老舗も大手コンビニも頼る、ソフトクリームの王者
連日、大にぎわいの東京・墨田区、東京スカイツリーの商業施設「ソラマチ」に、ひと際長い行列があった。「祇園辻利」。京都で150年以上続くお茶の老舗だが、お目当ては宇治の抹茶をぜいたくに使った「抹茶ソフトクリーム」(470円)。発売から25年を数える、辻利の大ヒット商品だ。スカイツリーでしか味わえない限定商品は、抹茶、ほうじ茶、玄米茶、3つの味が楽しめる「つじりツリーソフト3色」(720円)。白玉や小倉餡も盛り込まれたスペシャルなスイーツだ。
一方、浅草・雷門。観光客が絶えない仲見世商店街にも気になるソフトクリームがあった。明治35年創業の和菓子の老舗「舟和」仲見世1号店。名物の「芋ようかん」はさつまいもの甘さをそのまま閉じ込めた創業以来の看板商品だ。芋ようかん味の「芋ようかんソフトクリーム」(350円)は、芋せんべいと薄切り芋ようかんが添えてある。
実は今、こうした老舗が、看板商品の自慢の味をソフトクリームにして人気を得ている。それを可能にしているのが次々とソフトクリームを作り出す機械、フリーザー。作っているのが日世だ。「辻利」や「舟和」のソフトも、日世のフリーザーで作っている。
「舟和」の芋ようかんソフトの原料は、ようかんに使っているさつまいもを丸ごとペースト状にしたものと、ソフトクリームの元になるミックスと呼ばれる商品。ミックスは液体で、味も香りも付いたソフトクリームの原液だ。この2つを混ぜ合わせ、芋ようかん味の新たなスイーツを生み出した。
実はこのミックスも日世が作っている。さらにソフトクリームを乗せるコーンも日世だ。
「ソフトクリームで困ったことがあったら、日世さんに連絡すれば何とかしていただけます」(「舟和」仲見世1号店店長・青木正美さん)
全国2200店舗を展開するコンビニのミニストップは、1980年の創業時から他社との差別化をはかり、日世のソフトクリームを販売している。
当時、ソフトクリームは扱いづらいとコンビニでは敬遠されていた。乳製品のソフトクリームは大腸菌が発生しやすく、クリームを巻くのも慣れるまでに時間がかかるからだ。
そこで日世はフリーザーに自動殺菌機能を加え、さらにクリーム自体がひねりながら出てくるようにノズルを改良。手を動かさなくてもいいようにしたのだ。これならアルバイトでも、簡単に作って出せる。
いつしか「ミニストップといえばソフトクリーム」と言われるようになった。ミニストップ商品本部長の中山博之さんは、「牛乳を原料とする商品の怖さをよく分かってらして、おいしさを届けるための機械への思いやりと情熱があるのが日世さんの強みだろうと思います」と、日世に全幅の信頼を寄せる。
もともとコーン製造から始まった日世。しかし、今やコーンだけでなく、フリーザーやミックスも手がけ、取引する会社は2万社以上。シェア5割を誇るソフトクリームのトップカンパニーとなっている。
東京・渋谷区の「ピエール・エルメ・パリ青山」。世界11カ国に店舗を持つマカロンで有名な「ピエール・エルメ」も取引先のひとつだ。去年から日世と手を組み、オリジナルソフトを販売している。「ソフトクリーム イスパハン」(864円)。ライチとフランボワーズを散りばめた甘酸っぱい逸品だ。
「ソフトクリームの世界に行きたかったとき、いろいろ考えましたが、日世さんしかなかったです。味も良くてコクも出て、食感が違います」(「ピエール・エルメ・パリ日本」リシャール・ルデュ代表)
取引先は2万社~オリジナルの最高峰ソフトクリームも開発
日世が多くの会社から支持される理由の1つが、細かい要望にも応えられるソフトクリームの原液、ミックスにある。主な原料は牛乳や脱脂粉乳、砂糖など。この配合を変えることによって、微妙な風味の違いを生み出すことができるのだ。例えばベーシックな白いソフトクリームのミックスだけでも8種類を製造。取引先は作りたい味に合わせてミックスの味や濃さを細かく選択できる。
滋賀県多賀町のびわ湖工場で、出来上がったミックスは人の姿がない部屋へ。乳製品は菌が発生しやすいため、人の手に触れることなく滅菌し、パック詰めして出荷される。その量は年間でソフトクリーム、2億5000万個分。日世は品質を守りながら、2万社もの取引先に対応しているのだ。
神奈川県川崎市の人気商業施設「グランツリー武蔵小杉」にある「チョコットミルクバー」武蔵小杉店。そこに日世社長、岡山宏(71歳)の姿があった。業界でダントツのトップ企業になった今も危機感を持ち、時間があれば取引先の様子を見て回っている。
