急速な進化によって声優・ナレーター業界のあり方が根本から揺るがされる中、同社は「人間にしかできない表現力」を徹底的に追求し、企業研修や地方創生といったブルーオーシャン市場へ進出。こうした中で、藤田氏が目指す「100年、200年続く組織づくり」の基盤を聞いた。
目次
先代の死去で途絶えた名門声優事務所をリスタート
── 声優業と並行してITエンジニアもしていたそうですね。
藤田氏(以下、敬称略) ええ、私の経歴は少し変わっていまして、学生時代から現在に至るまでの約30年間、ITと声優という二つの分野で仕事をし続けてきました。
最初はプロの声優として、同人舎プロダクションという歴史ある声優事務所に所属してキャリアをスタートさせました。
それと同時に、IT企業にも就職したのです。最初に就職した会社はわずか4ヶ月で倒産してしまったのですが、その後すぐに伊藤忠テクノソリューションズ(CTC)に入社しました。
約20年前からはNTTのグループ会社に就職し、そちらで働きながら声優業も行うという生活をしていました。また、NTT労働組合の本部執行委員を10年間務めていたという経歴を持っています。
5年前にNTTを退職し、現在は『踊る!さんま御殿!!』『ぐるぐるナインティナイン』『マツコの知らない世界』といった人気バラエティ番組などを制作しているテレビ番組制作会社、シオンのグループ会社のシオンステージでIT管理部門を統括する執行役員も務めています。
ITと声優業を30年間、第一線で両立し続けていることが、私の経営における最大の特色です。
── 現在のアル・シェアが立ち上がった経緯や、前身である同人舎プロダクションからの歴史を教えてください。
藤田 アル・シェアは、アニメや洋画の吹き替えなど、声の出演を専業とする声優をマネジメントする芸能事務所です。
弊社のルーツである同人舎プロダクションは、日本の声優業界の黎明期を切り拓いた先代の代表・小林修が、60年以上前に立ち上げた事務所でした。
しかし、その先代が亡くなってしまったことで、事務所は一度解散したのです。
私自身、長くお世話になった事務所の歴史を途絶えさせてはならないという思いから、引き継ぎという形ではなく、私が中心となって「もう一度立ち上げ直す」という決断をしました。
当初は「同人舎」の社名で再スタートを切り、同人舎プロダクション創業50年の節目に現在のアル・シェアへと社名変更しました。
創業から数えて、60周年を迎えました。弊社は「日本で一番最初に『株式会社』という法人格で立ち上がった声優事務所」という歴史と誇りを持っています。
声優は所属するだけでなく事業にも参画
── 現在、声優業界には約300社ほどの事務所が存在するそうですが、他社にはないアル・シェア独自の強みや差別化戦略はどこにあるのでしょうか?
藤田 弊社は規模としては中小企業にあたりますが、大手事務所にも絶対に負けない明確な強みがあります。それは、業界内で唯一、地方展開を行っている点です。
現在、東京の本社に加えて、福岡と札幌にも拠点を構えています。他の事務所でも、地方に声優養成所をつくっているケースはあります。
しかし弊社の場合はスクールではなく、札幌や福岡に地元の声優を所属してもらい、現地のテレビ局や制作会社から直接、音声の仕事を受注してビジネスを完結させているのです。
地方に展開し現地の雇用を生み出しているのは、300社ある中でも私たちアル・シェアだけです。
また、60年という会社の歴史があるため、アニメからナレーションまですべてのジャンルに対して深い知見を持っていることも強みとなっています。
── 組織として大きな壁にぶつかったことはありましたか?
藤田 2012年にわずか8人から再立ち上げを行い、最初の数年は順調に伸びていました。しかし、成長の過程で組織の分離やメンバーの離脱が起き、業績がガクンと落ちてしまった時期があったのです。
そこにコロナ禍が直撃し、3密の空間である収録スタジオで大人数での収録が不可能となり、会社は債務超過寸前、まさに潰れる寸前まで追い込まれたことがあります。
しかし、そこが最大のターニングポイントでした。私はそのとき、会社の運営を数人の内勤スタッフだけで回すことをやめ、トップクラスの所属声優たちに「業務の一部を持ってくれないか」とお願いしたのです。
具体的には、声優自身に「スタッフ化」「事業部長化」してもらい、チームを組んで新規事業や実務を回してもらう仕組みをつくりました。スタッフは数人ですが、弊社には200人以上の声優がいます。彼らが会社のために各事業部を動かし始めたことで、スピードも精度も劇的に上がり、私たち経営陣が新しい事業を生み出せるサイクルが完成しました。
その結果、弊社は今年度、過去最高益になっています。
── 声優に実務を任せるというのは驚きです。「自分は声優だから、実務はしない」というような、役者側からの反発は生まれなかったのでしょうか?
