ついに「95后」(1995年、平成7年以降の生まれ)という言葉がメディアに登場するようになった。80后(1980年代生まれ)90后(1990年代生まれ)と中国の新世代を表す言葉が定着してすでに久しい。いずれも旧世代の驚きや戸惑いの感覚を伴うものだった。次は00后となるはずだが、そこまで待ちきれず95后が登場した。中国社会激しい変化を証明している。メディアでは、95后をはじめ、若者文化を分析する記事が相次いだ。ニュースサイト「今日頭条」や「騰訊網」などが伝えている。

いきなりネット通販の主力に躍り出た95后

中国経済,世代,ゆとり世代
(画像=PIXTA)

ネット通販の唯品会と調査機関アイリサーチによる調査報告によると、95后の63.9%が毎日ネット通販サイトを訪れていて、そのうちの10%は実際に何かを購入しているという。

2013年のネット通販顧客規模は3億189万人、全ネットユーザーの48.9%だった。それが2017年には、5億3332万人、69.1%まで上昇した。この数字をけん引したのは、次々にこの市場へ参加した95后たちである。データでは彼らの28.4%は毎日平均3回以上、ネット通販サイトにアクセスする。35.5%は毎日1~2回アクセスしている。

その結果、ネット通販を最も使用する年齢層は、95后の中核である19~24歳の24.1%となった。18歳以下も6.5%を占めている。次は25~30歳は21.3%で、30歳以下の若者層で全体の52.2%を占めている。ネット通販会社にとっては、実に心強い数字だろう。

例えば95后は、化粧品や服飾品の70%をネット通販で購入している。実店舗購入は廃れる一方だ。その購買行動は、気迫に満ち、自らをKey Opinion Leaderとして位置付けている。そして簡単にブランドやアイドルを崇拝などしない。本物志向の手ごわい消費者なのである。

“佛(仏)系”と“喪文化”

一方で“佛系”という言葉が2017年のホットワードとなった。ネット上の天地を覆ったと言ってもよい。“佛系購物”“佛系打車”“佛系恋愛”“佛系学生”“佛系員工”“佛系官員”などと広範囲に使われている。

佛系の“症状”については、理想は要らない、勉強はしたくない、仕事もしたくない、という中国青年“総体”に見られる“低欲望”の状態全般を指すという。

インターネット時代となり、社会変革が加速して、各種社会思潮の衝突、社会矛盾の交錯が激しくなり、伝統は軽視され、次々に新語が登場する。佛系とは、こうした急流に身を置く青少年の社会的な心理と“生存状態”を世に知らしめている。

そんな彼らの背後にあるのは“挫折感”という。佛系は、現代青年の消極的な精神状態と、集団としての焦慮を反映している。学習や職場における挫折感の、鋭角な表現なのでである。

さらに退廃や悲観、絶望などの情緒的色彩を帯びると“喪文化”と呼ばれるようになる。「横に伸びる蔦」など自虐的な表現はその代表的なものだ。

しかし日本の轍は踏まず

主体的で個性重視の積極的な購買活動を取る一方、自らを上に向かって成長しない蔦に例える。中国の青年は大きく分裂しているように見える。これについて、常に抵抗性や多元性をまとう青年文化の表層に過ぎず、心配ないとする見方はある。

しかし、強烈な自己主張とタフな交渉を繰り返し、露骨に自分と一族の上昇を目指してきた、旧世代の中国的なたくましさは、ここには見られない。記事においても“日本化”を危惧して、大前研一著「低欲望社会」の内容を紹介している。

その上で日本とは違うことも強調している。まだ中国は日本のように物質豊富な段階に至っていない。消費が急に冷え込む心配はない。現代中国では階層が固定化し、階層を超えることが困難に見え、それが青年たちの焦慮の根源と指摘している。

同時に佛系青年たちの結婚や子育てから逃避しようという姿勢は、高齢化が日々進む中国社会に対する現実的な対処法なのかも知れないと結んでいる。

どうやら青年たちだけではなく、誰もが戸惑っている。この種の議論はますます活発化するだろう。とにかく95后など新世代の若者を中心に、中国社会が大きく変わっていくことだけは間違いない。(高野悠介、中国貿易コンサルタント)