グッドパッチ

21歳で難病に倒れ死を意識した経験から、起業家への道を志した土屋尚史氏。同氏はサンフランシスコで出会った、洗練されたデジタルプロダクトから、当時まだ日本では認知されていなかったUI/UXデザインの重要性をいち早く確信し、2011年に株式会社グッドパッチを設立した。

創業後は数々のプロダクトのUI/UXデザインを手がけ、急成長を遂げる一方で、組織崩壊の危機に直面する。企業文化と組織の再構築によってこの逆境を乗り越え、2020年には日本のデザイン会社として初の上場を達成した。

上場後も大企業とのJV設立など、さまざまな形でデザインの力を証明し続ける土屋氏に、創業の経緯からAI時代に人間が担うべき役割、そして今後の展望について聞いた。

土屋 尚史(つちや なおふみ)──代表取締役兼CEO
1983年、長野県生まれ。サンフランシスコのデザイン会社でスタートアップ支援に携わった後、2011年9月に株式会社グッドパッチを設立。2020年、東証マザーズ(現 グロース)上場。株式会社スタジオディテイルズ取締役、株式会社Muture取締役、株式会社丸井グループ取締役執行役員CDXO(非常勤)、株式会社マルイユナイト取締役、株式会社ピープルアンドデザイン代表取締役、株式会社Layermate代表取締役を兼任。
株式会社グッドパッチ
2011年、設立。「デザインの力を証明する」をミッションに、「ハートを揺さぶるデザインで世界を前進させる」をビジョンに掲げるデザインカンパニー。2020年6月、日本のデザイン会社として初の東証マザーズ(現グロース)上場。企業変革支援やUI/UXデザイン等で伴走する「デザインパートナー事業」と、キャリア支援サービス・AIデザインツール等を提供する「デザインプラットフォーム事業」を展開。 企業サイト:https://goodpatch.com/

目次

  1. 病床からの一念発起とシリコンバレー行きの決意
  2. 実績ゼロから、黎明期のスタートアップと共に駆け上がった創業初期
  3. 組織崩壊からのV字回復──100人体制で起きた歪みと再生
  4. デザイン会社初の上場、そしてAI時代の最前線へ
  5. 世の中に埋もれている価値を表出させていくことが責務

病床からの一念発起とシリコンバレー行きの決意

── 土屋CEOはサンフランシスコのデザイン会社でスタートアップ支援の経験をされています。起業を意識したのは、いつでしょうか?

土屋氏(以下、敬称略) 起業のきっかけとなったのは21歳のときです。当時は大学生でしたが、白血病にかかりました。この病気によって、一度死を意識するような経験をしました。幸いにも治療薬が開発されていたため大事には至りませんでしたが、この出来事が人生の大きな転換点になります。

それまでは大学にもあまり行かず、カラオケ店でのアルバイトに明け暮れる日々でした。大学を辞めてそのまま社員になろうと考えていたくらいで、起業は考えていませんでした。

しかし、病気で死を身近に感じたことで、一度きりの人生をどう使うべきか考え、5年生のときに大学に戻りました。そして、復学後に受講した「ベンチャー企業論」という講義で、ソフトバンクの孫正義さんや楽天の三木谷浩史さんの、ご自身や身近な方々の死を意識したところから起業されたというストーリーに触れ、起業家という生き方に強く惹かれました。

自分も生きている間に生きた証を残したい。そう思ったのが22歳で、これが、私が起業を志すきっかけでした。それから、起業するなら「売る側」と「つくる側」両方を経験しておかないといけないと考え、まずは営業として働き、その後Web制作会社のウェブディレクターとして働いていました。

── どのようにしてサンフランシスコへの渡米に至ったのでしょうか。

普通に起業するのは面白くないと感じ、いわゆるWeb制作の分野で起業したくもありませんでした。事業の種を探して起業家のイベントに足を運ぶ中、DeNAの南場さんの講演会に参加しました。南場さんは「シリコンバレーのベンチャーは多国籍のチームで一つのプロダクトを作っている。これから起業する君たちも、日本人だけでチームを作ってはいけない」と話していました。シリコンバレーには世界中から優秀な人材が集まり、最初からグローバル市場を見据えてプロダクトをつくっています。その多様性とスピード感に触れるべきだと感じました。

