自民党総裁選を前にして安倍首相が語った「生涯現役時代」への対応策とは、一体何を構想しているのであろうか。それは、雇用・社会保障制度に対して将来的な大きな地殻変動を予感させる。まだその全容はわからないが、すぐに思い付く論点について、3つの課題を考えてみた。

安倍首相が言及した70 歳雇用

 自民党総裁選の中で安倍首相は、継続雇用の年齢を引き上げていくと語っている。これは、高年齢者雇用安定法の下で、就業希望のシニアを65 歳まで雇用するように義務付けていたことを、さらに70歳まで引き上げようということだと理解される。当面は、雇用義務化ではなく、企業の努力目標でスタートするとみられる。この方針は、様々な制度が将来的に変更される地殻変動になるだろう。

 論点の第一は、企業が70 歳雇用を当面の努力目標とするとき、それが公的年金の支給開始年齢を65歳から70 歳へと引き上げることに進んでいくかという点である。2004 年の年金改正では、2013~2025年にかけて男性の厚生年金報酬比例部分を65 歳の支給開始へと段階以降している。2019 年度から厚生年金は、男性63 歳支給となる。2020 年に新たに年金改正をして、70 歳からの国民年金、厚生年金・定額部分の支給開始に変更できるのか。早くても、2025 年から漸進的に国民年金などの支給開始年齢の見直しへと動くことになろう。

 ここで高齢者雇用と年金支給開始を一体化して見直すことへの制約が少なくなると考えられるのは、2020 年に在職老齢年金制度の廃止が検討されていることだ。この制度があると、高い賃金を稼ぐシニア雇用者は、年金カットの憂き目に遭う。65 歳以上は47 万円を超えると、その超過分の1/2 が年金支給額からカットされる。シニア雇用者は、高い能力があっても、ほどほどにしか働かない人も現れる。つまり、労働抑制効果の弊害があるのだ。従って、この制度が廃止されると、賃金は増えて、正規雇用も選択しやすくなると考えられる。年金支給条件とは関係なく、65 歳以降も自由に就労選択ができる。70 歳雇用と公的年金の支給開始はリンケージが弱まる。

企業にとっての雇用延長

 論点の第二は、70 歳雇用の働き方である。仮に、雇用義務が70 歳まで延長されるとすれば、これにまず反対するのは企業である。人件費が重くなることを嫌がるからである。55 歳になる頃まで賃金水準が年齢とともに上がっていく年功序列は、70 歳まで定年年齢が伸びるのでは、人件費の負担が重くなりすぎる。だから、60 歳以降は非正規で働いてもらうしかない。そう考える企業が大方であろう。

 過去、高年齢者雇用安定法が改正される度に、企業からは人件費が重くなることへの強い懸念が示されてきた。70 歳雇用の「努力目標」という扱いは、いずれ義務化へとなる前段階として設定され、企業の懸念に一応は配慮することになる。

 しかし、問題は企業が人件費の増加を嫌がって、シニア雇用者をほとんど非正規形態でしか雇わないことである。すでに65 歳までの雇用延長では、8割が非正規で継続雇用されている。シニア雇用者は正社員であった場合に比べて、彼らの能力発揮が十分に行われないのではないかと考えられる。また、シニア雇用者の賃金水準が低く、労働時間も長くないとすれば、彼らの所得から社会保険料へと回っていく金額もそれほど多くは期待できない。つまり、70 歳雇用という方針が、年金収支の改善へとつながりにくいということになる。

 また、「生涯現役」という理想像との乖離も気になる。70 歳まで低賃金で働いてほしいと言われても、賃金が低すぎてはモチベーションが上がりにくい。年金が少なくても生活できるから、自分はリタイアした方がよいという人は多くいると考えられる。この状態は、65 歳雇用を前提としている現在でも存在する大きな課題である。働く人のモチベーションを無視して、人手不足だからとにかく労働力の頭数がほしいなどと考えて制度設計をすると、せっかくの「生涯現役」という美しい名称に魂が入らないことになる。

シニアの能力開拓という課題

 論点の第三は、シニア雇用者の能力開拓である。少し理屈は複雑なので、順序を追って考えたい。前述したとおり、企業は70 歳までの雇用延長について、人件費が増えて重荷になると考える傾向がある。これは、企業がそう考えがちであるというところからスタートしたが、それが所与の条件だと考えてよいかという思いが、筆者にはある。

