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保険見直しonlineより

歴史好きは知っておきたい 生命保険は「あの人」が作った?

yukichi
(写真=PIXTA)

生命保険をはじめて日本に持ち込んだのは、1万円札で有名なあの人物です。どのような経緯や理由があって、日本に生命保険制度を紹介したのでしょうか。

生命保険のそもそもから、その後の日本における生命保険制度の推移、その人物が日本に持ち込んだ驚きの土産物などを追ってみました。

生命保険を日本に持ち込んだのは?

「生命保険」は、いまや私たちの安心な暮らしに欠かせないものです。実は日本にはじめてこの制度を紹介したのは、日本人なら誰もが知っているあの福沢諭吉氏でした。「天は人の上に人を造らず……」の有名なフレーズで知られる『学問のすゝめ(すすめ)』の著者であり、翻訳家であり学者であり、慶應義塾大学の創始者として有名です。

彼の著書「西洋旅案内」の中にある記載により、日本人は生命保険を知ることになったのです。

「災難請合とは商人の組合ありて平生無事の時に人より割合の金を取り万一其人へ災難あれば組合より大金を出して其損亡(そんもう)を救う仕法(しほう)なり其大趣意は一人の災難を大勢に分ち僅の金を棄て大難(たいなん)を遁(まぬが)るる訳にて……」

このように西洋の保険制度を紹介したことで、日本にも同様の制度を広めようとする動きがはじまりました。

世界初の生命保険とは?

そもそも生命保険制度は、世界のどこで、いつ頃生まれたのでしょうか。

諸説ありますが、近代的な生命保険制度は、中世ヨーロッパ時代、ギルドと呼ばれる職能組合からはじまったといわれています。

ギルドでは、同じ職能の仲間同士、仕事で資金が必要になった時や、病気や怪我で働けなくなった時の見舞金や生活支援金、亡くなった時の遺族への援助金などを融通し合う互助的な積立制度がありました。また17世紀には、イギリスの寺院において仲間に万一のことがあった時のために、毎月一定額を払い込むという制度もあったようです。

しかしこうした制度は、皆が同じ金額を支払っているので若い人が不利になる、約束した金額が支払われないことがあるなど、なかなか運営面がうまくいかず、潰れる組合も多かったのです。

こうした状況に変革をもたらしたのが、「ハレー彗星」で有名な天文学者エドモンド・ハレー氏(1656-1742年)でした。彼は実際の死亡率に基づいた生命表を作成し、これにより参加者誰もが納得しやすい保険料を計算した「生命保険」がつくられました。明確な計算に基づいた保険負担金が可能になったことで、生命保険は制度として多くの人々の信頼を得ることかできました。時代が進むにつれて、さらに多くの知恵が重ねられ、そして今日のように死亡だけでなく病気や怪我、入院、老後の生活まで保障する助け合いの仕組みとして発展したのです。

日本初の生命保険はどんなもの?

1881年(明治14年)、福沢諭吉氏の門下生である阿部泰蔵氏という人物により、日本初の保険会社が創設されます。それが今日の明治安田生命の前身の一つ「明治生命」です。その後、1888年に「帝国生命」(現朝日生命)、1889年には「日本生命」などが設立され、1892年頃には日本各地に生命保険会社が誕生しました。また、1898年には、生命保険事業の健全な育成を目的とした生命保険会社談話会(生命保険協会の前身)が誕生。1900年には、ドイツの保険監督法を見本に「保険業法」も制定されました。

ただ、一般的に当時の日本には封建時代の諸制度や血族的な互助制度などが根強く、また人々の「人の生死で金儲けなどけしからん」というイメージもあり、当初はなかなか普及にいたりませんでした。しかし、その後の日清日露の大戦争や大正期のスペイン風邪、関東大震災などで遺族に対し保険金が支払われたことにより、生命保険に対する一般の理解が深まりました。また、各種制度の改革や生命保険料控除制度の導入(1923年)とも相まって、生命保険の必要性が広く認められるようになったのです。

福沢諭吉氏が日本に持ち込んだもの

生命保険だけでなく、今日の日本銀行につながる中央銀行の考え方や、複式簿記を紹介したのも福沢諭吉氏です。まさに、今日に続く自由主義経済の根本を形作った功労者といえるでしょう。

また、日本の学校や病院のあり方を新しく体系化したり、それまで日本人には馴染みのなかった肉食や西洋の衣食住を紹介したり、新聞に初めて天気予報を載せたり、カレーライスという言葉を広めたりしたのも、福沢諭吉氏だといわれています。

福沢諭吉氏は米国からの帰国の際、20箱以上の荷物を日本に持ち帰ったといわれていますが、そのなかには日本初お目見えの乳母車もありました。ちょうどその頃、福沢諭吉氏には小さな子どもがいたのでそのお土産だったようです。ちなみにこの乳母車を研究した門下生が、幌(ほろ)をつけた日本独自の乗り物を考案しました。それが今日の人力車だといわれています。

すべては福沢諭吉氏から始まった

万一の死亡事故や病死、怪我や病気などによる急な入院、最近では老後の生活や高度医療に対する補償など、生命保険は暮らしの安心のために欠かせないものとなっています。その始まりは、まさに福沢諭吉氏のおかげだったのです。

さらに保険制度だけでなく、今日の日本の経済、生活、文化に果たした福沢諭吉氏の貢献度はきわめて大きいといえるでしょう。(提供:保険見直しonline

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