「最近の消費者の皆さんの流行のスピードは速い。今販売しているソフトクリームを超える品質のものを開発し続けていくことが最大の課題だろうと思っています」(岡山)
そんな危機感から、これまで裏方に徹してきた日世が自ら作ったのが、最高峰とも言えるソフトクリーム「クレミア」だ。
ミルクの濃さを感じる乳脂肪分は12.5%という高さ。濃厚な生クリームのおいしさを前面に打ち出した「大人のソフトクリーム」だ。
「ハーゲンダッツのソフトクリーム版です。『ソフトクリームのプレミアムを作るんだ』と、ずっと取り組んできました」(岡山)
クレミアの開発は2010年にスタート。発売までの3年間に400回以上の試作を重ねた。 クリームだけでなくコーンにもこだわった。採用したのはラングドシャ。高級焼き菓子などに使われている生地だ。サクサクした食感としっとりとした口当たりで濃厚なクリームに負けない存在感が出せる。
だが、その開発は困難を極めた。オーブンで焼いて作るのだが、円錐形にするのが難問だった。コーン生産部の廣田智統は、「ラングドシャは温度が高いほど柔らかい。巻こうとした時には冷めて硬くなっていて、無理やり巻くと割れる。そのバランスを取るのが難しかったです」と言う。
試行錯誤の末、割れやすい生地をなんとか巻き、これまでにないサクサク感を持つコーンが誕生。新しいソフトクリームに独特の食感を加えることができたのだ。
2013年、満を持してクレミア発売。すると狙い通り、大人が食いついた。クレミアは今や1700店以上で食べられる。圧倒的な供給力とオリジナルの2本柱で、日世の去年の売り上げは464億円(連結)に達した。
日本初のソフトクリーム、知られざる誕生秘話
大阪・梅田の地下街「阪急三番街」にある日世直営のソフトクリーム専門店「ソフトクリームランド スウェーデン」。ウィンドウにはありとあらゆるソフトクリームが並ぶ。
お客が並んでも食べたかったのは大人の顔ほどもあるジャンボパフェ「ソフトクリームランド」(3000円)。ただし、7月3日は「ソフトクリームの日」ということで、毎月3日は半額で提供(1月と7月を除く)、大人気となっている。
日世の歩みはソフトクリームの歴史そのものだ。
1947年、日系2世の田中穰治が起こした貿易会社「二世商会」が日世の前身。創業者がソフトクリームに目をつけたきっかけを、現在の会長、田中稔章が聞いていた。
「同級生と連絡を取り合っていて、『アメリカでソフトクリームが売れ始めた』と。『これを日本でやったらどうだ』という話がありまして」
半信半疑ながら1951年、アメリカからソフトクリームのフリーザーとコーンを輸入。大阪の百貨店で日世は初めてソフトクリームを販売する。かけそばが15円の時代に、ソフトクリームは1個50円と高級品だったが、飛ぶように売れた。
「フリーザーを1台設置すると、1年で蔵が建つくらいの儲けがありました」(田中)
それから3年後には本格的なソフトクリームブームが到来する。火付け役はプロレスラーの力道山。外国の大男をなぎ倒す国民的ヒーローに日本中が熱狂した。ただし、テレビはまだ普及しておらず、庶民は街頭テレビやテレビのあるそば屋に群がった。
「でも、みんな食事を済ませてくるのでそば屋さんの売り上げはない。そこでソフトクリームを、食後のデザートとしてプロレス観戦をしながらのぜいたくということで売り出した。それで火が付きヒットになりました」(田中)
これがきっかけとなり日本中にソフトクリームが広がっていった。
しかし、ここで大問題が。ブームに便乗した店が衛生管理を怠り、大腸菌が続々と検出される騒動に。販売店の半数近くが処分を受け、ブームも終焉を迎えた。
日世にとっては存亡の危機。この時、創業者の田中穰治は大きな決断を下し、運命を切り開く。それが自分たちで衛生管理できるフリーザーの製造だった。
すでに日世はコーンを作っていたが、1963年、フリーザーの自社製造に踏み切る。さらに1966年には、衛生管理しやすい液体ミックスの生産も開始。コーン、フリーザー、ミックスと、ソフトクリームに必要な全てを作るようになったのだ。
そこに追い風が吹く。1970年、日世のお膝元、大阪で日本万国博覧会が開催された。日世は勝負に出て、自社生産したフリーザー110台を場内に設置。するとソフトクリームを舐めながらパビリオンを巡る人が続出。日本中が注目した一大イベントで、ソフトクリームは再びブームとなったのだ。