藤田 もし突然そのようにお願いしていたら、間違いなく反発が起きていたと思います。しかし私は、この十数年間ずっと「私たちは声優であるが、自分の会社を回す主体的な一員でもある」ということを全メンバーに語り続けてきました。
社風としてその意識を育てる期間がしっかりとあったからこそ、コロナという危機のタイミングで、皆が「自分たちの居場所を守るために動こう」と実務に入ってくれました。
現在では、新規事業の責任者の大半が声優です。自分たちで事業を回し、苦労して案件を取ってくるからこそ、声優として現場でも決して手を抜かず、仕事をより大切にするという素晴らしい相乗効果が生まれています。
プロの声優が考えるAIと人間の違い
── 昨今急速に台頭している音声AIという技術的脅威に対して、どのように立ち向かい、事業を展開しているのでしょうか?
藤田 私たちが先代から守り続けている伝統は、「芝居をどれだけ深く磨き、生涯を通じて役者であり続けられるか」という職人としての本質です。
しかし、音声AIの進化はすさまじく、単なる読み上げの仕事はAIに奪われてしまうでしょう。同じことを続けていては確実に淘汰(とうた)されます。
そこで私たちは、「人間がやるべきことの徹底的な追求」に最重点を置くようにしました。
2026年の今はあえて、生でやること、ライブでやること、直接人と触れ合うことに重点を置いています。AIが進化すればするほど、デジタルでは代替できない「人間の生身の表現」にこそ、新しいサービスをつくるヒントと勝機があると、とらえています。
── AIがどれだけ進化しても「人間にしかできないこと、人間にやってほしい領域」というのは、具体的にどのような部分でしょうか?
藤田 たとえばアニメのアフレコにおいて、セリフをきれいに発声することは機械にもできるようになるでしょう。
しかし、本質的な演技とはマイクの隣にいる相手の役者の声や息づかいを聞いて、自分の感情もリアルタイムに動いて出る声です。反応した感情ではないAIの生成音声を、人間は本能的に見抜きます。
また、現場でのハプニングも人間ならではの価値です。熱量が上がりすぎて声がかすれたり、裏返ってしまったりしたテイクが、「より心情的にリアルだ」と採用されることは多々あります。AIにとって、それは単なる確率論のエラーでしかありません。
分かりやすい例が、冠婚葬祭の司会です。AIがどれだけ完璧に進行できても、自分の親の葬儀や自分自身の結婚式の司会を、AIに頼みたいと思うでしょうか。「人間に寄り添ってほしい、一緒に感情を共有してほしい」というニーズがある以上、ここは絶対になくなりません。
つまり、「できるか/できないか」ではなく、「人間にやってほしいか/ほしくないか」という境界線において、人間にしてほしい声の領域を突き詰めること。それが、私たちがAIと共生するための答えです。
── 一方で既存の声優業界の構造として、トップ層がなかなか入れ替わらず、有名な方に仕事が集中するという話もありますが、将来的な展望はどうでしょうか?
藤田 おっしゃる通りコロナ禍以降、「抜き取り(一人ずつ別々に収録する手法)」が普及したことで、有名声優が短時間で多くの作品に出演できるようになり、有名層とそうでない層の格差はかつてないほど激しくなっています。この業界構造は、根本的なつくり方が変わらない限りひっくり返ることはありません。
だからこそ、私たちは既存の案件の奪い合いではなく、まったく新しいブルーオーシャンの新規事業に力を注いでいます。
新規事業で資金力をつけ、そのエネルギーを使ってゆくゆくは自分たちで資金を投じてアニメーションなどのIPコンテンツをつくり出し、実力のある声優が出演するチャンスを自ら生み出す。そういう大胆な作戦をとらなければ、この時代に新しいスターを生み出すことは難しいと考えています。
売り上げ向上の実績ある声優ならではの表現とは?
