7月31日に開票が行われた東京都知事選で、初の女性都知事となった小池百合子氏。

当然のことながら、小池氏の政策や政治家としての歩みは大きく取り上げられていますが、実際、「一体どのような女性なのか?」という部分についてはなかなか見えづらい部分もあると思います。

小池氏のパーソナルな部分について知りたいと考え、本人の手記を中心に調べてみると、意外な一面が見えてきました。





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さて明日からは気持ちを切り替え、いよいよ東京大改革。しっかりと進めていきます。 頑張ります!これからもお支えください。#CreateNewTokyo_Yuri #都民が決める #小池百合子 2016年7月31日 23:00 2,2282,228件のリツイート 4,778いいね4,778件





なぜアラビア語に興味を持ったのか?

まず、小池氏の公式プロフィールを簡単にご紹介します。

公式ウェブサイト によると、昭和27年7月15日、兵庫県芦屋市生まれ。昭和51年にカイロ大学社会学科卒業し、アラビア語通訳を務めたのちにキャスターとして活躍。平成4年に政界に転身後は、参議院議員1期、衆議院議員8期連続当選し、平成19年7月には女性初の防衛大臣に就任しました。座右の銘は「備えよ、常に」。

ここでまず興味深いのが、「カイロ大学で学び、アラビア語の通訳をしていた」という経歴です。国際的に活躍する仕事を目指すのであれば、公用語である英語を本格的に学ぼうと考えるはず。小池氏はアラビア語を学ぶ選択をした理由について、下記のように語っています。

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小池氏が、大多数の人が選ばないような選択をした背景には、両親の教育の影響もあるようです。

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小池氏のユニークな母

小池氏のお母様もユニークな人のようで、このようなエピソードが語られています。

「カイロ大学留学中の私を訪ねてきた母は突然、日本料理店を開きたいと言い出した。(中略)重大発言から一年後には市内からちょっと離れた住宅地に日本間付きの料理店を開店していた。専業主婦から料理屋の女将編の一大変身である。」

60歳を過ぎてから海外へ移住し、新しく仕事を始めようとするバイタリティに驚かされます。下記のようなお母様の発言からも、小池氏が母から「女性が自立した考えを持つ必要性」を幼い頃から教えられてきたことがわかります。

「『結婚を目的にしちゃダメ。夫がいつ交通事故であの世に行くかわからないでしょ。いつでも自分で歩けるようにしておきなさい』(中略)自立するためには、『プロを目指しなさい。中途半端はだめよ』。(中略)『やってみなくちゃ、わからない』が口癖の母からパイオニア精神を学んだ。」 (出典:小池ゆりこオフィシャルウェブサイト コラム・寄稿 オヤジとおふくろ 素人のクソ度胸 文藝春秋編 1992年5月 )

ご両親の教えである「人と同じことはしない」は、このような行動にも表れています。

小池百合子新都知事は、元祖・意識高い系女子バックパッカーだった!2016.08.04付

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政治家になったキッカケは

そんな小池氏は通訳を務めている中、テレビの特番でリビアのカダフィ大佐などインタビューのコーディネーターをしたことがきっかけで、ニュースキャスターになったそうです。

参考:ZAKZAKby夕刊フジ 小池百合子 金正男密入国時に「日本から出すな」と進言した 2016.08.06

小池氏は「ワールドビジネスサテライト」の人気キャスターとして4年間活躍したのち、平成4年に政治家に転身します。政治家を志した理由について、このように語っています。

六つの大罪

六つの大罪

キャスターを務めていた頃、日本の政治の無策による混乱を目の当たりにし、政治家を目指した小池氏。世の中の出来事について、当事者意識を持って考えていたことが伺えます。

1998年、子宮摘出手術を受けています

小池氏は1998年、子宮筋腫のため子宮を全摘出する手術を受けています。手術・入院生活を経た小池氏は、下記のように語っています。

「自分が痛い目に遭って思ったのは、この日本社会は、どこか間違っているということ。子宮筋腫で子供が生めない女性たちが増えているのも、社会に矛盾があって、ストレスが多いからではないか。それが少子化現象にも結びついていると思う。」

(出典:小池ゆりこオフィシャルウェブサイト コラム・寄稿 女性セブン7月23日号掲載 「宣告一瞬!子宮喪失 母になる夢破れて」

「この入院生活を通じて、私は各党が打ち出している少子化政策に違和感を持った自分に気づく。子供を産めば税金をマケるといった類いの政策は、問題の本質からズレている。これは明らかに男社会の発想だ。少子化はこれまでの男社会が築いたシステムに対する女の意識、無意識の反乱なのだ。これからは少子化を前提とした国家プログラムを組むべきだろう。」

(出典:小池ゆりこオフィシャルウェブサイト コラム・寄稿 手記 小池ゆりこ「子宮全摘出」の記録

自身の実体験を通して、現在の政策や少子化問題などについて活かしていこうと考える小池氏。悲しく辛い経験を乗り越えて仕事に邁進する小池氏の行動は、同じ女性としても尊敬できる部分があります。

女性であることに対する考え方

男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年。小池氏の若い頃は、女性が就職で差別を受けたり、希望の職種につくことが難しいことも多くありました。小池氏は、下記のような考えを持って生きてきたと述べています。

「女であることが就職には不利と覚悟したことから、私は以前から「非武装忠実」よりも「武装自立」の考えで生きてきました。会社への忠誠を尽くしても、会社が潰れちゃあ、悲劇じゃないですか。自らを技術や知識、経験で武装する。自らは自らで守る。それが武装自立の精神です。」

(出典:コムネット20号 1999年5月、『大失業時代を乗り越える』

また、過去にはこのような発言もしています。極端とも受け取られかねない発言ですが、男性ばかりの政界で女性が立場を確保し、自分の目標に向かっていくためには、さまざまな戦略を練って邁進することが不可欠であったという現実がわかります。

「永田町の古いムラ社会で、常に『したたかな女」と陰口を叩かれる小池に、11年前、『したたかですよね』と聞くと、こんな言葉が返ってきた。それは小池らしい答えだった。

『世界中の女性でしたたかでない人なんて、いませんよ。そもそもしたたかでない政治家なんて、政治をやめた方がいいと思う』」

(出典:ForbesJAPAN 2016/08/01付『「したたかじゃない女性なんていない」小池百合子、へたれ男たちとの勝負史24年』

小池百合子新都知事をひとりの女性として見てみると、さまざまな側面がある

国を挙げて女性の社会進出が謳われる今、女性初の都知事となった小池氏に関しては、良くも悪くも世間の注目度は非常に高いでしょう。ただ、ひとりの人間として見てみると、自立した精神を持ちながらも、ユーモアも忘れず辛い経験を乗り越え、信念を貫くひとりの女性としての生き方が浮かび上がってきました。