歴史的と言われた米朝会談は、それが終わった後も視界不良である。非核化について踏み込みが甘かったことと、終戦宣言が先送りされたことは特に大きな問題である、翌週から協議が開催される予定であるが、一連の交渉がすぐには決裂しないとしても、決裂を予感させる波乱はこの先に何回も起こりそうだ。

条件を詰められなかったトランプ大統領

 6月12 日にシンガポールで米朝首脳会談が開催された。トランプ大統領は、「歴史的会談だ」という点を強調し、互いに合意声明に署名をした。ところが、その合意声明には、具体的な内容が書き込まれず、「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」(CVID)も盛り込まれなかった。事前に言われた朝鮮戦争の終戦宣言についても決定が見送られた。

 そこから類推されるのは、トランプ大統領が成果を強調するのとは反対に、具体的なことが何も決められなかったのではないかということである。大統領自身も「時間がなかった」ことを吐露していた。この点は、北朝鮮の時間引き延ばしが成功して、時間切れになったとみることができる。トランプ流のディールは、トップが決断して、後から実務が動くというスタイルを想定しているが、外交交渉はそれになじまなかったのだろう。外交の実務では、事前協議で課題を選んで、そこで合意事項を詰めていく。いわば積み上げ型で、最後にトップが署名する。今回は、事前協議が十分に行われず、国務省があまり機能しなかったと言われた。それは、6月12 日の開催が直前まで宙に浮いていて、トランプ大統領も、自己流のディールでうまく行くという油断があったからだろう。

 そうした足腰の弱さは、北朝鮮が勝手な発言を終了後にしていることからもわかる。「段階的、同時行動の原則」と13 日に朝鮮中央通信は発信している。これは、どうもトランプ大統領が記者会見で誇らしげに語っていたこととニュアンスが違う。

 会談の翌週からポンペオ国務長官らが北朝鮮と協議する予定が伝えられている。早ければ、その場で北朝鮮と米国との思惑の違いが噴出することになろう(図表1)。

米朝会談、ディールの限界
(画像=第一生命経済研究所)

 また、非核化に関する費用は、日本や韓国が北朝鮮を支援するかたちでサポートされるという話もある。果たして、安倍首相や文大統領は事前にトランプ大統領にそんな約束をしたのだろうか。火種は、北朝鮮が勝手な解釈をし始めていること以外に、トランプ大統領自身の勝手な理解にもある。

 すぐに、一連の交渉が決裂しないとしても、決裂を予感させる波乱はこの先に何回も起こりそうだ。

本当に非核化できるのか?

 米朝会談の核心部分は、北朝鮮を非核化することである。過去の失敗を繰り返さないように、どう工夫するのかが最大の焦点だった。トランプ大統領は、記者会見で「制裁解除は核兵器が懸念材料ではないと確認したときだ」と語った。筆者は、それを聞いて、一番肝心要の部分がこれほど詰められていないことに驚いた。北朝鮮の非核化が何によって担保されるのかを考えると、それは経済制裁である。これまで完全な非核化が実現されるまで制裁を続けることは、安倍首相とトランプ大統領の間でも何回も確認されてきたことだ。そこが北朝鮮との間で共有されていないとすると、これは非核化の実効性を大いに疑わせることになる。これも、きっと北朝鮮が具体的なスケジュールをつくることに抵抗したからだろう。ならば、トランプ大統領が、金正恩委員長のことを聡明だったと評価している言葉は何を意味するのか。北朝鮮の強かな交渉術によって具体的な内容に踏み込めなかったことを、敵ながら素晴らしいと評価しているのか。とても不思議である。

 事前に北朝鮮は、ボルトン補佐官が言及していたリビア方式に反発していた。リビア方式とは、2003 年12 月にリビアと米英が秘密交渉の末、即時かつ無条件にリビアの核放棄を約束したものである。IAEA(国際原子力機関)がリビアの申告に基づき査察を行って、米英がすべての各施設に立ち入ることを認めた。翌2004 年に経済制裁が解除されて、2006 年にはリビアは米国と国交回復する。しかし、アラブの春が起こって、米国の支援を受けた反体制勢力にカダフィ大佐は2011 年に殺される。先に核廃棄があって、後から経済制裁が解除されるという方式である。今回も、リビア方式という名称は使われていないが、話を進めていくと実質的にリビア方式をなぞる格好になるだろう。もっとも、トランプ大統領は紛糾することを恐れたのか、リビア方式を話題にしなかった。今後の協議では、核放棄を実現する手法のところが一番揉めることが警戒される。

