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(写真=PIXTA)


五輪ビジネスモデルは「エンブレム型」から「招致ロゴ型」へ

2020年東京五輪・パラリンピックを巡る混乱が続いている。新国立競技場に続き、公式エンブレムのデザインが白紙撤回されたが、それは新たな出発点に過ぎない。今後どのようなプロセスでゴールを目指すかが重要だ。

今回の問題点は、国民不在の結果のみならず、意思決定の過程が不透明だったことにあるが、そこには商業主義に立脚した五輪ビジネスモデルの課題が垣間見える。

84年ロサンゼルス大会以降、五輪の商業主義が鮮明になったと言われている。多額の税金を投入せずに巨大なスポーツイベントを実現するには、安定した興行収入源が必要になるのだ。

前回64年東京大会は10月開催だったが、2020年は、なぜ競技者にとって適切とは言えない猛暑の7、8月に開催されるのか疑問に思う人も多いだろう。それは大会運営費の大部分を占めるテレビの放映権料を獲得するために、欧米の人気プロスポーツのオンシーズンと競合しない期間設定になっているからだ。

公式エンブレムが白紙撤回され、代わりに招致ロゴを使えないかという声があった。しかし、それは困難だという。招致ロゴは広く五輪を招致するために無償で使用できるものだが、公式エンブレムは大会運営の収入となるライセンス商品で、巨額の協賛金を支払ったスポンサーに独占使用権が与えられるものだからだ。そのためデザインの発表まで、機密性の保持など厳しく管理されていたという。

今回のオリンピックの基本コンセプトの中には、アスリートが最高のパフォーマンスを発揮できる大会を目指すことが謳われている。しかし、競技者の移動の負担を少なくするコンパクトな施設配置は、その後の財源不足から見直しを余儀なくされた。

一体、今回の五輪コンセプトとはなんだろう。元陸上五輪選手の為末大さんが、『様々な混乱の原因は、五輪コンセプトが不明確だからではないか』と語っていた。国民から遊離し"アスリート・ファースト"を置き去りにしてしまったらオリンピックにはどんな意味があるのだろう。

成熟社会におけるオリンピックは、国威発揚や経済成長だけを目指したものではない。本当に国民から愛される大会を招致するためには、アスリート、スポーツ関係者、多くの国民が一体となって、真のスポーツの祭典にふさわしいコンセプトを創造し、広く世界中の人々の共感と賛同を得て、運営資金の一部をクラウドファンディングで集めるくらいの気概が必要だ。

今後の五輪ビジネスモデルは、一部企業に特権を与えて希少価値の独占による多額の資金提供を前提とした「エンブレム型」ではなく、不特定多数の人の大きな支援により集めた資金に基づく「招致ロゴ型」を目指すべきではないだろうか。

土堤内 昭雄
ニッセイ基礎研究所 社会研究部

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