話を聴いて、すぐに「シリコンバレーへ行こう」と決めました。当時はツテも英語力もなく、海外経験もパスポートさえもありませんでした。そのうえ妻と生まれたばかりの娘がいる状態で、渡米だけを決めて準備を進めました。そして、知人の紹介でサンフランシスコのデザイン会社、btraxの面接を受けることになりました。

面接のために渡米したのは2011年3月10日。東日本大震災の前日です。なんとか採用が決まり、一度、日本に戻り震災の混乱の中で身の周りの整理をしてから、妻と生後8カ月の娘を連れて、住む家も決まらないままサンフランシスコに移りました。

2011年3月末は、ちょうどUberやInstagramが登場したタイミングでした。「アメリカで作られているサービスは、なぜこれほどユーザーインターフェースが優れているのか」と感じました。日本ではまだUIやUXという言葉自体がほとんど使われていない時代でしたので、「この領域はこの後日本でも絶対に重要になる」と思い、帰国して、2011年9月にグッドパッチを立ち上げました。

実績ゼロから、黎明期のスタートアップと共に駆け上がった創業初期

── 創業当初、まだUI/UXという概念や言葉が浸透していない中で、どのように顧客を獲得したのですか?

土屋 たまたまお手伝いした会社が、のちに上場するGunosy(グノシー)です。創業者はサンフランシスコで知り合った仲間で、グッドパッチ設立の翌月にベータ版をローンチしていました。当時のGunosyは東大の松尾研究室の大学院生3人が作った、当時は機械学習と呼ばれていた技術を使うニュースレコメンドサービスでした。プロダクトとしては素晴らしかったものの、デザインが勿体無い。しかしながら学生からお金は取れないと思い、無償でUI/UXデザインを手がけることにしました。

Gunosyがリリースされると爆発的にヒットし、結果的に仕事が増えていきました。その後、マネーフォワード、MERYなど、当時注目を集めていたスタートアップのUI/UXデザインを次々と手がけることになります。

「あのサービス、プロダクトをデザインしたのはグッドパッチだ」という評判が広がり、どんどん仕事が増えていきました。

組織崩壊からのV字回復──100人体制で起きた歪みと再生

── 成長を続ける中で、2017年ごろに大きな組織課題に直面したそうですね。

土屋 創業5年で100人になるという、それなりの急成長でした。1年後には20人、その次の年は30人、その次は50人、100人と、倍々で人が増えていく状況でした。その中でさまざまな歪みや問題が起きました。急成長の影に隠れて見えていなかった、あるいは見て見ぬふりをしていた部分もあったと思います。

社内のコミュニケーションツールに経営陣への怪文書が投稿されたのをきっかけに、歪みや問題が一気に表出し、組織が崩壊しました。一度大きくなった組織が崩れると簡単には戻せず、当時の私には道筋も見えないまま、日々の仕事やプロジェクトの獲得を続ける一方で、会社の空気は悪化していきました。

当時はフル出社で、社員の顔は見える環境でしたが、社内の空気は非常に重いものでした。フロアで音楽をつけることさえ憚られるような、ピリピリとした状態が続いていました。

── 再構築のプロセスで、最も効いた打ち手は何だったのでしょうか。

土屋 役員やマネージャーをはじめ社員が次々と辞めていき、とにかく人を入れ替えなければならない状況でした。そこで、「この状況を変えていく意志のある人たちと一緒に働かなければならない」と考え、意志のある人たちを採用するところから始めました。さまざまな人に会ってカジュアル面談を行い、面談の最初から「組織が崩壊しています」と伝えました。

社内にいる人たちの中でも、マネジメントを担う意志のある人を立てました。当時は全社的な空気が悪化していたため、会社全体で歩調を合わせるというよりも、「一旦、自分のチームだけでも守ってほしい。自分のチームだけでもオープンなコミュニケーションができるようにしてほしい」と伝えました。それが施策の一つです。あわせて、2017年にはナレッジを溜める仕組みづくりを行い、2018年からバリューの再構築に取り組みました。

