究極のアジ直送革命~女性率いる萩の漁師集団

吉田松陰で有名な山口県萩市は、数多くの志士を生んだ明治維新胎動の地。そして日本海に面して海の幸に恵まれた漁業の町でもある。

そんな町でいま、水産維新を巻き起こしている漁師たちがいる。それが萩大島船団丸だ。漁を指揮するのは船団長の長岡秀洋。漁師歴39年のベテランだ。船団丸が行うのは巻き網漁。網船が網を張り、そこに灯りで魚を引き寄せ、一気に囲い込む。船団によるチームワークが鍵となる。

午後10時、運搬船が網船に近づく。大漁だ。萩名産の「瀬つきアジ」。アジは回遊魚なのに、岩場に住み着いて餌をたくさん食べるから脂がのって太っている。この地方だけの希少なアジだ。およそ2時間で1回目の漁が終了。すると長岡は次なる作業に着手した。魚は血から腐っていくという。だからその場で血抜きをして鮮度を保つのだ。

午前3時、船団丸の船が戻ってきた。それを待つ女性が一人。萩大島船団丸代表、坪内知佳(31歳)だ。萩にも漁業にも縁がなかった坪内だが、2010年、60人の漁師を束ねて萩大島船団丸を結成した。紅一点で漁業の改革に乗り出して7年。坪内の「水産維新」は様々なメディアで注目を浴びている。

「業界が古いからこそ、硬いからこそ、難しいからこそ、たくましい集団が、脂のりのいい筋肉質な集団がそこに出来上がるんじゃないかと私は夢を見ているんです」(坪内)

© テレビ東京
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坪内が代表についた当時、萩の漁獲量は10年前から激減。さらに魚の値段が低迷し、漁師の手取りは減る一方。船を下りる者があとを絶たなかった。魚の値段は市場での競りによって決まる。漁にどれだけ元手がかかっても、生活が苦しくても、漁師に価格決定権はない。

どうしたら漁師たちを救えるか。坪内が行き着いたのは漁業の6次産業化だった。6次産業化とは、1次産業の漁師が2次産業の加工や3次産業の販売まで手がけることだ。

「限られたものだから、これを利用してどう豊かに生きていくのかと考えたら、逆に、高付加価値化しかないんじゃないかと思うんです」(坪内)

坪内が考え出した高付加価値化。それが「鮮魚ボックス」だ。船上でえり分けて締めておいた魚を、きれいに箱詰めし、市場を通さず個人や飲食店に直接販売するのだ。中抜きで浮いた費用を漁師と消費者に還元できる。

詰め終わったらカメラでパチリ。それをで送信した。

その頃、東京・丸の内にオープンしたての和食屋「にっぽんのひとさら」で、LINEを心待ちにしている人がいた。オーナーの是友麻希さんだ。「写真で見せていただくと、これいいなとわかるので嬉しいし、期待感も高まります」と言う。是友さんは魚料理の研究家。念願だった自分の店を持ち、その目玉に船団丸の魚を据えた。

そして「鮮魚ボックス」が到着。お目当ての瀬つきアジはサバと間違えるくらい大きい。ほかにはイサキに剣先イカ、ヒラマサなど。萩ならではの獲れたてが、送料込みで1万円。市場を通すより安いという。

鮮度バツグンの刺身の盛り合わせは3人前で2670円(税抜き)だ。

「今日は良くないからやめておいたほうがいいよともおっしゃってくれる。漁師と直接コンタクトを取れるのは、お金以上の価値があると思います」(是友さん)

坪内の「水産維新」で萩大島船団丸の売り上げは倍増。不振にあえいでいた漁師たちが活気を取り戻した。「彼女がいろんなアイデアを持ってくる。なくてはならない人ですよ」と長岡が言えば、坪内は「水産の伸び代はすごい。ワクワクします」と応じた。

漁師を率いる若き女性~波乱万丈の水産維新

坪内のつかの間の休息は長男・柊人君とのひとときだ。坪内は5年前に離婚。女手一つで息子を育てるシングルマザーだ。

「私にとってはただの嫁いできた町。それは過去の話で、今はわが子のふるさとなんです。漁船があって海があって魚がある生活が当たり前。それを奪いたくないと思う。うちの船員にみんな家族がいる以上、そこを担っていく責任があると思っています」(坪内)

2007年、21歳で結婚し萩に引っ越してきた坪内。そこでコンサルティング業を始めたことが縁で、漁師たちと関わりを持つことになった。当時、漁業はどん底状態。坪内は船団長の長岡のある姿が忘れられないでいる。

「俺たちは海がないと、船がないと、魚がないと生きていけないって泣いていた姿が、今でも忘れられないんです」(坪内)

