9月の自民党総裁選では、安倍首相に対して、石破茂元幹事長が挑戦する。すでに発表された石破ビジョンを精読して、類推解釈を交えて、よくわからないところを読み解いてみた。地方創生、社会保障、人口問題について、もっと強調してほしいことを挙げる。

問題は金融政策にもある

 9月7日告示、9月20 日投票の自民党総裁選は、事前に思っていたよりも盛り上がりに欠けている。ひとつの大きな理由は、現時点では、まだ活発な政策論争が交わされていないことがあろう。すでに発表されているものをみる限り、特に経済分野では論争のテーマがない。安倍首相の対抗馬である石破茂元幹事長は、「日本創生戦略」(石破ビジョン)を発表して、政策本位の論争を試みているが、私たちエコノミストにはその内容がわかりにくい。まさに、アベノミクスに対して何を争点にしているのかが、はっきりと書かれていない点が伝わりにくさの背景である。そこで、石破ビジョンを精読して、何を問題視しているのかを類推を交えて解説してみたい。

 まず、石破ビジョンが第一に挙げているのが、「ポストアベノミクスへの展開」であり、そこでは「デフレに後戻りしないマクロ経済政策の継続」とある。この言葉を考えるためには、7月に出版された石破氏の著書「政策至上主義」(新潮新書)から材料を集めてくることができる。

 この著書では、「デフレ状況から各種指標を大幅に改善してきたことは、率直に評価されるべきものだと思っています。その最たるものが株価や為替であり」(P128)と説明されている。その後のところでは、「株価の上昇もまた円安の賜物」(P131)とする。「大胆な金融緩和によって、円安となり」(P131)、それが脱デフレを演出したと理解しているのだろう。

 従って、「デフレに後戻り」というのは、金融緩和が後退し、円安・株高でない状態になるとデフレに戻る可能性があると考えていると推察される。ここには、まだ賃金が上がらず、全体の企業の売上げも伸びていないという認識がある。金融・財政の短期的なカンフル剤の効果はあっても、「民間投資を喚起する成長戦略」、すなわち三本目の矢は効果を十分に表わしていないという批判である。

 そうした認識に立ち、石破ビジョンでは、「検証なき膨張を続ける現行の成長戦略を見直し、成長力の底上げに資する戦略に再編」を主張する。石破氏の主要政策は①成長戦略の組み直しと、②金融・財政政策への過度な依存を止めることと言える。

 なお、石破ビジョンでは、「財政規律にも配慮した経済財政運営」とある。この言葉は、消費税率を10%超に引き上げてでも財政再建を進めるという意味なのかがわからない。この点は、極めて重要であるが、現時点ではアベノミクスの範囲内なのか、それよりも前向きであるのかという具体的な点は全くみえていない。

問題は金融政策にもある

 石破氏と言えば、地方創生が旗印のようなものだ。その政策が肝心要である。具体的な内容は、東京から地方への人材・企業の移転である。中央省庁は、できるだけ東京から地方に移す。企業も、東京でなければならない機能以外は地方に移すことを勧める。

 産業政策に関係した言及では、「ロボット、ドローン、AI、機械化、顔認証などの新技術と相性がいいのも地方のローカル産業です。農業や観光業、中小の建設業などと組み合わせれば、地方を中心とした生産性は劇的に向上します」(P181・182)とされている。

 石破氏は、ローカルの中小企業に注目して、地方は伸び代が大きいことを強調する。しかし、筆者の知る限り、地方の活性化は総体として苦戦している。地方は、賃金水準が低くて人材が集りにくい。企業の投資も需要規模が人口減少で先細りして呼び込みにくい。確かに、ローカルな中小企業には驚くべき競争力を持つところもあるが、彼らの大方は地元の需要ではなく、グローバルな需要を相手に成長している。それをどう支援するかが鍵だと思う。地方経済に知見の豊富な石破氏には、地方創生の具体案をもっと果敢に描き出してほしい。

社会保障の立て直し

 国民が選挙の度に重視するのは、社会保障問題である。石破ビジョンも、社会保障に多くの分量を当てている。しかし、その中身は、すでに安倍政権下で進められている改革とかなり重なっている。筆者の理解では、安倍政権もアベノミクスの中で、年金・医療・介護には抜本的に切り込んでいない。これは、短期間で終わった第一次安倍内閣が社会保障で厳しい批判を浴びたからだと考えられる。

 もしも、ポストアベノミクスを打ち出すとすれば、勝機は社会保障に切り込んで大胆に対案を突きつける方法がある。石破ビジョンは、なぜかそうした論議を社会保障で挑もうとしていない。

 具体的にみると、「より人を幸福にする福祉社会の実現」では、「働きながら年金を受給でき、働き方に応じ、個人の意思で受給開始年齢を選択できる」ことを提唱している。現在、年金は繰下げ・繰上げで受給開始を変更できる。ただ、ここでの問題は支給開始年齢を繰下げると、勤労しているシニアにとって厚生年金が増額された分、給与+年金の金額が大きくなって、65 歳以降では46 万円の壁に引っかかり、超過額の1/2 が年金からカットされることだ。在職老齢年金制度は、就労を阻害する点でおかしい。それに対して、2020 年の年金改正ではこれを見直し、在職老齢年金制度を廃止しようとしている。筆者はこの方針に賛成であり、むしろ2020 年よりも前に実施してもよいと考える。石破氏の問題意識も同じだと思うが、その方針はすでに安倍政権下で進められているものと変わりがない。

人口問題にも対案を

 「政策至上主義」の著作の中で、日本の根本的な問題は人口減少だと言っている。そして、社会保障支出が巨大化するので「持続可能性の高いプランニングを考えましょうよ」(P130)と主張する。

 石破ビジョンにも、人口急減の文字がみられる。ただ、それに対する対案は必ずしもはっきりと打ち出されていない。アベノミクスでは、保育施設の充実や幼児教育の無償化が、人口減少対策の脈略で語られていて、筆者はずっと不満であった。出生数が増える手前で、若者の結婚が増えれば、少子化が止まるのではないか。若者の賃金が上がり、労働環境が良くなると結婚できる環境を後押しする。地方からは若者が流出して、最も出生率の低い東京へと吸い込まれていく。地方の育児環境を向上させて、地方での結婚をもっと増やせないのか。地方での出生率の上昇が20 年間続けば、おそらく人口減少社会は変えられる。短期的な投票行動には影響を与えにくいだろうが、日本の根本問題はここにある。せっかくの自民党総裁選だからこそ、人口問題をテーマに論戦があってもよいと思う。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生