相続、不動産、年金、証券代行、資産運用──。三井住友信託銀行が扱う信託業務は幅広く、顧客ごとに合わせた「少量多品種」のオペレーションが積み重なる。稼働するシステムは約400を超え、パッケージやSaaSだけで約300、EUC(エンドユーザーコンピューティング)は約4000を超える。
この信託銀行ならではの複雑さを抱えながら、株主総会対応AIから、AIエージェントによる現場オペレーションの自動化まで自社で内製した独自のアプリケーションを展開してきた。DXを主導するのが、I&T戦略企画部の平方壽人氏だ。
「ITではなくI&T」という部門名に込めた狙いから、信託そのものの進化まで話を聞いた。
目次
“IT”から“I&T”へ──情報とテクノロジーで作り直す
── まずご経歴と、I&T戦略企画部のミッションを教えてください。
平方氏(以下、敬称略) 2018年にデジタル企画部が新設され、私はその立ち上げから参画しました。
以来、RPAからデータサイエンス、AI、ブロックチェーン、さらにデジタルアセットやWeb3、量子といった領域まで、先進技術を追いかけながらDXに取り組んできました。
2025年に、IT部門を統括するIT統括部とデジタル部門を1つにまとめてテジタル企画部とし、今年から「I&T戦略企画部」と名称を変えました。
あえて「IT」ではなく「I&T」としたのは、これからは従来のITだけではなく、AIやデータなど先進技術含め、あらゆるテクノロジーを使いこなす必要があるからです。知的資源である情報(Information/Data)と実装・運用を担う技術(Technology)を戦略的に使い、現代に合ったエンタープライズ・アーキテクチャを再構築するというコンセプトを込めています。
── 従来のIT部門とデジタル部門は、どう役割が違ったのでしょうか。
平方 IT部門は、既にある業務を実現するためにシステムを構築する役割。デジタル部門は、先進の技術群を使ってビジネスの可能性をどう広げられるかを探る役割でした。それまでは両輪を分けて推進してきましたが、次の実装段階に進むべく敢えて統合したのが今の形です。
AIの実装を「内製」する──現場のボットから株主総会まで
── 「新技術領域への挑戦」「AI&データドリブンの高度化」「オペレーションの変革」「I&Tのモダナイズ(人材リスキリング/組織体制など)」という4つのデジタル戦略のうち、御社らしさが最も表れているのはどこでしょうか。
平方 どれか1つではなく、共通して言える特徴ですが、AIをはじめとする先進技術群の実装の「内製化」にこだわりを持っていることだと思います。
2021年に、TrustBaseというデジタル戦略子会社を作りました。銀行とは別の環境を構築し外部から人材集め、同時に内部からの人材も並行して育成。今は70〜80人規模です。クラウドをはじめ、AIやデータ、ブロックチェーン、量子といった技術群は一過性のものではなく、今後の企業として当然に活用するものになると考えているため、その知見は外部に頼るだけでなく、自分たちでも実装できるレベルに持っていくべく研究を重ねています。
生成AIが広く登場する以前からAIに触れてきました。たとえば相続に関するAIを作るときには、当社が出版する相続に関する専門書をデータ化し、文章を分割しながら学習させ、そのチャンクの長さと回答精度の関係を検証する、といったことから進めてきました。結果、今のAIの著しい進展や扱い方に対しても、手触り感を持って対応することが可能になっていると思います。
社内ではRAGのプラットフォームを自前で構築し、現場の一人ひとりに、自分の業務ナレッジを入れてボットを作ってもらう取り組みも進めています。信託銀行は少量多品種のため、属人的な業務や暗黙知が多く存在します。自身が持つナレッジをBotにしてもらうことで形式化を進め、複雑な信託銀行のオペレーションの再現性を高めたいと考えています。
対外的に発表したものでは、株主総会のAIがあります。弊社では株主総会に向けて数千に及ぶQ&Aを作成し対応しています。この回答案を学習させ、株主からの質問に適切且つわかりやすい回答ができるAIを構築したものです。
株主が質問している最中からその発言を要約しはじめ、株主にとって適切に回答するポイントを探り、3つほどに要約して提示。回答する役員はそれを参考にしながら回答する、という仕組みです。自社で3年ほど試行しデータやアーキテクチャに改良を重ねてきた内製の成果です。
── こうしたツールは、外部提供も考えていますか。
平方 ニーズが高いものであればサービスとして提供したいと考えています。
株主総会の回答は、多くの上場企業が同じ悩みを抱えている領域です。毎年数千件規模のFAQを作り変えて対応している企業もあります。これらの手間も時間を省き、また株主への回答として適切さも確保できます。
またFAQは総会だけでなく、あらゆる業務が複雑になる昨今においては、日常的な現場の業務に欠かせず、しかも大量にあります。
どの質問だとどの程度の精度が出るか、一問一答で制御した方がよいか、どのモデルが向くか──内製で試してきたからこそ、こうしたノウハウが蓄積できています。
どこからDXするか──「少量多品種」という現実
── 業務の種類が非常に多い中で、どこから優先的に手をつけるのですか。
平方 生産性の向上に効果の高い複雑な業務プロセスからと思います。複雑な業務プロセスを抱えつつも、堅確なオペレーションをしているミドルバック業務は候補です。
