要旨

英国,EU離脱
(画像=PIXTA)
  • 英国のEU離脱が8カ月後に迫り、協定なしの無秩序な離脱への懸念が増している。

  • メイ政権が、膠着状態打開のためにまとめた白書には、財の自由貿易圏創設が盛り込まれ、これまでよりも戦略は「ソフト化」した。しかし、サービスとデジタル分野は規制の自由を重視、金融サービスでは同等性評価の強化を求め、人の自由移動も停止する。単一市場と関税同盟から離脱する方針に変わりはない。

  • 経済面での要望について、EUは、EUの原則との非適合、行政手続きの煩雑化、EU企業の不利益を懸念する。秩序立った離脱の鍵となるアイルランド国境の厳格な管理回避策としても白書の内容は不十分で、独立した法的効力のあるバックストップが必要という立場だ。

  • 離脱の道筋が未だ見えない理由は、EUがメイ政権の妥協案をそのまま受け入れることが難しいからというだけではない。メイ政権の存続自体も危ぶまれているし、EUとの交渉結果には強硬派、穏健派が共に不満を抱くだろう。協定なしの無秩序な離脱は、EUとの協議決裂だけでなく、協議の結果を英国議会が否決した場合にも起こりうる。メイ首相の合意か無秩序な離脱かEUの残留かの3つの選択肢による2度目の国民投票を求める意見もあるが、一段と対立を深め、問題が一層複雑になるおそれもある。

  • 英国内の対立解消の切り札は見当たらない。強硬派はEUと穏健派を、穏健派は強硬派を非難し続け、このまま無秩序離脱に突き進むことになれば、最悪のシナリオだ。

英国,EU離脱
(画像=ニッセイ基礎研究所)

現実味を帯びる協定なしの無秩序離脱

英国のEU離脱が8カ月後に迫り、協定なしの無秩序な離脱が現実味を増している。7月19日には、欧州連合(EU)の欧州委員会が英国の離脱に無秩序な離脱を含むあらゆるシナリオに備えるよう促す文書を公表した。

今年3月23日のEU首脳会議では、EU離脱後、2020年末までは現状を維持する「移行期間」とすることで合意している。しかし、移行期間は、「離脱協定」に盛り込まれているもので、離脱協定のすべての項目で合意しなければ、移行期間の合意も白紙化する。

離脱とともに協定が発効し、移行期間に入る「秩序立った離脱」には、10月18日に予定する次回のEU首脳会議で、離脱協定と離脱後の英国とEUの「将来の関係に関する政治宣言」で合意する必要がある(図表)。

英国,EU離脱
(画像=ニッセイ基礎研究所)

英政権内、保守党内の意見対立で遅れた協議。12日に統一方針を白書として公表

これまでの協議の進展を妨げてきた最大の要因は、離脱戦略を巡るメイ政権内、与党・保守党内での見解の不一致だ。メイ政権は、離脱協定の合意の最大の障害となっているアイルランド国境の厳格な管理を回避するための具体的な方策と将来の関係の具体的な内容を示すことができなかった。

メイ首相は、膠着状態の打開のため、7月6日に首相の公式別荘で緊急閣僚会合を開催、将来の関係についての政権の統一方針をまとめ、12日に要望事項を「白書」としてEUに提示、公表した(1)。

欧州委員会が、離脱への準備を促す文書を公表した19日には、白書の公表後、初めての英国とEUの主席交渉官会合が行われた。英国の離脱担当大臣は、緊急閣僚会合での合意は「交渉上の立場を弱める」として8日に辞任したデービット・デービス氏からドミニク・ラーブ氏に替わった。

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(1)HM Government, “The Future Relationship between the United Kingdom and the European Union”, July 2018

メイ政権の戦略はソフト化、しかし「ソフトな離脱」への転換ではない

メイ政権の離脱戦略は、白書で、EU市場へのアクセスを重視する「ソフト化」の方向に転換したとされる。

従来の自由貿易協定(Free Trade Agreement, FTA)の締結という要望から一歩踏み込んで、農産品を含む財について「共通ルールに基づく」自由貿易圏(Free Trade Area)の創設を要望したからだ。財の自由貿易圏構想はアイルランド国境の厳格な管理を回避する提案でもある。

「共通ルール」の受け入れは、大きな方向転換に見える。国民投票の離脱キャンペーンが「コントロールを取り戻す」をスローガンに展開され、法の権限の奪還が、人の移動の制限や、EUに拠出する財源、通商交渉の権限とともに重要な要素であったからだ。