関わりを持ったものの、漁業のことなど何も知らないよそ者で部外者。初めはことごとく対立した。坪内は漁師に、顧客目線と経営感覚を身につけてもらおうと動き始めた。ところがある日、漁師が獲った魚を乱暴にカゴに放り投げているのを見つけた。「魚は商品よ。一匹一匹、大切に扱って」と言った坪内に、漁師から「魚のことは俺たちの方がよく知っている。いちいち口出しするな。お前なんか萩から出て行け!」と、罵声が飛んだ。

「最初に大喧嘩になった時に、もうあっち行けと。俺がやるからもういらんと言った。その時に彼女が、20件の飛び込み営業でとった顧客リストを自分に渡したわけです」(長岡)
そこには取引先の店が扱う魚の種類や料理長の好みなどが、びっしりと書き込まれていた。坪内は漁に出られない日には全国を飛び回り、たった一人で顧客を開拓していたのだ。
「それを見て、正直、頭が上がらなかったですね。ここまでやっているのかと……」(長岡)

こうして漁師たちの心をつかんだ坪内は、漁師の直販を一気にすすめようとしたが、そこに更なる壁が立ちはだかった。それは既存の流通という壁だった。
坪内のビジネスは漁協や仲買を無視する行為。当然、猛反発をくらった。

「(市場内に)入れなかった。いるだけで、邪魔、邪魔みたいな。だから(水揚げ、選別を)場外でやっていました。野ざらしの屋根のないところで」(坪内)

漁協や仲買の理解を得なければ、漁師による直販は実現できない。そこで坪内が考えたのが共存共栄の仕組みだった。直販で得た売り上げの一部を、手数料として漁協や仲買に支払うことに。船団丸が利益をあげれば、地元も潤う仕組みを作ったのだ。

かつて坪内と対立していた仲買人たちはいま、「正直言えば複雑。だけどいいことだと思う。刺激になる」「最初はうまくいかなかったと思うが、今はこうして立派にやっている。僕は応援している」と語る。

これが、よそ者・部外者の坪内が起こした「水産維新」だ。

うまい豚肉に客殺到~湘南の絶品バーベキュー

© テレビ東京
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神奈川県藤沢市。とある温室に行列ができていた。およそ100人が詰めかけたバーベキューイベントだ。豚のバラにロース肉、モモ肉と、さながら豚肉祭り。ひたすら豚肉を食べるという特別なバーベキューなのだ。出されている豚肉はすべて「みやじ豚」だ。

みやじ豚社長の宮治勇輔(39歳)は、一農家の名前でブランド豚を作るという、きわめて稀なことをやってのけた。小さな家族経営ながら養豚業に革命を起こした宮治の手腕は、農業だけでなく、ビジネス界からも注目されている。

「うちはあえて『みやじ豚』という個人名を冠する銘柄にする。ことごとく弱者の戦略で、大手がやらないことをやっていくことで、活路を見出す」

みやじ豚の良さは一流デパートも認めている。東京・銀座の松屋では、3年前から一押しのブランド豚として販売している。みやじ豚は決して安くはない。他の豚と比較してみると、千葉県産は100グラム292円、栃木産は378円だったが、みやじ豚は594円。それでもファンがついており、農林水産大臣賞も受賞した価値ある豚肉なのだ。

おいしさの秘密は豚舎に隠されているという。みやじ豚は三種類の品種をかけあわせた、いわゆる三元豚。おいしさの最大の理由はその飼い方にある。通常はぎゅうぎゅう詰めで飼育するため、豚はストレスを感じて、それが肉質にも影響する。一方、宮治家は「腹飼い」という方法をとっている。豚は一度に10頭前後の子豚を産む。それを成長するまで一緒に一つの冊で育てるため、ストレスを感じず、結果、高品質になる。

こうして育てたみやじ豚は、いまやミシュランで三つ星を獲得した店でも使われるようになった。

「良さは脂の臭みが全然ないところですね。お客さんに脂を食べてもらう感じ。絶対他にはないと思う」と言うのは、日本料理「幸庵」の飯嶋有紀則料理長。料理長はみやじ豚の味はもちろん、育て方にも惚れ込んだという。

渾身の一品は「みやじ豚の角煮」(昼コース6260円~)。味付けは塩と山椒だけ。臭みのない、みやじ豚でしかできない調理法だという。
家業をブランドに作り上げた宮治には大いなる野望があった。

「一次産業全体が、『かっこよくて感動があって稼げる3K産業』になっていくことが僕らのゴールなので、そこに向けて活動していきたい」

家のブタをプロデュース~感動がある稼げる農業

養豚農家の長男として生まれた宮治だが、家業を継ぐなど考えたこともなかった。慶應大学時代は、ベンチャー企業を立ち上げて六本木ヒルズに住み、フェラーリに乗る。そんなことを本気で夢見ていた。

