本記事は、近藤 雅斗氏の著書『エンタメビジネスの不都合な事実』(フォレスト出版)の中から一部を抜粋・編集しています。
AIがコンテンツを量産する時代に、人間が作る意味とは
ヒットを生み出すことの難しさ、そもそもエンタメビジネスが構造的に難しいものであることを述べてきました。
ビジネスとしての考えと制作現場としての考え、両面からその本質を理解しなければならないことはすでにおわかりの通りでしょう。最後に「クリエイター」、そして「人」について私の考えをお伝えできればと思います。
2026年現在、創作活動はもはやすべての人に開かれていると言っても過言ではない時代になりました。
メディアの選択肢も増え、テキストも、イラストも、サウンドも、ディレクションも、そのほとんどが仕事として成立する世の中になりました。
実際、創作で「飯を食っている人」は年々増えています。とくに最近は、制作や受発注がデジタル化したことで兼業クリエイターが増加し、本業の傍ら創作の依頼を受けて、少しずつ仕事を増やしています。
SNSを中心に、制作したものを発表する場も増えたことで、継続的して腕を磨けば少しずつでも仕事が受けられる環境になりつつあります。クリエイターエコノミーが加速したことも、彼らの生き方を多様にした要因の一つです。
しかし、残念ながら「クリエイターが増えたこと」と「いい作品が増えたこと」は、必ずしもイコールではありません。
誰もが発信できるようになった今、かえって「何を、誰のために、なぜ作るのか」という根源的な問いが、重要になっています。
これはなにも今に始まった話ではありませんが、生成AIが創作行為を代替するツールとして機能してしまうようになった現代において、この問いに向き合うことがより意味を持つようになりました。
生成AIに「〇〇みたいな話を書いてほしい」と言えば、それっぽいものが出力されます。
今後も短期間のうちに幾度となく改善され、人知れず代替されていくのは間違いありません。
こうした状況に焦りや恐怖を覚えるのはごく自然なことですが、「どんな感情を伝えたいか」「誰に響かせたいか」を決めるのは、やはり人間だと思うのです。
テクノロジーは手段であることに変わりはありません。効率化が進めば進むほど、逆説的に人の存在がコンテンツの価値を決定づける時代になると、私は感じています。
また同じように、作品それそのものにおいても。「何を作ったか」よりも「誰が作ったか」という信頼と熱量が差を生むのは間違いないでしょう。
とくにプロンプトをもとに創作物を生成するツールに関しては、「それっぽいものが、それらしく」出力されますから、すぐに均質化されていずれ「いいね!」すら稼げなくなるでしょう。仮に一時的に「いいね!」が稼げたとしても、熱を持ったファンが生まれることはないと思います。
散々述べてきましたが、コンテンツにお金を払い続けてもらうのはとても難しいことです。
非効率なことに時間と労力を割ける、奇特な人間にしかたどり着けない領域でもあります。結局のところ、組織やテクノロジーの本質は「人を活かす仕組み」になっているかどうかに尽きます。AIがどんなに進化しても、現場に立ち、悩み、決断するのは人間ですから。
※画像をクリックするとAmazonに飛びます。