しかし、離脱キャンペーンの主張にも配慮した白書の内容は、EU市場へのアクセスを優先する「ソフトな離脱」への方針転換とまでは言えない。言い換えれば、EU側が警戒する「いいとこどり」と感じられる箇所が散見される。

財の自由貿易圏の共通ルールは、「国境における摩擦のない取引に必要な範囲」を条件とする。

単一市場から離脱する方針に変わりはない。財こそ「共通ルール」だが、サービスとデジタル分野では「規制の自由」を重視する。英国が欧州のセンター機能を果たす金融サービスも、圏内で自由にサービスを提供できる「単一パスポート」から、EUが、第3国に一部の分野に限定して適用し、EUが撤回の権限を有する「同等性評価」を、英国とEUが相互の市場のアクセスに関する決定権を有する形に強化することを求めている。EUの単一市場の「4つの自由の原則」の一角をなす「人の自由な移動」は終了、純移民数をコントロールし削減する、互恵的なアレンジメントを追求する。

関税同盟から離脱する方針にも変りない。EUとの間では、新たに最も摩擦のない財貿易を可能にする「促進された関税アレンジメント」を「段階的に導入」する。新たな枠組みでは、「統合された関税区域」のように英国とEUの間では通関手続きをなくす。英国は、EU向けの財にはEUの関税率と通商政策を適用し、英国内向けの財には、英国の関税率と通商政策を適用する。

EUは安全保障の協力など白書の幾つかの要素を評価

EU側のバルニエ首席交渉官は、20日の英離脱を議題とする総務理事会の後、記者会見で、白書の内容について、「政治宣言への建設的な協議に道を拓く要素が幾つかある」と評価する一方で「英国からの回答を期待する疑問がある」とした。

評価する事例として挙げたのは、「将来の関係としての自由貿易協定(FTA)の提案」、「(政府援助、環境、雇用などに関わる)条件の公平化の約束」、「域内外での安全保障の協力」。さらに、基本権保護についてセーフガードの付与、EU法の欧州司法裁判所(ECJ)を唯一の仲裁人(arbiter)とすることを認めたことが、英国とEUの間のデータの交換や治安対策での協力に道を拓くと述べている。

白書では、経済パートナーシップの他に、安全保障のパートナーシップ(2)、データ保護などパートナーシップを補完する横断的な協力、紛争解決などの制度的枠組みという4つの章で構成されており、それぞれの領域をカバーする複数の協定を締結することが英国側の要望だ。

EU側も安全保障を含む特別なパートナーシップを構築することには異論がない。

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(2)外交、軍事、安全保障、司法、内務に関する共通政策から離脱にあたり、EUの専門機関として加盟国間の警察協力のための欧州警察機構(EUROPOLE)、刑事司法協力を促進する欧州司法機構(EUROJUST)などにも、ルールを受け入れ、費用負担して第3国としての参加を望んでいる。

しかし、EUの原則への非適合、行政手続き煩雑化、EU企業の不利益を懸念

しかし、経済面での要望について、EUは3つの観点から疑問を呈している。

まず、交渉開始にあたり首脳会議が規定した「域内市場と関税同盟、共通通商政策の一体性」、「財・サービス・資本・ヒトの4つの自由の不可分性」、「EUの決定の自主性」の原則への非適合の問題だ。EUの財のルールへの適合を国境で監視するものに限る場合には、例えば、遺伝子組換え作物(GMO)や殺虫剤などのルールは除外されかねない。EUの消費者保護の観点から、財の自由な流通への懸念を示した。

第2は、白書の内容を実行に移せば、行政手続きなどが複雑化するのではないかという懸念だ。促進された関税アレンジメントでは、英国内向けの財とEU向けの財に異なった関税を課すことを想定している。確実に分類し、異なった関税率を課すことが可能なのか、行政手続きの負荷が増大することにならないのか、という疑問だ。そもそも、非加盟国に関税ルールの適用を委託することへの法的な可否についても疑問が呈されている。

第3は、英国の要望は、EUの経済的な利益になるかという観点だ。英国は、サービスでは規制の自由を望んでいるため、規制の乖離が生じる。「財の価値の20~40%がサービスに関係している」ことから、EU企業が不利な競争条件を強いられるのではないか」、「英国がEUの関税同盟の利益を確保する一方、独自の通商政策を行うことが、EU企業の犠牲として英国企業が利益を享受することにならないか」という疑問も呈された。