大学卒業後、いったんはパソナグループに就職。しかし自分にしかできないことは何かと問い続ける日々だった。そんな時に思い出したのは、父が育てた豚で友人とバーベキューをした時のこと。「お前の家の豚肉、うまいな。どこで買えるんだ?」と聞かれて、答えられなかった。どこで売られるかを、農家が知る術がなかったのだ。

「農業は地域で産地を形成して地域で同じものを作って、生産者の名前を消して地域の名前で流通していく。これってすごい問題だなと」(宮治)

宮治は27歳の時、サラリーマンを辞めた。父親のおいしい豚をブランド化し自力で売ろうと決意したのだ。

しかしそこに立ちはだかったのは、ほかならぬ父・昌義だった。「農業に一種の革命を起こす壮大なことをぶち上げた。そんなのはとても夢物語と言うか、お前の言ってることは地に足がついていないと言って、一蹴して相手にしなかった」と、父は当時を振り返る。

何度も父を説得し、ようやく首を縦に振ってもらったが、越えなければならないさらなる壁があった。

宮治の家では生後6ヶ月、120キロに育てた豚を出荷している。通常なら農家の仕事はここまで。出荷した豚は食肉処理場で解体され、問屋が買い取る。問屋はこれをバラやロースなどに切り分けるが、通常、小売店などに卸す段階で他の農家の豚とまざって、生産者が特定できなくなってしまうのだ。

だが宮治は、常識を覆すやり方を考え付いた。それは飲食店などから注文があった分の肉を、問屋から買い戻すという方法だった。いくつもの問屋に断られたが、ようやく応じてくれるところを見つけた。小田原市の総合食肉卸「オダコー」だ。

「聞いたことがなかった、農家が販売に携わるというのは。すごいなと思いました」(高橋亮太社長)

買い戻した肉は、その場で顧客の注文通りにカットしてもらう。さらに梱包から発送まで問屋に委託。こうして、たった一軒の農家でもブランド豚として流通させるルートを作り上げたのだ。さらにネット通販のサイトも開設。だれでも直接買えるようにした。

今や直販の「みやじ豚」は、宮治家が出荷する豚の6割にのぼり、売り上げは7倍に。何よりのメリットはお客の顔が見えること。反対だった父親も「みなさん満面の笑みで満足しているのを見ると感慨無量で。いつも日々感謝している」と語る。

さらなる開拓へ~海外進出&若手農家の新集団結成

萩から東京に、萩大島船団丸の坪内がやってきた。向かったのはミシュランで一つ星を獲得したフレンチの名店、渋谷区の「ア・ニュ」。ここは坪内が開拓したお得意さんのひとつ。坪内はこうして取引先を訪ねてはニーズを汲み取っている。

この日はエクゼクティブシェフの下野昌平さんから新たな商談を持ちかけられた。香港に出す予定の新たな店にも、船団丸の魚を届けてほしいというのだ。

「海外でも船団丸のようなシステムはないでしょうし、鮮度や味は確かなんで、わかってもらえると思います」(下野さん)

「国内のみではなく、海外も含めて世界の市場に少しずつ出していけたらなと思っています」(坪内)

一方、みやじ豚の宮治も新たな活動を始めていた。自分と同じ、若い農家の跡継ぎを支援するNPO法人「農家のこせがれネットワーク」を立ち上げたのだ。

NPO設立の狙いを、宮治はスタジオで次のように語っている。

「農家のこせがれが、家業の魅力と可能性に気づいて、実家に帰って農業を始めて、親父の持っている地盤、看板、農業技術と、自分が持ち帰ったビジネスのスキル、ノウハウ、ネットワークを融合させて新しいビジネスモデルを作っていけば、まだまだ日本の農業は面白くなるんじゃないかと思います」

~村上龍の編集後記~

坪内さん、宮治さん、共通しているのは、「一次産業の旗手」と呼ばれるまで、かなりの紆余曲折を経ているということだ。
「人生設計」と言われるが、人生って、設計できるのだろうか。一人では生きていけないし、大きな組織に属していても、安心できない。
二人は、遠回りをしながら天職に気づき、「今すぐにできることは何か」を考え、実践した。自分のビジネスだけではなく、農業・水産業全体の変革を、目指している。
「人生に意味のないことはない」坪内さんの言葉だ。一次産業という枠を超えて、勇気と希望を、示している。

<出演者略歴> 坪内知佳(つぼうち・ちか)1986年、福井県生まれ。2007年、名古屋外国語大学中退、萩に移住。2011年、萩大島船団丸代表就任。 宮治勇輔(みやじ・ゆうすけ)1978年、神奈川県生まれ。2001年、慶應義塾大学総合政策学部卒業、パソナ入社。2006年、株式会社みやじ豚設立、社長就任。

放送はテレビ東京ビジネスオンデマンドで視聴できます。

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