レジャーから防災まで~日本最大の地図メーカー
栃木県茂木町にある「道の駅もてぎ」は、SLが目の前で見られる全国でも珍しい道の駅。そこに、全国1134カ所の道の駅を制覇したという達人、大黒聖介さんの姿があった。夫婦で道の駅めぐりを続ける大黒さんには、頼りになる相棒があるという。それが「道の駅旅案内全国地図」(1188円)だ。
そこには道の駅を示した道路地図と、道の駅の基本情報が載っているが、魅力はそれだけにとどまらない。例えば「道の駅もてぎ」のページでは、SLが見られる時間まで書いてある。さらに地図の上のスペースには、その地方の旬の食材を紹介。情報たっぷりの便利な本なのだ。
「新しい情報が載っているし、情報量が多い」「『読む地図』みたいで読んでいても楽しい」と、達人も絶賛するこの本を作っているのがゼンリンだ。
ゼンリンは地図作りの専門メーカーで、グループ従業員は約3000人、年商約610億円。東京・千代田区の東京本社を訪ねると、社員が真剣な表情で地図に見入っていた。
従業員には「地図マニア」も多いようで、「『ここが昔は川だったんじゃないの?』とか、『ここは絶対、段差があるよね』とか、地図を見て2、3時間、酒が飲めますね」「紙地図で旅行に行った気になっている。仕事とプライベートの境目がよく分からないと言われます」という声が聞かれた。
そんなゼンリンの看板商品が「ゼンリン住宅地図」。その数2000冊。日本全国、すべての市町村を網羅している。中を開くと、建物が1軒1軒、しかも住人の名前まで書かれている。ほかにも交差点の名前や一方通行の規制時間。さらに車が通れない細い路地から、その奥にある階段まで網羅してあるのだ。
ゼンリンは日本全国の建物を100%カバーした住宅地図を作る国内最大の地図メーカーだ。カーナビの7割以上で使われており、グーグルやヤフーのインターネット地図もゼンリンの地図がベースになっている。
ゼンリンの地図は命を救う現場でも使われている。例えば消防の指令センターだ。
川崎市消防局指令センターに火災の通報が入った。すると、モニターの地図に火災現場を表す「火」のマークが表示された。そして現場にポンプ車を表す「P」のマークが。こんなことまで地図上にリアルタイムで示される。このシステムのベースになっているのもゼンリンの住宅地図だ。
「『はしご車ならここは通れる』とか、『救急車なら小さいのでここまで入れる』というのが分かります」(警防部指令課・森淸仁さん)
一方、消防車の地図上に表示されたのは消火栓の場所。このおかげで、いち早く消火に取りかかれるという。
人命救助に欠かせない~知られざるゼンリン地図
今年7月、西日本各地を襲い甚大な被害をもたらした西日本豪雨災害の現場でも、ゼンリンの地図が人命救助の役に立っていた。
停電していても使えるから紙の地図が重宝されている。特に被害が激しかった広島市の懸命な捜索活動の現場でも「昔から消防はこれ一本です。これがないと現場に行けない」という声が。他のどの地図よりも詳しいゼンリンの住宅地図だからこそ、こうした現場で頼りにされるのだ。
今回のような大きな災害が発生すると、ゼンリンでも災害対策本部を設置。被災した自治体に地図を無償で貸し出すという。しかし社長の髙山善司(56)は、地図メーカーとしてさらに一歩進めた取り組みが必要だという。
「地図の役目はこういうことだという使い方とか、『ああ、そういう使い方ものできるのか』ということをうちが伝えないとダメなんです」
地図情報をより効果的に使えば、救助や復旧活動はよりスムーズになる。だから社員が
直接現場に入るべきだと考えているのだ。
そんな髙山の考えの一つがすでに動き出していた。去年の九州北部豪雨で大きな被害を受けた福岡県朝倉市とともに作ったのが「気象災害予測支援システム」。たとえば河川に氾濫の恐れがあると、赤色で浸水予想区域が示される。これが住宅地図と連動。高齢者など支援が必要な人の家が赤く表示されるから、いち早く避難誘導できるという。
実際、今回の西日本豪雨でも役立ったのが、朝倉市全域の地図が表示された画面。ライブカメラの画像で市内を流れる河川の状況がリアルタイムで表示され、それぞれの水位も分かるようになっている。
