9月20 日の自民党総裁選では、安倍首相が圧勝で3選を決めた。総裁選を通じた論戦では、経済政策の評価や対案の提示はほとんどみられなかったと思える。経済政策では、生涯現役という方針の内容や金融財政の正常化について突っ込みどころは山ほどあったはずだ。
なぜ安倍首相が強いのか
自民党総裁選挙では、安部首相が553 票対254 票で圧勝した。国会議員票は329 対73 で、党員票は224 対181 であった。石破氏は、地方では健闘したという見方も多い。これまで石破氏は、2012 年の総裁選で1回目投票で300 票の地方票のうち165 票と過半数をとって1位になり、決選投票で敗れた。そのレガシーがあって、安倍首相に対抗できる本命と目されてきた。しかし、5年間の実績の差もあって安倍首相に敵わなかった。
経済政策論争の視点からみると、今回の総裁選はもっと違った評価ができる。それは、対抗馬である石破氏が、アベノミクスに対してほとんど有効な対案を打ち出せなかったことである。これは、同じ自民党員だから大きな違いがないということではなく、安倍首相の打ち出す政策に対して、うまく消化できないまま反論しないでいたからだろう。経済学者やエコノミストからは、安倍首相のプランにはいくつもの反論ができる。しかし、政治家の間では、安倍首相に対する有効な反論ができない。実は、そうした政策論争における踏み込み不足が、安倍1強を許しているのだろう。このことは、与野党の関係でも全く同じである。野党が、経済政策で消化不良だから、安倍首相が独走してしまう。総裁選を通じて、改めてわかったことは、本格的な経済政策の対案がなければ、自民党内でも、安倍1強が続くということだ。
生涯現役への疑問
安倍首相が自民党総裁選で語ったことの中では、生涯現役社会の実現が旗印に掲げられていた。
具体的内容は、まだ見通しづらいが、いくつかのヒントは与えてくれる。ひとつは、年金を65 歳を基準にして、70 歳以降にもらえる選択を可能にすることだ。75 歳までは年金をもらわないで働き、その後は割増しの年金をもらって余裕のある暮らしをするという。このストーリーを聞いて、全く現実味を感じないのは、筆者だけではあるまい。
今でも、65 歳支給開始を70 歳に遅らせることはできる。安倍首相は、それを70 歳超にしようというのだ。ところが、実際に年金を早く受け取ろうという人はいても、遅らせようという人はほとんどいない。100 人が年金受け取りを変更できるとしたとき、早めの支給を選んでいるのは34.1 人である。反対に、遅らせているのは1.4 人だ。概数で言うと、1/3 が減額されても欲しいと思い、2/3 がそのまま65 歳で受け取っている。遅らせてもよいと思う人はほぼゼロだ。この実態をみて、きっと遅らせたときの割増し率が少ないのだと思う人は多いだろう。5年遅れだと、42%も増額される。例えば、16万円を65 歳から受け取れる人であれば、22.7 万円になるから増額幅は決して小さくない。
そこで、42%の増額率がフェアかどうかを計算してみた。男性の2017 年の平均余命で計算すると、70 歳支給のときの年金受け取りは15.73 年になる。65 歳支給ならば20.73 年。適正な割増し率は32%(=20.73÷15.73)である。今の制度の42%はそれなりに妥当だということを教えてくれる。
しかし、何よりも自分が平均余命をみてそれよりも長く生きると思って、支給開始を5年間も遅らせる人など多くない。むしろ筆者は、自分が平均値よりも長生きできずに、年金をもらい損なうリスクを強く警戒する。だから、遅らせることには大きなリスクへの代償がほしいと思う。これは、いわばリスク・プレミアムを適正なだけ欲しいと考える合理的発想だ。
例えば、適正な割増率は、32%+リスク・プレミアムを30%と考える。16 万円の基準値に対して25.9 万円が妥当という見方である。このリスク・プレミアムは、70 歳支給よりも75 歳に遅らせるときの方が大きい。もらい損なうリスクがより大きくなるからだ。
なお、70~74 歳の人の就業率がどのくらいかを国勢調査で調べてみた。2015 年は25.3%である。4人に1人しか働いておらず、3人は働いていない。75~79 歳は15.3%。これは6.5 人に1人である。生涯現役という美しい言葉は、高齢者が実際はそれほど働いていないという現実を見ていない。
もしも、70 歳になって4人に1人しか働いている人がいないと知っているとすると、あなたは70 歳まで働こうとするだろうか。しかも、70 歳で働いている人のほとんどは非正規か自営業である。正社員の人は10 人に1人である。高い報酬で70 歳代まで働けるというイメージを描けないから、70 歳に年金開始を遅らせる人はごく少ないのである。
金融財政の正常化
安倍首相は、経済政策については、いくつか重要な発言をしている。第一は、消費税率を2019 年10月に10%に引き上げることを確認している。これは、目新しいことではないが、今もこの約束が守られるのかどうかが疑われている中では、立場を明確にしていることが重視される。今後の日程を考えると、実施まで1年であるので、それを先送りするとすればもう時間的な余裕はない。筆者の見方では、反動減対策を税制改正する案が年末までにまとめられるので、年内が先送りをするときのデッドラインだとみている。
石破氏は、財政再建の方針を確認したが、その内容には踏み込まなかった。筆者は、2019 年10 月の10%の後でどのように消費税率を上げていくのかを示してほしかった。おそらく、安倍首相はそのことを積極的に語れないだろう。だからこそ、石破氏は財政再建のテーマで攻めるときに、10%後をどうするかを問うことに強みがあったと思う。
第二に、金融政策の正常化である。安倍首相は、「私の任期中(2021 年9 月)までにやり遂げたい」と出口戦略への着手を容認するかの発言をした。石破氏は、その真意を問い、出口戦略を日銀が能動的に描くことを主張することができた。
こうした財政・金融のところでは、いくらでも攻めることができたと思うが、敢えてそうした論争を石破氏が挑まなかった。生涯現役についても、70 歳超に自分から年金支給を遅らせる人などは多くないだろうと反論すればよい。そうした議論はなぜか行われなかった。このことは、エコノミストの立場からみて非常に不思議に思える。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生