麻生太郎財務・金融相は4月8日の閣議後の会見で、HFT(高速取引)について「相場急変動の要因のひとつになっているのではないか」と述べ、金融庁はHFTの規制に乗り出す検討をはじめた。
HFTとはHigh Frequency Tradingの略で、「コンピューターを用いた金融市場での高速売買」のことである。現在、HFTは市場取引注文の50%を超える。
世間ではHFTに対する批判的、懐疑的な意見をよく耳にするが、それら意見の多くは事実に基づかない非論理的ものであると考えている。
HFTやアルゴリズムトレードを当社(CMDラボ)で扱っているからそう言うのではない。
おそらく日本で誰よりもHFTのデータを分析し続けてきた人間だからこそ、HFTの実態を知らずにイメージだけで語られる状況が許せないのだ。
あまり知られていないHFTの3つの事実
日頃からHFTの取引データの分析をしているからこそわかることもある。以下にHFTに関する3つの事実をあげよう。
(1) HFTはほかのHFTに対して連鎖的に反応できていない
データを見る限りHFTはほかのHFT、つまりほかの運用者の動きに反応できていない。データがネットワークを経由するタイムラグと、演算速度が原因だ。
たとえば注文命令が自宅のパソコンから東京証券取引所内のサーバーに到達し、それが処理され、その結果が自宅に帰ってくるまで50ミリ秒はかかる。仮に証券取引所のすぐに横に設置されている高速売買専用のコアリション・サーバーを用いても往復10マイクロ秒(10万分の1秒)弱はかかる。
HFTによる取引が連鎖的に行われ、株価を急変動させるには、自分以外のHFTの動きを観測・分析し、どのように対応するかアルゴリズムで判断する必要があるわけだが、演算処理にも時間がかかる。その計算をしている間にも株価は値動きを続けるのだ。
プログラム注文が相場の偏りを生み出すひとつの要因ではあることは間違いないが、アルゴリズムトレードは市況にリアルタイムに反応することはできない。
「HFT=瞬時に何でもできる」と思うことは早計である。
(2) HFTによる値動きの速さは人間の認知能力をはるかに超える
視覚情報を人間が処理するのに要する時間は、300~500ミリ秒である(1ミリ秒=1000分の1秒)。一方、HFTはひとつの取引を1ミリ秒で完了させる。
すなわち、人間がHFTの取引内容を認識して、それに即座に反応したとしても、その間に500回分の取引が行われることになる。
このような環境下で人間が市場の動きを捉えることは不可能だ。
捉えることができないのに何を根拠にHFTがマーケットを荒らしていると言えるのだろうか。そもそも市場はたった1つの注文でも大きく変動するというのに。
(3) HFTによる株価急変動は観測されていない
私の試算では、東京証券取引所で即座に約定しうるすべての売り注文を同時に買うアルゴリズムを実行すれば、おそらく約1ミリ秒の間に平均株価は5~7%上昇する。
しかも、こうしたプログラムを組むことは難しいことではない。
マネックス証券を通じて提供している当社のiAlgo(http://promo.ialgo.jp/)という情報サービスでは、個々の銘柄について買い注文を入れると市況がどう変わるかという情報を5秒毎にリアルタイムで表示している。このサービスはHFTの専門業者向けの情報ではなく、個人投資家向けに提供されている情報である。
それにもかかわらず、これまでのところHFTによる上記の動き(瞬時に5?7%上昇)はiAlgo上で観測されたことはない。
最も株式市場が乱高下したのはHFTの存在以前
バブル崩壊時期にあたる1990年は、同日中に日経平均先物がストップ安やストップ高を記録するような激しい乱高下を見せた日があった。
一方、今年の1月29日にマイナス金利付き量的・質的金融緩和の導入(黒田バズーカ3)が発表された日や、先日のイギリスによるEU離脱が決まった日の値動きは、確かに大きなものではあったが、1日の間で日経平均先物がストップ安やストップ高を付けるような取引状況ではなかった。
当然だが、1990年にHFTなど存在していなかった。
これが意味するところはHFTがなくても市場は荒れる特性を持っているということであり、さらに言えば、HFTがなかった時代の方がもっと荒れていたということである。
売買制度の変更も影響
相場変動の一因は売買制度の変更にもある。
2010年1月4日に東京証券取引所のシステムの発注処理時間が、それまでの「2秒」から「数ミリ秒単位」にアップグレードしたとき、実は売買制度も若干変更されている。
たとえば、ある銘柄についての需給バランスが崩れたときに表示される特別気配(買い優勢、売り優勢といった表示)の更新時間が、以前は3分毎だったものが、1分強の周期に変更された。
さらに、以前は一注文が約定するまで他の注文を受け付けない「同期処理」をしていたが、変更後は、約定の連絡を送る前でも来た注文は受け付けるという「非同期処理」に変わった。
これらの変更によって東証の注文処理時間は世界の金融市場とようやく同じレベルとなり、結果として以前より短い時間でより大きく株価が変動するようになったわけである。
相場急変動の主原因はインターネット
結論を述べよう。マーケットの動きがこれだけ早くなった最大の原因はインターネットによる情報環境の変化である。
私がかつて外資系金融機関のソロモンブラザーズでトレーディングの実務にあたっていた頃は、専門的な情報を調べるためには資料室に足を運んだり、専門機関に問い合わせをしたりする必要があった。
しかし、いまではインターネットを使えば、それと同等、またはそれ以上の情報を、機関投資家だけでなく個人投資家ですら瞬時に手に入れることができる。
情報が集約されれば売買のモチベーションが上がり、株価の急騰や急落が増えるのは必然である。
市場が荒れるのは市場参加者の思惑や振る舞いが原因であって、インフラが原因ではない。
その思惑や振る舞いを助長したのがインターネットという情報ループやアルゴリズムトレードであり、発注速度は直接的に関係ないのだ(アルゴリズムトレードについては別の機会に取り上げたい)。
HFTが市場の乱高下を助長している部分はゼロだとは言わない。しかし、HFTを規制したからといって市場が安定するとは到底思えない。HFTが存在していなかった1990年の市場が今より荒れていたことがそれを証明している。
HFTは高速過ぎて人の目には見えない上、最先端技術に疎い人から見れば何やら怪しい飛び道具のように思えるのだろう。私が思うに、「HFTは悪者だ」と決めつける人に限ってHFTを一度も使ったこともなければ、HFTがどういうものかもわかっていないではないか。
新たな金融サービスをつくりだすときも、何事も事実に基づき、整理して考えることが肝心だ。そうした整理もせずに、せっかく金融サービスを変革するチャンスである今の時代に、インフラの進化に対して国家が規制をかけるなど言語道断である。
よくわからないからと言って感情論や抽象論に終始する限り、進歩はない。
現実を見つめ、それを受け入れる人にこそ未来はあるのである。
尹 煕元(ユン・ヒウォン)
金融システム白熱教室
CMDラボ代表。慶応大学院博士課程修了(工学博士、数値流体力学)。証券会社にてトレーディング業務などに従事。2007年に最先端金融工学の開発・研究を行うCMDラボを立ち上げ、金融データの分析や可視化など先駆的な取り組みを続けている。デジタルハリウッド大学院「サイバーファイナンスラボ」主幹。同ラボの
次回ミートアップ
は6月30日(木)を予定。
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