2018年は元号が江戸から明治に変わって満150年の記念すべき年だが、その150年間で日本の土地政策はどのように変わってきたのだろうか。国土交通省が6月に発表した「平成30年土地白書」をもとに、これまでの土地政策の変遷をたどってみよう。

明治期から戦前――土地政策の基礎がつくられる

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(写真=PIXTA)

明治期の土地政策の大きな特徴は、江戸時代の封建的な土地所有権の制限が解除され、土地の私有が認められたことにある。また、現代の固定資産税に当たる「地租」の制度が全国的に統一され、併せて土地の調査や所有権の確定、地図・台帳の作成が行われるなど、今日の土地に関する情報の基礎が整備された。

明治期から昭和初期の第二次世界大戦までの間には、工業の発展とともに都市人口が急増し、首都東京の近代化のため上水道や道路が整備された。急速な都市化に対応するために、都市計画制度が導入されたのもこの頃だ。

当時、大都市に流入してきた人の多くは借地・借家に住んでいた。たとえば東京都区部では、戦前の時点で70%の住宅が借地の上に建てられていた。土地所有者よりも不利な立場に置かれている賃借人の保護を目的として、大正10(1921)年、借地法と借家法が制定された。

戦後から昭和後期――戦災を乗り越え高度成長期へ

戦後から昭和初期にかけては、戦後復興する過程で土地に関する新しい秩序が形成された時期だ。第二次大戦で家を失った人は1,000万人、外地からの引き揚げ者は400万人に上り、住宅の供給は政府の緊急課題となった。そこで、政府が簡易住宅を建設し、元兵舎や工場の寄宿舎などを住宅に利用するといった、住宅に関する臨時的な施策が多数実施された。

農地は政府によって強制的に買い上げられた後に小作人に売り渡され、地主制は一掃された。税制面では、地租に代わって固定資産税が導入された。

昭和から平成――高度経済成長期、バブル崩壊を超えて

戦争で荒廃した国土を開発し、経済を成長させるのがこの時期の土地政策の役割だった。そのために、国土計画基本法など多数の開発関連法が策定された。また、国土調査法が制定され、土地の所有者や境界・面積を明らかにする地積整備が進められた。

高度成長期の日本は飛躍的な経済成長を実現したが、一方で東京圏などへの人口過密、地価高騰などの問題が生じた。政府は住宅需要の増加に対応するため、住宅金融公庫を設立し、住宅資金の融資を開始。さらに公団住宅の建設を進めた。

昭和50年代末(1980年代)には、東京都心部の商業地から周辺部、主要都市にも地価高騰が波及し、土地バブルが起こる。政府は地価高騰対策として、投機的な取引の抑制などを定めた土地基本法を制定した。これにより平成2(1990)年をピークに地価は下落し、バブルが崩壊した。

バブル後の土地政策は地価抑制から土地の有効利用に移り、不動産証券化の仕組みの整備、都市再開発などが進められた。また平成18(2006)年、住宅基本法が制定され、住宅政策がそれまでの「量」から「質」に転換。ストック重視の施策が進められることになった。

明治期以来一貫して増加してきた人口は、平成20(2008)年をピークに減少し始めた。本格的な人口減少時代を迎え、土地に関してもさまざまな課題への対応に迫られるようになった。地方都市の空洞化、空き家対策にかかる問題などに対して、現在さまざまな対策が進められている。

今後の土地政策は?

150年にわたる土地政策は多種多様であったが、「国政改革の一環としての政策」「産業、生活の基盤としての政策」「地価高騰対策」「震災後などの緊急対策」の4つに分けられる。これから着目すべきは前半2つの対策だろう。

「国政改革の一環としての政策」としては、たとえば土地に関する行政情報の電子化・オープン化、地理情報をはじめとする情報処理技術の高度化、所有者不明土地問題の解決などの検討が始まっている。また、「産業、生活の基盤としての政策」としては、たとえば生産性向上や働き方改革などの視点から、東京一極集中の抑制、地方創生などにかかわる政策が進められると考えられる。

土地の価格や利用方法は政策によって大きく左右される。土地の所有者や利用者、不動産に関連するビジネスに携わる人は、国の土地政策について大まかな流れだけでも把握しておくべきだろう。(提供:百計ONLINE


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