「このシステムも参考にしながら順次避難指示を拡大していきました」(防災交通課・二宮正義課長)
少しでも早い救助活動につなげるために、ゼンリンはこのシステムを全国に広げようとしている。
「生活が豊か・便利になることに対して、地図のデータベースが支援できるようにやっていきたいと思います」(髙山)
「便利になった」を支える~ハイテク地図の秘密
ゼンリンの地図作りの現場に密着してみると、その根幹は驚くほど地味な作業だった。全国に1000人いる調査員が、毎日6時間歩き回り、1軒1軒その目で確認していく。都市部では建物の変化が激しいから、毎年地図を更新。新しいビルを発見すると、その形や階数をチェックし、地図に書き込んでいくのだ。
東京・青梅市。ゼンリンの調査員・須沢健二が目指すのは、集落から20分も離れた山奥。そこには1軒の民家があった。前回の調査では空き家だったが、今も空き家かどうか、確かめる。
こうした空き家情報は、自治体や消防などが災害の時、救助が必要かどうかを判断する情報になるという。だから必ず1軒1軒確認し、地図に落とし込んでいくのだ。
「自治体さんから要望があれば、空き家の情報を提供させていただいています」(須沢)
ゼンリンの調査員の胸元を見るとみんな何色ものペンを差している。実は色ごとに、使い方のルールがあるという。例えば、解体された建物があれば赤色で消していく。まだ完成してない建設中の建物は緑でメモしておく。
地図に載せるべき情報が年々増えていく中、10年ほど前から加わった、新しい調査項目があるという。「ピンク情報のことですか」と言うのは調査員の豊田康浩だ。その情報が使われるのはカーナビだ。
例えばカーナビに「江戸東京博物館」を入力する。旧式のカーナビだと、目的地の近くに来ると「目的地周辺です」でナビの案内は終了。入り口が見当たらないということがよくあった。だが、ピンク情報が入った最新のカーナビは、建物の入り口までちゃんと案内してくれる。
「道路2面に面している建物であれば、ピンクの線を引くことで、道路のこっち側に面してますよ、と」(豊田)
車がちゃんと入り口に横付けできるのは、ピンク情報のおかげなのだ。
さらに、新たな地図を作るために導入されたのがハイテクカー。ルーフには360度撮影可能なカメラと4台のレーダーを搭載。この車で日本中の道を走りまわり、道路周辺の風景を撮影。その映像から道路上の標示や標識を読み込み、データベース化している。
こうした情報を何に使うのかというと、自動運転だ。自動運転というと、センサーで周りを検知しながら走ると思われがちだが、目的地までのルートには地図データが必要。「交差点に信号と停止線がある」という情報には次世代の地図が欠かせない。
自動運転実現のカギは地図メーカーが握っているのだ。
便利を全国に広げたい~100億円を投じた決断秘話
ゼンリンの創業70周年を記念した大運動会が開かれた。グループの全社員3000人が集まった初めてのイベントだ。普段交流のないグループ間のつながりを強化することが狙いだという。今や大企業となったゼンリン。しかしもともとは九州の出版社だった。
ゼンリンの始まりは、戦後間もない別府で創業者・大迫正冨が立ち上げた、観光案内を作る小さな出版社。戦後も落ち着くにつれ、別府温泉への旅行者も増加していった時代。温泉の由来や効能、観光スポットの情報を紹介した本は重宝されたという。
だが、本そのものより人気となったのが、付録としてつけた地図だった。温泉宿から共同浴場、細かい道まで余すところなく記されていて、旅行者はもちろん、道を教える宿の人にも大評判となった。
地図の可能性を確信した大迫は地図作りの会社へ転身を図る。それがゼンリンだった。
その頃作られた古い地図が今も残っている。1962年の別府の住宅地図には、建物が1軒1軒、手書きで記されている。幅数ミリの枠にも、細かく手書き。「こうしてきれいに入れるのも技だったんです」(東京第一支社・塩本忠道)と言う。当時は製図用の道具を使って道路の曲線も描き、職人によって字体が変わらないよう、気を使ったという。