 すなわち、年功賃金の下での賃金体系が普遍的なものなのかという疑問である。労働経済学の立場から言えば、年功制とは若い正社員が人生前半に教育投資を受けて、人生後半に能力向上分の賃金を受け取るモデルである。20・30 歳代の頃は、仕事の能力がぐんぐんと上がり、年収600 万円の能力でも実際の受け取りの年収は350 万円くらいに止まる。50 歳代になると、自分の能力以上の年収を受け取ることが可能になる。つまり、サラリーマン人生の後半は、若い頃の投資回収期間となる。この年功制を前提にすると、正社員の定年延長は、50~70 歳の賃金を大幅に引き下げなくては長期雇用をしている合理性はないことになる。

 「だから、日本的雇用のあり方を修正しなくてはいけない」という議論はよく聞く。しかし、何をどうやって見直し、どのような理想像を目指していけばよいかという話はあまり耳にしない。「生涯現役」というスローガンも、一歩踏み込んで、現状の姿と対比して、「では、どうすれば生涯現役が成り立つのか」と問われると、あまり実質の議論は登場していない気がする。

 多くの研究者は、もはや年功制は維持できないだろうという見解を、前述のような理屈で説明するだろう。しかし、深く考えると、その前提は40・50 歳代になると雇用者の能力上昇がストップ、あるいは停滞するということを必然だと考えている点がおかしい。確かに、20・30 歳代の能力上昇は目覚しい。運動能力と同じような生理現象だと多くの人が錯覚する。

 実は、日本企業の人的投資は海外に比べてOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)、つまり職場内訓練に偏っている。先輩が若い後輩を教える方法である。先輩は、教える側でほとんど外部から教育を受ける機会がない。もしかすると、先輩達の知識や経験は、急激な経済環境の中で陳腐化している可能性も大きい。

 ならば、OJT に偏るのではなく、40~60 歳代になっても自分の能力の幅を広げたり、また十分に開拓していない能力を伸ばすための教育投資を行うことが望まれる。一般的に、自分の能力を高める活動を「自己啓発」と呼ぶが、企業が人的投資をすることを「自己啓発」と表現してしまうと、何かミスリードの印象がある。

 20・30 歳代の若手が企業の働きかけによって自分の能力を高める活動を何と呼べばよいのかは、現状、カテゴリーがないと感じられる。そうした中、リカレント教育という言葉が流行してきている。教育機関で社会人が学び直すということを指している。実は、このリカレント教育に、企業がどう関わっていくのかという点について定説はない。

 人的資本の考え方では、一般的人的資本と企業特殊的人的資本の2つがある。教育機関で学び直すということは、リカレント教育は一般的人的資本の投資になるのだろう。その場合、一般的人的資本は他社でも利用できる点で、企業側にそれをサポートする動機が乏しくなると考えられている。ということは、リカレント教育は企業のサポートは少なく、シニア雇用者が身銭を切って行うことになるのだろう。

 リカレント教育については、「海外でも広く行われているから、日本でも・・・」という議論が多い。しかし、こうした議論は理論的に考えると、企業がサポートする根拠が必ずしもしっかりしていない。

長期政権と社会保障

 安倍首相は、「いくつになっても意欲さえあれば働ける生涯現役、生涯活躍の社会を次の1年をかけて作り上げたい」(日本経済新聞インタビュー、9月4日)と総裁選後の抱負を語った。そして、2019 年の次の2年(20121 年9 月まで)をかけて、「医療・年金など社会保障制度全般にわたる改革を進める」とも語る。総裁選に当たって、守りではなく、挑戦的なプランを打ち出して、攻める姿勢で臨んでいることは率直に評価できる。

 ただし、その発言の内容については、様々な論点を含んでいるので、是々非々で検討する必要がある。特に、年金に関しては、多くの国民の間に、「自分たちの時代には、年金はほとんどもらえないのではないか」という漠たる不安が根強い。エコノミストの間でも、年金などの将来不安が家計消費を抑制しているという見解を述べる人は多い。次期年金改革では、こうした潜在不安に応えることが課題である。

 2004 年の年金改革では、「100 年安心」を謳って長期シミュレーションで年金収支・積立金が増えていく見通しが示された。しかし、その見通しは、すぐに狂って収支赤字・積立金取崩しとなった。

 その長期シミュレーションは一旦は絵に描いた餅となったが、最近になって収支は急速に改善し、株価上昇によって積立金残高も増えている。正直に言って、「100 年安心」プランは現実味を帯びている。もしも、安倍首相が2021 年9 月まで任期を延長するのならば、年金の将来像を正しく描き直すことは価値ある業績となる。第一次安倍内閣が、2007 年の消えた年金問題で傷ついたことのリベンジにもなる。長期政権の集大成として、社会保障改革を実行しようとする方針は正しいと思う。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生