「キャリアの大三角形」を描こう

藤原和博,45歳の教科書
(画像=The 21 online)

新卒から70歳まで働くとすると、 45歳がちょうど折り返し地点。ここでどう働き方を変えるべきか、どのようなスキルを磨き、能力を伸ばすのか、悩める時期である。この連載では、70歳までのキャリアを見越した働き方と生き方について、リクルートを経て40代から民間校長として教育の世界に新たな挑戦を始めた藤原和博氏にアドバイスをいただく。<取材・構成=甲斐ゆかり(サードアイ)、写真撮影=清水茂>

藤原和博,45歳の教科書
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今の40代はずっと「下り坂」を生きている

いつの時代もおそらく、40代が人生の中でいちばん大変な時期であると思います。ただ、今の40代が特別なのは、日本が既に成長しきった後の「下り坂」の社会を生きていることでしょう。日本は、1997年に高度経済成長が終わって98年から成熟社会に入り、GDPは下がり続けています。今の四十代は、そんな中で社会人になっています。

奇しくも同じ頃、アメリカではアマゾンやグーグルなど、世界の構造を変えていくであろう会社が生まれています。一方、日本では、企業の合併やリストラが進みました。  

中間管理職の多い40代は、上司と部下の間に挟まれ、責任も増す世代です。しかしその割に給料は上がらない。何かを変えたいと自己啓発書を読んでも、留学や資格取得や投資など、すぐには実行できそうもない処方箋が並んでいる。こんな八方ふさがりの状況に家庭や個人の問題が重なれば、心身にも不調が出てきて当然でしょう。

下り坂の社会はつまずく可能性も高い。40代はそのことにもっと自覚的であるべきです。

キャリア、お金、人生は点と線と面で描き出せる

そんな中、自分のキャリアを充実させるヒントとして、ぜひ覚えておいてほしいのが「キャリアの大三角形」です。

オリンピックのメダリストのようにもともと特別な才能に恵まれていれば、100万人に1人の存在となることは可能です。しかしそれ以外の大勢の人でも、複数のキャリアを極め、それらをかけ合わせることで、100万人に1人の存在になることができます。

藤原和博,45歳の教科書
(画像=The 21 online)

上の図で説明します。まず20代の5年から10年で、ある分野の仕事をマスターします。一つの仕事をマスターするのに、一般的には1万時間かかると言われます(ちなみにどの国でも、義務教育のトータルはだいたい10年、1万時間弱です)。営業でも開発でも、1万時間取り組めば、100人に1人くらいの希少性が得られるでしょう。これが左足の軸、三角形の基点になります。

次に、30代の5年から10年で、違う分野の仕事をマスターします。ここで100人に一人の希少性を手に入れれば、100分の1×100分の1=1万分の1人の希少性を確保できたことになります。これが右足の軸となり、三角形の底辺、生きていくための下地が決まります。40代なら、おそらくここまでは到達できているでしょう。

3歩目は、40代から50代にかけて作る3つ目のキャリアです。ここで100人に1人の希少性を得られれば、100万分の1人の存在になれます。この3歩目を踏み出すときにはちょっとしたコツがあります。後で説明します。

こうして踏み出した3歩目が三角形の頂点となり、描いた三角形の大きさが、自分のキャリアの希少性を表します。

60代からは、描いた三角形を三次元化します。平面だったキャリアの総量に「高さ」をつけるのは、自分の生き方に対する「こうありたい」という意志や哲学性、人生を描ききる美意識のようなものといえます。  ここで立ち上がった立体が、自分の人生のクレジット(社会や他者から得てきた信頼度や共感の総量)で、自分が生きる上で自由に活

動できる領域、人生の自由度を表わします。この立体(信用の総量)を現金化したものが報酬です。残りは、報酬を目的とせず自由に活動できる領域で、60代以降の人生の豊かさを示す部分でもあります。

3歩目を踏み出すときは 試行錯誤があっていい

さて、この「3歩目」ですが、一発必中をめざす必要はありません。私自身、東京都で義務教育初の民間校長になるまでには、いくつかの試行錯誤がありました。むしろ、「こっちの方向かな?」「いや、こっちかもしれない」と、試しに何歩か踏み出してみることで、「ここかな」という自分のカンどころがわかってくるかもしれません。