こうして住宅地図が誕生すると、「うちの町でも作ってほしい」との要望が殺到、次第に周辺の自治体に広がっていった。「住宅地図で日本中に便利を届けたい」。大迫はそんな目標を打ち立て、カバーエリアを徐々に拡大していった。
ゼンリンの転機となったのが高度成長による建設ラッシュ。都会にはビル、郊外にはニュータウンが続々と建設され、町の姿が急スピードで変化していく。手作業に頼っていたゼンリンのやり方では地図作りが追い付かない状況になったのだ。
この難題に取り組んだのが、2代目社長の大迫忍だった。何か打つ手はないかと考えていた大迫の目に、ある日ふと立ち寄った展示会で飛び込んできたものがあった。それがコンピューターによる「製図システム」の試作品。必要な数値を入力すれば、コンピューターで設計図が作れる。
大迫は「これで地図を作れば、時間も労力も大幅に減らせる」とひらめいた。だが、まだコンピューターが普及していない時代。しかも費用は、年間売り上げを超える100億円に及ぶ。役員会に諮ると、一斉に反発の声が上がった。
だが大迫は「地図で日本を便利にするには、これしかないんだ」と言って反対を押し切り、コンピューターの導入を決断した。試行錯誤の末、日本初の住宅地図の電子化に成功したのは、1984年のことだった。
大迫の決断から30年以上。それが今、ゼンリンの屋台骨を支えている。業界に先駆けて実現した地図の電子化のおかげで、インターネット地図やカーナビの分野で他社に先行。電子地図分野の売り上げは、今や8割を超えるまでに成長したのだ。
地図で便利を追求するDNAは、今も引き継がれている。埼玉県秩父市では、ゼンリンと楽天が組んだある実験が行われていた。久喜邦康市長は「秩父は山が入り組んでいますので、お住まいの方々への物資輸送というのは大きな課題なんです」と言う。 輸送問題解決の切り札として取り組んでいるのがドローンによる宅配だ。この地域にはダム湖があるため、車だと時間がかかるが、ドローンならひとっ飛び。それを実現するために作り始めたのが、世界初となる「空の地図」だ。
山やビル、鉄塔など、空間にある様々な障害物を3次元のデータに落とし込んだ「空の地図」。ここに安全に飛行できる「空の道」を作っていくという。「空の道」が完成すれば、ドローン宅配が可能となり、過疎地への物資の輸送が大きく改善される。
「災害や救急や病気などにも役に立つのではないかと思います。大変期待しています」(久喜市長)
知れば欲しくなる?~予想外の新商品も続々
地図の楽しさをもっと知ってもらいたい。そこでゼンリンが売り出したのがクリアファイル。全国各地の「町の地図」がデザインされている。
しかも、そこにはちょっとした仕掛けが。例えば神戸のクリアファイルには、ところどころにクロワッサンのマークが。これは神戸で人気のパン屋さんの場所だ。名古屋のクリアファイルには、名物のモーニングが食べられる喫茶店にマークがされている。
実は今、地図をモチーフにした楽しい商品を続々と生み出している。中でも、夏休みの自由研究用に密かに注目を集めているのが「まちたんけんキット」(1080円)。ゼンリンのサイトから自分の町を選んで白地図をプリントアウト。さまざまなものを地図に書き込んでいく。
「地図って楽しいな、面白いなと、子供たちに感じてもらえたらと思います」(マップデザイン事業本部・外池夏子)
~村上龍の編集後記~
人類にとって最大の発明は何か。わたしが注目したいのは「文字」「紙」「羅針盤」「印刷機」「インターネット」だ。羅針盤と海図は、陸上だと「地図」になるのかもしれない。
「ゼンリン」は、人、企業、官庁、組織にとって重要な「住宅地図」を、その時代における最新の技術を取り入れながら作り続けてきた。
電子化では、当時の売上と同額の100億円を投資した。「便利そうだから」ではない。「導入しないと生き残れない」と予感したからだ。
強みは技術や設備ではなく、調査員が足で集めたデータだ。データは永遠に残る。
<出演者略歴>
髙山善司(たかやま・ぜんし)1962年、長崎県生まれ。1986年、西南学院大学商学部卒業後、ゼンリン入社。2006年、営業本部長就任。2008年、社長就任。
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