── 新規事業について、具体的にどのような取り組みをしているのでしょうか?
藤田 大きな柱となっているのが、声優の表現力を社会の課題解決に生かす「企業向け研修事業」です。
実は、日本人の84%が自分の声に対して何らかのコンプレックスを感じているというデータがあります。特にコロナ禍以降、オンライン商談などが増え、声の質や聞き取りやすさが営業成績に直結することに多くの企業が気づき始めました。
そこで私たちは、プロの声優が直接企業に赴き、声の診断をして視覚化し、表現力やコミュニケーション能力を徹底的に改善する研修プログラムを提供しています。
── 声のコンプレックスというのは、訓練で解消できるものなのでしょうか?
藤田 私は「100パーセント変わる」と断言しています。理由は単純で、今プロとして活躍している声優たちも、最初は誰一人としてまともに喋れていなかったからです。私自身を含めて、です。
声優を志す人間は、引っ込み思案だったり人見知りだったりするケースが非常に多い。しかし、私たちが持っている体系化されたメソッドに基づき、3ヵ月から半年間、日常的に正しい反復訓練を行えば、少なくとも一般のビジネスパーソンの中の上位クラスには確実に行けるという絶対の自信があります。
研修内で行うロールプレイングを通じて自分の声が変わると、周りの反応が変わることに気づき、本人に大きな自信がつきます。このサイクルが重要なのです。
こんな事例もあります。ある不動産会社でアナウンサーを起用していたマンションの物件紹介動画の音声を、テキストや映像はまったく変えずに、弊社所属声優の「表現力豊かな声」に差し替えました。
すると、マンションの売り上げが7億円から21億円へと、実に3倍にまで急増したのです。人間がいかに「声から入る感情」に心を動かされているかが分かる指標です。
巨大企業の労組での経験を経営に生かす
── これまでの数々の決断の背景にある、藤田代表が経営者として最も大切にしている価値観や哲学を教えてください。
藤田 念頭に置いているのは、「声優事務所という業界の波が激しい会社を存続させる仕組みをつくる」ということです。
声優業界では、有名声優が自身の知名度で事務所をつくることが多いのですが、その創業者が亡くなると組織が崩壊し、会社がなくなってしまうケースも非常に多いのです。
弊社も一度、その危機を経験しています。所属声優にとって事務所は自分の人生の拠り所であり、解散してフリーになるのは死活問題です。
私がNTT労働組合で1万人の組合員の前に立ち、数十万人の社員を抱える巨大企業の経営層と対話した中で学んだのは、「誰がトップでも、決して揺るがない企業存続の仕組み」のすさまじさでした。
それを、業界で最も歴史のあるこの声優事務所に持ち込み、実践・チャレンジしているのです。「AIができたから潰れた」「有名声優がいなくなったから潰れた」ではなく、100年、200年と何世代にもわたって存続し続ける声優事務所にすることが、私の最大の使命です。
── 今後のさらなる事業展開や、将来的な資金調達・パートナーシップの構想について、教えてください。
藤田 これからは、私たちが持つ「声の力」を、地方創生や自治体との連携に大きく生かしたいと考えています。
弊社には札幌と福岡という強力な地方拠点がありますので、地域の歴史や特産品と結びついた新しいIPコンテンツを育て、地方自治体と一緒に動いて大きくしていく構想です。
現時点では小規模な会社ですので大規模な資金調達は考えていませんが、こうした新規事業や地方創生の際には、外部からの資金提供や事業提携を行っていくことは大いにあり得ると考えています。
AIによる自動化が進みきった後、最後に残るのが、人間同士の会話や感情の伝達です。そのときに必ず私たちの指導する声と表現力が必要になります。これからも声優の原業を軸にしながら、企業や国と連携して新しい社会価値を生み出し、突き進みたいと考えています。
- 氏名
- 藤田浩治(ふじた こうじ)
- 社名
- 株式会社アル・シェア
- 役職
- 代表取締役