 非核化に向けて課題は多い。北朝鮮は核兵器を実用化している。製造の能力は高い。核弾頭60 発と100 か所以上と言われる各施設を調べて、その機能・能力を無力化する。核施設などは北朝鮮の申告に基づいていて、申告の内容が真実であることを確認するのに手間がかかる。地下施設に核兵器が隠されていないか、原料となるウランの濃縮・プルトニウム生産を完全に停止できるのか。核兵器の解体は技術的に難しく、海外への搬出もあり得る。規模・手続き・技術面で簡単ではない。確かに、段階的な廃棄という考え方は正論である。

終戦宣言も消えた

 米朝会談だけでなく、その手前の南北会談でも終戦宣言への期待は強かった。それが、米朝の合意声明になかったことは意外であった。この終戦宣言が仮に行われたとすると、次は韓国、中国を含めた4か国の終戦協定へと進んでいくことになるだろう。また、朝鮮半島の非核化も、その終戦を前提に進む。ステップとして、北朝鮮と米国・韓国が互いに軍事的脅威を取り除くことを決めていくことになろう。

 その中で重視されるのは、在韓米軍の撤退まで進むかどうかである。これに対する慎重論は強い。トランプ大統領の記者会見では、その点への答は歯切れが悪かった。トランプ大統領と言えば、大統領選挙で韓国などの駐留経費の負担を同盟国に求めて、米軍撤退をほのめかしてきた前歴がある。在韓米軍の縮小という観測は常に聞かれる。万一、大幅縮小・撤退となると、在日米軍への負担は大きくなり、日本は安全保障上の役割を増すことになる。

 北朝鮮と米韓との対立がなければよいという人もいるだろうが、裏腹に北朝鮮が先々裏切ったときのリスクを日本がより大きく負うのは不都合である。在韓米軍の撤退へと進むと、潜在的な地政学リスクは大きくなると理解できる。

 もうひとつ、北朝鮮への経済支援である。終戦宣言と制裁解除なくしては、北朝鮮が欲しがっている経済支援には進めない。前述したように、トランプ大統領は支援についても日本や韓国をあてにしていて、自身では出したくないと思っている。

 日本は、北朝鮮との間に拉致問題があり、北朝鮮は経済支援との見合いに拉致問題への対応をしようと思えている。終戦を先送りしたことは、拉致問題に着手するまでの距離の遠さを印象づける。

残された問題は多い

 筆者は6月12 日の会談でもっと多くの合意ができると思っていた。しかも、具体的な日程や条件が明示された上である。そうした点は、まさしくトランプ流のディールの弱点が露呈されたと思う。

 トランプ大統領がワシントンに届く核弾頭付きのICBMを廃棄させることを目指す代わりに、それ以外の点は置き去りにした面は、最初からずっと気がかりだった。特に、残された問題として日本にとって不都合なのは、北朝鮮の各種ミサイルが廃棄されないことである。ここ数年、北朝鮮が日本にミサイル発射により威嚇を繰り返してきたことは改めて言うまでもない。生物・化学兵器についても同様である。

 ほかにも、北朝鮮の軍備は残り、体制も存続が保証されて残る。そして、金体制の下で行われてきた人権問題も残る。これは、米国人3人を解放したから、すべてを水に流せるということではないだろう。米朝会談は、米国の脅威になる核を廃棄させることに一点集中して、そのほかの火種に蓋をした状態に見える。

 残された問題があまりにも多いということは、万一、非核化という目的が達成できずに今後の交渉が決裂したならば、元の木阿弥になるリスクを意識させる(図表2)。

米朝会談、ディールの限界
(画像=第一生命経済研究所)

為替・株価にも影響

 筆者は、このまま北朝鮮がすんなりと非核化できるとは思わない。前途にはまだいくつかの波乱が待っていると覚悟している。

 このことは、円高=ドル安、株安リスクと言える。完全な決裂にはすぐに至らないだろうが、地政学リスクが徐々に意識されることになるだろう。

 焦点は、11 月6日の中間選挙である。楽観シナリオは、北朝鮮が11 月までは面従腹背を続けて、リスクが顕在化しないシナリオである。

 悲観シナリオは、協議がうまく運ばなくなって、トランプ大統領が強硬手段に打って出ることである。選挙前のタイミングでは、アピールに拍車がかかりそうだ。

 また、北朝鮮との外交に一点集中して成果を求めてきたトランプ大統領が、別の分野で強攻策に出るというリスクもある。

 さらに言えば、トランプ大統領の外交手腕にかなり大きな傷がついたことは、米国にとって不幸である。大統領を支持しない人でも、これまではトランプ大統領のディールの手腕を評価する人は少なからず居た。北朝鮮外交で失敗することは、そうした評価をも覆すことになる。これは、米国の信任をも低下させる。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 経済調査部