「負けられない。女のドライバーを馬鹿にする奴には」
「え? まっ、真子ちゃん?」
「次のコーナーでバックミラーから消してやるわ」
「ちょっと待って、真子ちゃん!やめて!」
クルマに乗ると人格が変わる、というのはよく聞く話である。みなさんも家族や知人などハンドルを握ったとたんに、人が変わってしまうのを目の当たりにしたことがないだろうか。筆者も以前はそんなタイプのドライバーで、婚約者の彼を助手席で失神させてしまったこともあった。
確かに急な割り込みなど、相手側に非があることが多いのは否めない。都内では乱暴な運転をするタクシーも散見されるが、そんな場面に遭遇すると激しい怒りがこみ上げてくるのも理解できる。しかし、普段は虫も殺さぬような温厚な性格にも関わらず、運転を任せると急に汚い言葉で他のクルマを罵倒し、攻撃的になるのはなぜだろう?
戦闘服を着ると「勇敢になる」のに似ている
クルマに乗ると人格が変わる原因として「ドレス効果」と呼ばれる深層心理が指摘される。「ドレス効果」とは、ドレスを身に付けることで気持ちが引き締まり、立ち居振る舞いが変化することにたとえられている。具体的には、軍人が戦闘服に身を包んだり、警察官が制服を着用して勇敢になる、或いはビジネスマンがスーツを着るとやる気スイッチが入るのもドレス効果のひとつとされている。
クルマも同じで、強そうに見えるオラオラ系ミニバンや、威圧感のあるハイパワースポーツカー、一目でそれと分かる高級車に乗ると気が大きくなりがちな側面がある。自分がそのクルマに乗っているという意識に加え、内装や車内に反響するエンジン、バックタービン、ブローオフバルブの音も気分を盛り上げることになる。
クルマの中は、閉鎖空間であり、いわば自分の城でもある。公共交通機関のように他者とふれあうことのない空間では、いつもよりリラックスもできるが、同時に日頃たまっているストレスを吐き出したくなるというマイナス要素も出てくる。
加えて、クルマの運転中は「匿名性が高くなる」ことも重要な要因だ。道路上では誰が運転しているのか、というよりは、車種によるID判別をするしかない。ネットの掲示板のように匿名だと強気になる人が多いところを見ると、車内は匿名性によって攻撃的になりやすいという性質も否定できない。
『ルシファー・エフェクト』ジンバルドー博士の実験
1971年、スタンフォード大学の心理学者で『ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき』の著者でもあるフィリップ・ジンバルドー博士が興味深い実験を行っている。
いわゆる「スタンフォード監獄実験」と呼ばれるもので、一般から募集した被験者を看守役と受刑者役に分け、それぞれの制服を着用してもらい「実験監獄」での様子を観察した。
結果は、時間の経過とともに囚人の服を着せた被験者は弱気になる一方で、看守の服を着用した被験者は傲慢になり、果ては囚人役を虐げる行動にエスカレートするというものだった。ジンバルドー博士の著書のタイトルにもある「ルシファー」とは、魔王サタンが堕落する前の天使の呼称であるが、文字通り「天使が悪魔に豹変する」ような光景が見られたという。あまりにも危険なことから、実験は急きょ中止になったほどだ。
スタンフォード監獄実験が示す通り、「ドレス効果」は世界共通で人間の行動に少なからず影響を与えていると考えられる。
愛する人を悲しませてはいけない
しかしながら、クルマを販売する要素としてはドレス効果がとても重要な意味を持つ。「このクルマを買えば、なりたい自分になれる」とイメージさせることで、購買意欲を刺激するからだ。実際、クルマのCMには強そうな俳優を起用して、購入後のユーザー像をイメージさせるものも見られる。
ドレス効果自体は悪いものでもなく、前述のビジネスマンの例など、モチベーションが上がるような正の効果もある。また、そのクルマが持つイメージを自分なりに理想化し、そこに自分を合わせる努力を促す側面もあるだろう。憧れの一台を手にいれるために、そのクルマにふさわしい人間になりたい。そんな想いが、学業や仕事での向上心の源となれば、目に見えない良い効果を生み出していることにもなる。
クルマの運転を通じて、非日常的な時間を過ごせるのは素敵なことだ。ただし、家族や恋人など自分にとってかけがえのない人を悲しませるようなことは絶対にしてはいけない。そのことを肝に銘じておけば、素晴らしいカーライフを満喫できるだろう。筆者自身、自戒を込めて切に願わずにはいられない。愛する夫のためにも。(モータージャーナリスト 池谷真子)