文部科学省が学習指導要領の改定案についてパブリックコメントを募った結果、歴史上の人物名やできごとの表記が修正されたようだ。「聖徳太子」はこの度の改定案では、小学校の教科書においては「聖徳太子(厩戸王〈うまやどのおう〉)」と表記し、中学校は「厩戸王(聖徳太子)」と表記するものが提出された。

パブリックコメントでは「小中で表記が異なると教えづらい」といった意見が見られ、国会内でも「連続性がなければならない」とする声も聞かれた。こうした意見を受けて、文部科学省は表記方法を従来の「聖徳太子」に戻している。

そのほか今回の改定案では「元寇」や「鎖国」などの出来事について新たな表記方法が示され、中学校で元寇は「元寇(モンゴル帝国の襲来)」、小学校で鎖国は「鎖国などの幕府の政策」、中学校で「鎖国などの幕府の外交政策」と改められた。

実は「歴史」科目、教科書でのこうした変更は珍しいことではない。

いいはこつくろう鎌倉幕府?

歴史
(写真=PIXTA)

歴史上の人物名や出来事、年号の変更は今回の学習指導要領の修正・復活だけではない。今と昔では違った内容にて指導していることも多い。たとえば「鎌倉幕府成立」である。

鎌倉幕府と言えば読者の多くが「1192(いいくに)つくろう鎌倉幕府」と語呂合わせで覚えたことだろう。しかし今では鎌倉幕府の成立は「1185年」とする説が有力になりつつある。これは源頼朝が征夷大将軍に任官した1192年よりも、1185年の文治の勅許を鎌倉幕府成立としたほうが適切だとする考えからのようだ。今の教科書では「1185(いいはこ)作ろう鎌倉幕府」が正しいのである。

また江戸時代の身分制度を表すとされてきた「士農工商」も今では使われなくなっている。かつての歴史研究上では士・農・工・商の順に上下関係があるとされてきたが、この理解が間違っていたのだ。正しくは武士階級こそ支配層だったものの、農・工・商は対等な関係にあった。したがって、今では「士農工商」といった表記もなくなっている。

ほかにも「仁徳天皇陵」は今では「大仙古墳」と呼ばれるようになっている。こちらは古墳内の調査を宮内庁が認めていないため、仁徳天皇が埋葬されていることを確認できないためだ。これに伴って所在地を由来する「大仙古墳」といった呼ばれ方に改めている。

これらのほかにも大化の改新が「645年」から「646年」に改められていたり、日本最古のお金が和同開珎から「富本銭」に改められるなどしている。このようにかつて正しいとされてきた歴史上の認識は、今では間違いとされていることも多いのである。

なぜ教科書の内容は改められるのか?

「聖徳太子」の表記方法のように、教科書の内容が改められる理由はいくつかある。まずは「新事実の発見」である。事例としては「和同開珎」がこれに該当する。

今までの歴史理解では日本最古のお金は「和同開珎」であると信じられてきた。しかし1998年に飛鳥池遺跡にて富本銭が見つかり、和同開珎よりも古いものだと明らかになる。このように今までと異なる新事実によって、歴史上の定説が崩されることもあるのだ。

次に歴史研究の専門家の間で「名称変更」がされることもある。これに当てはまるのが「仁徳天皇陵」である。決して新事実があるわけではないが、より適切な表現方法を採用しようとした場合に、この名称変更が行われることもある。その変更を受けて教科書や学習指導要領も改訂されるのだ。

これら以外には「解釈・所説の変更」もあり、この改定理由に当てはまるのが「鎌倉幕府成立」だ。鎌倉幕府の成立をいつにするかについては専門家の間でも諸説あり、このうち正しいとされる説を採用するというものだ。歴史研究が進むにつれて、より正確な事実を伝えるための変更と言えるだろう。

このように歴史は今わかっている段階での事実を伝えているものであり、新発見や解釈の変更などによって改訂されることは珍しいことではない。その背景には歴史を正しくひも解こうとする歴史研究があり、改定は歴史研究の成果のおかげともいえる。(吉田昌弘、フリーライター)