特定の業務というより、少量多品種、テーラーメードな商品サービスを実現している事務部門や、19拠点にまたがるコールセンターなどのCX領域はAIとの親和性が高く取り組んでいきます。
信託銀行として堅確で安心できるオペレーションを築くため、長年にわたり改良を重ねてきています。その結果、業務プロセスは長大で複雑に絡み合い、システムと人で運用する作業はもはや“アート”に近い。
稼働システムは約400、パッケージやSaaSが約300、登録管理しているEUC(エンドユーザーコンピューティング)だけで4,000を超えます。
信託銀行は業務プロセスが長く複雑ですが、反面これをAIで再現・再構築できれば、これまで一部の顧客にしか届けられなかった信託機能を、より広く社会に提供できるようになります。
── 複雑な業務プロセスの把握自体が大変そうです。
平方 私が入社した30年前からの課題です。常に業務プロセスの見直しを続けてきました。
あるローンの受付業務にプロセスマイニングをしたことがあります。チェックポイントは4〜5個なので単純だろうと思ったのですが、2週間処理ルートを追いかけたところ約180通りありました。
ローンの種類やキャンペーンによる金利差、銀行統合によるシステムの違いなどで例外の分岐が多く、複数システムを使いこなして処理をしていました。
この複雑性をルールベースで整備するのは難しいですが、画面キャプチャを数秒ごとに取得し、キーストロークと合わせてデータを落とし、AIで業務プロセスに落とすといったことも試しています。Codexを使いながらAIで180通りを追うことも可能ですし、余分なルートの整理にもつながると考えています。
社員の7割DX人材化と「データの重要性」
── 正社員の7割をDX人材化する計画を掲げていました。具体的な内容を教えてください。
平方 信託銀行は人材が命で、もともと法務・税務・財務、宅建などを必須とするカルチャーがあります。
そこに、ITパスポートや基本情報技術者、G検定といったITやAIの基礎的素養なども「信託銀行員として必須のスキル」と位置づけ育成プログラムに盛り込みました。学習支援としてUdemyを全員に配布し、到達レベルを段階で定めています。ITパスポートを数千人規模で保有しているのは、珍しいかもしれません。
とはいえ資格取得は本人にとって負担でもあるので、重視しているのは内発的な動機づけです。魅力的な研修や、得られる能力を発信してインセンティブが生まれるよう常に改良をしながら進めています。
前の中期経営計画では、社員の過半数をあるレベルまで引き上げる目標を掲げ、達成しました。今はAIの進化が速く、AIの活用量そのものが成果になってしまいます。AIを使いこなす人材の育成に注力しています。
経営のど真ん中へ──サイバー、そして信託の進化
── AIの進化はサイバー攻撃のリスクも高めますが、その点はどう考えていますか。
平方 実際にフロンティアAIへの対応が求められるようになりました。AIの活用を前提としたゲームチェンジでスピードや考え方がまったく変わります。守る側としても、組織ややり方を変えなければなりません。ITリスク統括部という専門部隊で体制を拡充しています。
従来のITでは「止めないこと」を前提に整えてきましたが、これからは「止めることもある」という前提に立ち、ITだけでなく事業側・経営側にも脅威を共有して対応する必要がでてきています。かつてシステムは経営から遠い存在でしたが、今はビジネスと密接になってきています。
── 資産運用立国という国策の中で、信託はどんな役割を果たしますか。
平方 信託には、たとえば、プロの運用を一般の投資家に届ける「質的転換機能」や、長期の運用を短期で提供する「時間の転換機能」、小口化や期間にリスクを切り分けて提供する「リスクの転換機能」といった機能があります。
これらは中世の時代から、時の権力者から資産を守り、世代を超えて資産を継承するために創られた信託の機能です。いわば“いにしえの知恵”であり、それを実装しているのが信託の金融プラットフォームです。
従来からある金融機能を持ちながらも、投資信託の資産や株主保有者の名簿を管理し、年金業務では運用だけでなく制度設計から分配事務も行うなど、金融インフラの深い層で支えています。これら機能はデジタル化されても必要になると考えています。
── DXによって、信託そのものはどう進化するのでしょう。
平方 “信託”は、お預かりする際にその資産が本物かを見極める力を磨き、受託者として責任ある振る舞いがあり、その資産を社会や未来へつなげようとする意志が根付いています。
あらゆるものがデジタル化され、AIがこれらのデータを処理する時代になっても、“信託”の持つ原則は不変と思います。
むしろ、デジタル化で情報やデータが膨大となり“何が真正か”が問われる中で、信託の重要性は増す。この信託の機能を使い、信託銀行の文化を、社会的にも経済的にも価値として提供していきたいと考えています。
── こうした変化の時代に、DXを担う人たちはどんな心構えを持つべきでしょうか。
平方 今の技術革新は大きな転換点で、DXの担当者はその当事者です。未来の方向を見据え、どうあるべきか、どう価値を出すかを自分で考えられる。正解がない分、未来を作るつもりでチャレンジすることではないでしょうか。
困難は多いけれど、とてもやりがいのある、幸せなポジションだと思います。