「グレンラガン」とは?

まず、そもそも「天元突破グレンラガン」とはどういうアニメなのかを簡単に説明しよう。これはGAINAXにより製作され2007年に放送されたロボットアニメなのだが、フィクションというよりはSF的な設定となっている。

「グレンラガン」の世界では、人類は遠い過去に巨大ロボットを操縦する異性物に地上を奪われ、地下での生活を余儀なくされている。何世代もの間地下でのみ生活してきた人間はいつしか「地上」の実在性さえをも疑うようになってしまう。そこで主人公たちが地下へと侵入してきた巨大ロボットを偶然埋まっていたロボットを使って撃退し、地上へ出るところから物語がはじまる。

地上では空想的といえるほど高度なロボット技術が発達している「未来」において、地下の世界では「未来的」な技術どころか「ドリル」以外の技術がほとんど消失しており、人々は「野生の思考」で知られるレヴィ=ストロースの研究対象になりそうな未開的生活に甘んじている。

この悲観的未来予想は、人間の文化は環境に規定されるというマルクス主義的な図式に説得力を与えるような風刺的側面がある。だが、それはこのアニメの主眼ではない。むしろ、この「下部構造」の現実を強く意志で乗り越え、変えていこうとする熱い主人公達を描くことがこのアニメの醍醐味である。

「グレンラガン」の魅力とフランス人にとっての「日本」

前述の通り、「グレンラガン」の魅力は何と言っても昭和期のアニメによく見られたような日本的な「熱さ」である。

どれほど絶望的な状態であろうと、可能性を理屈抜きで信じて前へ進んでいこうとする単純さ。それは時と場合によって愚かさにも強さにも見えるが、独特の魅力を持つ。

だが、これは明らかに「理性」に絶対の価値をおいてきた西欧の人々にとって極めて異質なものである。少なくとも「カミナ」のような「昭和のヒーロー」的な熱さを持つ人は西洋ではとても珍しい。アメリカのスーパーヒーローでさえどこかに冷静さや理性的判断を持っているのが普通だ。

それでも「昭和のヒーロー」をフランス人は「かっこいい」と思い、かつそこにヨーロッパにはない価値を持つ「日本」を見るのだ。

だが、現代の日本人にとっての「かっこよさ」が日本でのランキング1位であるコードギアスのルルーシュのような冷静さと秘められた熱情であるとしたら、「カミナ」型のかっこよさは古いと感じる人が多いかもしれない。

確かにルルーシュのような文字通りに「クール」な人というのも現代日本特有の文化背景が生み出す人物像には違いない。カミナ型が太陽でルルーシュ型は月であるとすれば、太陽よりも月に、光よりも影に感情移入するのは謙譲を美徳とする日本人としてむしろ自然であると思う。

だがフランス人が見たい「日本」とは「太陽」としての日本、すなわちle Soleil Levant (昇る太陽)なのではないか。日本のアニメに熱狂するフランス人は、理性に凝り固まってしまったヨーロッパを照らす光を「日本」に求めているのかもしれない。(ZUU online 編集部)

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