以後、それまでは見られなかった「食べ歩き」も日本に定着した。当時入社2年目だった岡山は、「万博が終わった年の営業は、お客様からのフリーザーの注文をお断りするのが仕事だったこともあった。生産が間に合わないほどの注文を頂きました」と、振り返る。
イチゴからウニまで800種類~ご当地ソフトで大躍進
さらに1983年、日世は新事業に参入した。果物をヨーグルトなどに入れられるようジャムやソースに加工するフルーツプレパレーションだ。
この加工技術から大ヒット商品も生まれた。それが、全国の道の駅などで売られているご当地ソフト。例えば、栃木県宇都宮市の道の駅「ろまんちっく村」では、新しい品種のイチゴ、スカイベリーの「スカイベリーソフト」(350円)を共同開発。甘みと酸味、両方が強いスカイベリーの持ち味を、加工技術でソフトクリームに閉じ込めた。
こんなやり方で地域の特産品を生かしたご当地ソフトを次々と生み出し、今やその数800種類以上。商品開発では、まず日世が提案メニューを作成。それをもとに客と共に完成品を創り上げるスタイルだ。
奈良県奈良市のレストラン「コトコト」にも日世と共同開発したソフトクリームがある。生姜を使った「清澄ジンジャーソフト」(400円)だ。
奈良県では、もともと強い香りと辛味を持つ生姜が伝統的に栽培されていた。この生姜で自慢のシロップを作り、ジンジャーエールなどを作ってきたが、「今度はソフトクリームを」と、日世に相談したのだ。
「苦労したのはシロップの分量です。水分量が多いとフリーザーの中でざらつき、氷の結晶ができてしまうので」(日世・亀岡大輝)
シロップの濃度を変えるなど試作を繰り返し、店も納得のソフトクリームを完成させた。しかも、「ソフトクリームの機械を購入しただけで、いろいろサポートしていただける。すごいことだと思います」(『粟』三浦雅之社長)
たとえ大ヒットが生まれても、メニュー提案はタダ。顧客サービスなのだ。
またもや万博で大ヒット!~ニッポン品質で中国席巻
中国・上海。その繁華街にある日本でもおなじみのケンタッキー。ここで長い行列を作っていたのは、ソフトクリームがお目当ての人たちだ。
今、中国はソフトクリームブームの真っただ中。日世のクレミアを食べている人も。「他のより濃厚だし、ココアをかけるとさらにおいしくなるんだよね」と、好評だ。
日世は8年前に中国に進出。そのきっかけはやはり万博だった。2010年の上海万博に出店すると、長蛇の列ができる大盛況。そこから、日本のソフトクリームの味を中国に広めていった。
もともと中国にもソフトクリームはあった。だが。粉のミックスを水で溶いて作る店が多く、出来上がりが粉っぽくなるという。日世はここに商機を見いだし、中国への攻勢をいっそう強めているのだ。
上海に降り立った岡山が向かった先は、去年11月に出来上がったばかりの江蘇省・昆山工場。およそ50億円を投じ、ミックスとコーンの両方を生産できるラインを新設し、日本と同じ品質のソフトクリームが作れるようになった。
「まず日本の高品質のソフトクリームを中国の消費者に食べていただくのが基本戦略です」(岡山)
さらに中国人の好みに合わせた味も研究、新しく作った味を武器に取引先も開拓している。中国で80店舗を展開する人気カフェチェーン「喜茶」は、今年の6月から日世のソフトクリームを導入した。ウーロン茶のソフトクリームもある。さらに7月、日世が中国全土で発売した新しいソフトクリームの味の正体は、果物の王様・ドリアン。強烈なにおいを放つが、味は格別だといい、実は今、中国は空前のドリアンブームに沸いているのだ。
かくして中国での売り上げは130億円となり、新たなソフトクリーム文化まで根付かせようとしている。
~村上龍の編集後記~
スタジオで、不思議なやりとりが続いた。「原料、コーン、フリーザー、全部自社生産、むずかしいですよね?」「世界で唯一です」。どのくらいむずかしいか、説明がない。
フルーツプレパレーション、衛生管理、中国進出などなど、「むずかしい」ではなく、中には「不可能かも」と思われることもあったが、岡山さんは淡々と、「やる必要があった」。
途中で気づいた。日世は創業以来、簡単なことは何一つやってこなかった。だから当たり前になっている。
「ソフト」なアイスクリームは、極めてハードな努力で作られてきたのだ。
<出演者略歴>
岡山宏(おかやま・ひろし)1946年、和歌山県生まれ。関西学院大学法学部卒業後、日世株式会社入社。2015年、代表取締役社長就任。
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