フィナンシャル・タイムス紙の報道によれば、バルニエ主席交渉官は、総務理事会で、金融サービスの同等性評価の強化は「EUの決定の自主性」の原則に反するとの見解を示したようだ。

規制業種の航空、化学、医薬については、それぞれEASA(欧州航空安全庁)、ECA(欧州化学庁)、EMA(欧州医薬品庁)というEU機関に費用を負担して第3国として参加することを求めているが、3月のEU首脳会議で採択したガイドラインでは第3国の参加を否定している。

アイルランド国境問題にはバックストップが必要とのEUの立場も変わらず

秩序立った離脱には、移行期間を盛り込んだ離脱協定の発効が必要であり、そのためには最大の未合意事項であるアイルランドの国境の厳格な管理の回避のための具体策で合意しなければならない。

英国の自由貿易圏の提案は、アイルランド問題の解決策としての狙いもあると思われるが、EU側は将来の方針とは別に、「独立した法的効力のあるバックストップ」が必要と考えているようだ。20日の総務理事会では、この点で全てのメンバーが一致、7月第4週の後半に英国側と協議することを確認している。

見えないのはEUとの交渉の着地点だけではない

英国のEU離脱の道筋が見えない理由は、EU側がメイ政権の妥協案をそのまま受け入れることが難しいからというだけではない。

そもそも、白書をまとめたメイ政権の存続も危ぶまれている。デービット・デービス前離脱担当相に続き辞任したボリス・ジョンソン前外相がメイ政権の方針を手厳しく批判している。今後の交渉の展開、あるいは世論の動き次第では「メイ降ろし」の動きが本格化する可能性もある。

逆に、メイ政権の方針にはソフト化の度合いが不十分という理由から、最大野党・労働党の親EU派議員も政権の方針に批判的だ。

仮に、メイ政権がEUとの交渉をまとめたとしても、離脱派が約束したような「いいとこどり」とはならないため、強硬派と穏健派が共に不満を抱くだろう。

協定なしの無秩序な離脱は、EUとの協議が決裂する場合だけでなく、協議の結果を英国議会が否決した場合にも起こりうる。

2度目の国民投票を求める意見もあるが、対立解消の切り札となるかは疑問

離脱戦略を巡る対立が解消しないまま、無秩序な離脱に向かうリスクが高まっていることから、2度目の国民投票を支持する声が、ジョン・メージャー、トニー・ブレアという保守党、労働党の首相経験者らからも出てきている。保守党のジャスティン・グリーニング前教育相は、「メイ首相の合意」、「EU残留」、「無秩序な離脱」の3つの選択肢で改めて民意を問うべきと主張する3。

16年の国民投票での離脱の選択を後押しした離脱派のキャンペーンで主張した「コントロールの奪還」には、EU市場へのアクセスの制限というコストを伴う。実際の合意内容に基づいて、離脱のコストとベネフィットを再考する機会が与えられるべきと感じられる面もある。

しかし、世論調査では、「離脱は間違っている」と答える割合が47%と「離脱は正しい」の42%を上回っているが、「離脱条件の受入れの可否を国民投票で問うべき」と答える割合は40%で、「問うべきでない」の42%を僅かながら下回る4。2度目の国民投票を実施して結果が覆ったとしても、僅差の決定となり、離脱派に不満が残るだろう。

そもそも、離脱協定の草案は130ページ、メイ政権の白書は98ページに及び、カバーする政策領域が広く、EUの制度や規制に関わる専門用語も多いため、一般の有権者が全体像を理解し、コストとベネフィットを判断することは困難だろう。再び議論が単純化され、潜在的な影響が正しく周知されないまま選択が下され、一段と対立を深め、問題が一層複雑になるおそれもある。

英国内の対立解消の切り札は見当たらない。強硬派はEUと穏健派を、穏健派は強硬派を非難し続け、このまま無秩序離脱に突き進むことになれば、最悪のシナリオだ。

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(3)“Brexit is a failure and it’s tearing the Tories apart, warns Grieve”, The Times, July 23 2018
(4)YouGov / The Times Survey Results Sample Size: 1657 GB Adults Fieldwork: 16th - 17th July 2018

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伊藤さゆり(いとう さゆり)
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 主席研究員

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