“ポピュリスト”と言われるドナルド・トランプ米大統領。ロイター通信は、トランプ氏は大衆文化の分野で非常に好評だったポピュリズムを、政界で振るわなかったポピュリズムに接ぎ木したと表現している。

そのトランプ大統領が敬愛してやまないのがアンドリュー・ジャクソン第7代大統領(1765-1845)。ジャクソン大統領もポピュリストといわれた存在で、ともに歴代の米大統領のなかでは異質な存在だ。

米国に大衆文化が生まれたのは、ジャクソン大統領の時代だった。大衆はエリート主義の文化に真っ向から挑戦し、その挑戦はトランプ、クリントン両氏の選挙戦で再現した。ジャクソンとはどういう人物だったのだろうか。

議会から不信任決議された初の大統領

トランプ,政治,米大統領
(写真=Pavel_D/Shutterstock.com)

ジャクソン大統領の在任期間は1829-37年。米国史上唯一、議会から不信任決議をされた大統領だが、在任中はいろいろ大胆な政策をとったことで今でも良く知られている。

20ドル紙幣には肖像が印刷されている。1812年の米英戦争の際、民兵隊を率いて、ニューオリンズで英国に大勝し、一躍国民的な英雄となったからだ。

1828年の大統領選挙は、私生活の暴露など露骨なキャンペーンに終始。国民的英雄として当選、人民の機会均等を旗印に改革に着手したが、“人民”とは“白人”のことだったようで、悪名高い先住民強制移住法によって、特にチェロキー族のオクラホマへの移住は「涙の旅路」と言われ、多くの犠牲者が出た。西部開拓はネイティブ・アメリカンを排除し、抑圧して進められた。彼らは強制的に保留地に追いやられた。

人民(白人)の機会平等のために、身内を徴用する「蝋官制度」も活用。公務員の1割以上を支持者と入れ替えたのは、公職は定期的に刷新されないと、腐敗するという信念に基づいていたとされる。

長年続いたエリート層の既得権を破壊