また、意に沿わない部署に異動になったとか、子供のPTAの役員に選ばれたなどの「偶然」が、自分を思わぬ世界に引き合わせてくれることだってあります。友人に誘われて出た勉強会や趣味の集まりが、新たな扉を開いてくれる可能性もあるでしょう。

私自身の経験から言えるのは、1歩目、2歩目の軸足がしっかり見えているなら、とにかく思いきり「3歩目」を踏み出してみるということ。民間校長として改革に取り組むことは「無謀で」「不利な」挑戦だと言われましたが、そうであればあるほど、世の中の人は応援してくれることも実感しました。 「得をしよう」と思っていたら応援は得られないし、「失敗したくない」と計算し過ぎたら、絶対に跳ぶことはできない。先日「新しい地図」(※編集部注:稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾がSMAP時代のマネジャー・飯島三智氏と共に立ち上げたタレント運営会社CULENによるファンクラブ、サイト)の3人が、ネットで72時間の生番組に挑戦しました。彼らは皆40代。まさに「無謀で」「不利な」勝負だったけれど、世の中の多くの人に応援され、復活を印象づけた。40代のキャリアを考えるうえで、象徴的な出来事に映りました。

「組織内人生」にも大きなリスクがある!

キャリアの「3歩目」を踏み出す際に、今いる組織に留まるほうが安全ではないかと考える人もいるかもしれません。果たして本当にそうでしょうか。

規模の大小に関係なく、組織にいることの大きなリスクは「上司」の存在です。サラリーマンである以上、上司が間違いなく幸せの半分のカギを握っていると私は考えています。そして40歳よりも45歳、45歳よりも50歳と、年齢が上がれば上がるほど、リスクはドンドン大きくなります。

若いうちは、たとえ直属の上司と気が合わなくても、異動や組織改革で環境が変われば、新しい上司からチャンスをもらうことができます。しかし、昇進につれて異動できる場所は限られていき、評価を下す上司の顔ぶれもだんだん決まってきます。そして晴れて部長になったとき、常務や専務と合わなければ、「アイツはダメだ」と烙印を押されて「終わり」。一度下された評価は二度と覆らないまま、退職までの長い時間を過ごすことになります。キャリアの「3歩目」も、小さくならざるを得ないでしょう。

そう考えると、「転職」「独立」のリスクと「留まること」のリスクは、45歳以上からは実はほぼ同じと考えてもいいのではないでしょうか。

運動エネルギー型の履歴書を書いてみよう

そうはいっても、3歩目をどう踏み出せばよいのかわからないなら、転職の意志の有無にかかわらず、これまでの自分の「履歴書」を書いてみることを勧めます。

このとき、「新規事業のプロジェクトリーダーを務めた」「営業部の次長に就いた」というように、自分がどんな部署にどんな役職でいたか(=Be)という「位置エネルギー型」の経歴ではなく、「連携不足の解消に組織横断的な役割を買って出た」「不足していた○○の技術を補うために部内に専門部署をつくった」など、自分がどんなことをしてきたか(=Do)という「運動エネルギー型」の実績を書いてみてください。そうすると、今後自分はどこに力を入れるべきか、どの部分をさらに深めればよいか、エネルギーの矢を放つべき方向性が現実感をもって見えてくるでしょう。

その結果が「同じ仕事をもう一度深掘りすること」になっても構いません。大事なのは、自分のキャリアを棚卸しして、不要なもの、必要なものを明確にすることだからです。たとえば営業を一通りやって接待の経験が十分なら、社内接待に時間を使うよりも仕事の専門性を高めるための時間をもったほうがいいとか、法務の仕事をやりたいから専門の勉強をしたいとか、自分のキャリアに肉付けすべきこと、逆に削除すべきことがはっきりわかればいいのです。そうすることで、三角形の頂点、つまり「3歩目」をどこに踏み出すかが、おのずと見えてくるはずです。

藤原和博(ふじはら・かずひろ)教育改革実践家
1955年、東京都生まれ。78年、東京大学卒業後、〔株〕リクルートに入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任。メディアファクトリーの創業も手がける。93年よりヨーロッパ駐在。96年、同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校の校長を務める。08~11年、橋下徹大阪府知事特別顧問。14年から佐賀県武雄市アドバイザー。16年から奈良市立一条高校校長。『藤原先生、これからの働き方について教えてください。』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など、著書多数。(『The 21 online』2018年1月号より)

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