デザイン会社初の上場、そしてAI時代の最前線へ

──「デザインを基点に企業の体験を変える会社」というポジションはどのようにつくられてきたのでしょうか。

土屋 やはり、デザイン会社が通常やらないことをやり続けてきたことだと思います。資金のないスタートアップと組んだり、ベルリンにオフィスを構えたり、上場したりと、他社が選ばない選択をし続けてきたことが最も大きな要因です。

上場後も丸井グループとのジョイントベンチャーをつくったり、サイバーエージェントと資本業務提携をしたり、TVプロデューサーの佐久間宣行さんのウェブサイトを作るYouTube企画をしたりなど、他のデザイン会社とは異なる打ち手を続けてきました。

これは、デザインを表層的な絵描きの仕事ではなく、体験も、ビジネスモデルも、ブランドも、あらゆるものがデザインの対象だという考えのもと、「デザインの価値・デザイナーの地位を上げる」「デザインの価値認識を広げる」ことを目的として行ってきたことです。それらの積み重ねが、現在のポジションにつながっていると考えています。

──今、もっとも力を入れている領域はどこでしょうか。

土屋 直近はAIです。AIの進化はめざましく、デザイナーに限らずどんな職種でも影響は受けます。私たちは「デザイン×AI」を掲げて積極的にこの領域へ投資し、変化の最前線にいることを大事にしています。

最近では、AIデザインツール開発の「Layermate」の子会社化、組織のAI活用を推進する専門組織「Gp-AX Studio」の設立、Claude Codeの全社導入によるアプリ制作令など、体制の強化だけでなく、AIをどこよりも使える会社になるよう、さまざまな取り組みをしています。AIを前提とした組織の形態や制度、業務プロセスを変えにいく意思決定をし、全社的に進めている状況です。

また「AIが作ったものだと分かるとブランド価値が下がる」という意見も一部にありますが、それは時間の問題でなくなっていくでしょう。たとえば、先日私が書いた記事はAIと20往復以上のやりとりをした上で、95%はAIが書き、残りの5%は私自身が書いたものでしたが、多くの方に読まれました。AIが一定のものを出力した先に、残りの5%を埋める人間の想像力や、読み手や受け取り手の期待値を上回る視点、審美眼が価値になります。AIの出力を鵜呑みにせず、自分の中に明確な「WHAT」を持つことが重要だと考えています。

世の中に埋もれている価値を表出させていくことが責務

── 創業から14年が経過しました。これからの10年でグッドパッチが果たすべき社会的役割をどう描いていますか?

土屋 私たちが掲げる「ハートを揺さぶるデザインで世界を前進させる」というビジョンと、「デザインの力を証明する」というミッションは、変わりません。ビジョンが示す「新しい価値の創造」とミッションが示す「課題解決」を一貫して行うことがイノベーションになります。

創業以来、ずっとやり続けているのは「デザインの価値」の問い直しであり、デザインの影響範囲や価値認識を広げ続けることです。社会の前提や足元が大きく変化する中で、デザイナーという仕事を生き残らせ、より価値のあるものに昇華させていくこと、そして世の中に埋もれている価値を表出させていくことが我々の責任だと思っています。

── 最後に、読者の皆様へのメッセージをお聞かせください。

土屋 他の会社がとらない選択をし続けることが、グッドパッチの独自性を築いてきました。上場や組織の拡大、大企業とのジョイントベンチャー設立など、さまざまな取り組みで「デザイン」という産業の価値を上げようとしていくこと自体がそもそも他の会社がやろうとしなかったことですし、その姿勢が評価されてきたと感じています。

また私は、どんなに苦しい状況にあっても、どうやって「逆転」するかを常に考えています。AIによる大きな変化は、ともすれば「逆境」と受け止められがちではありますが、グッドパッチはずっと逆転し続けてきた会社です。ご期待いただければと思います。