今回の税制改革は2つの目玉がある。賃上げ減税は、これまでの所得促進税制をさらに拡充するものだ。この仕組みは地味ながら一定の効果はある。問題は、この税制は実体面で企業の賃上げの動機を増やせない点だ。高所得者増税は、過去に構想された給与所得控除の縮減がここにきて本格化した格好である。

なぜ所得税の増税なのか

 政府・与党の税制改正は、(1)賃上げ促進のための法人減税と、(2)年収850 万円超の高所得者への所得税増税の2つが柱となっている。まず、こうした見直しが行われる背景は何かを考えたい。

 2017 年10 月の衆議院選挙では、消費税率を約束どおり引き上げる代わりに、2019 年10 月の増税で得られた債務返済用の財源の半分、すなわち2兆円を教育・保育の無償化に充てることが決まった。そうなると、さらに消費税を動かすことは議論できなくなり、法人税か所得税から追加的財源を求めるしかなくなる。法人税は、米国が遂に動いたように先進各国で引下げの連鎖が起こっているので、増税という訳にはいかない。必然的に所得税への課税強化が行われる。一方、将来、労働力人口の減少によって社会保障負担を消費税でまかなわざるを得ないことは明白である。少なくなる働き手に課税強化すれば、勤労者がリタイヤする時に老後の備えが十分でなくなる。蓄えの少ない高齢者が増えるので、ますます消費税には手をつけにくくなる。そうした矛盾は、識者ならば100 も承知だと思うが、もはや増税の矛先は所得税に向かうしかないのだ。その結果が2018 年度の税制改正に表れたかたちだ。

賃上げ減税の効果

 これまでも、官民対話の推進によって、政府は賃上げ促進を行ってきた。政労使の会合もその一つだ。2018年度の税制改正は、そうした側面支援を強化するために、大企業に対しては、「3%以上の賃上げ、かつ、国内設備投資額が減価償却費の9割以上」という条件を付けて、「給与支給総額の前年度比増加額の15%を法人税から税額控除するという仕組みを検討している。この15%は、従来の割合をさらに引き上げた格好である。ただし、法人税から差し引くことが可能なのは、最大20%相当までと制限されている。

 中小企業に対しては、条件はより緩やかなものとなり、賃上げの前年比が1.5%以上の企業に対して、給与支給総額の前年度比増加額の15%を法人税から税額控除する仕組みとなっている。この賃上げ促進税制は、2013年度から実施されていて段階的に拡大が行われている。これまでは、「2012 年度対比」の基準に加えて、「1人当たり給与が前年比+2%増加」の条件となっていた。今回は、「2012 年度対比」の基準をなくし、1人当たりで大企業が前年度比3%、中小企業が1.5%以上と、条件のハードルを少し下げた。そして、税額控除も、大企業・中小企業ともに給与増加額の15%に統一している。

 実績として公開されている2015 年度のデータは、適用件数90,594 件(2013 年度10,874 件、2014 年度78,261 件)と増加傾向である。適用金額も、2015 年度2,774 億円(2013 年度420 億円、2014 年度2,478 億円)と増えている。適用された業種別の割合は、サービス業18.1%、建設業10.6%、小売業8.6%となっている。サービス業の人手不足が聞かれる中、そこで賃上げをした企業が、この優遇税制に応じてきた格好である。

 一見、2,774 億円しか減税効果がないと軽く判断してしまいがちになるが、よく考えると結構大きい。2015 年度は、給与増加額の10%を税額控除できていたので、逆算すると+27,740 億円の給与増加に優遇がかかっていたことになる。2015 年度の雇用者報酬額は、+39,657 億円(GDP統計)なので、その70%が優遇を受けたことになる。この割合は、2014 年度よりも高まっている。地味に効果を発揮している。

賃金上昇と賃上げ支援

 ベースアップの復活は、2014 年から始まり、小幅ながらも伸び率はプラスを保持している。2014 年の春闘は、定期昇給を含んだ前年比が2.07%の着地で0.53%のベースアップ率だった(連合調べ)。2015 年は2.35%で、ベースアップ0.69%、2016 年は2.19%でベースアップ率0.44%、2017 年は2.15%で、ベースアップ率0.48%であった。それなりのプラス幅ではあるが、ベースアップ率がまだ1%未満であることは、デフレ脱却を後押しするには十分とは言えない。

 ところで、政府の賃上げ減税は、ベースアップ率の上積みを可能にするのだろうか。この点を考えることは、少し複雑な理屈を踏まえなくてはいけない。この仕組みでは、企業の税引後利益が賃上げ幅を増やしたところで増えるわけではないから、新たに賃上げを後押しする力が乏しいと考えがちである。例えば、1億円の付加価値を稼いだ企業が、人件費6,000 万円と利益4,000 万円に分配していたとする。その場合、大雑把に考えて30%の法人税を支払ったときは、税引後利益は2,800 万円となる。今、ここでその企業が労働分配率を上げて人件費7,000 万円、利益3,000 万円にしたとしよう。今度は、税引前利益3,000 万円に対して課税後が2,100 万円。人件費の増加に対して、15%が税額控除されると、1,000 万円×15%=150 万円になる。課税後の2,100 万円に150 万円が戻されて、2,250 万円になる。これは、人件費引上げ前の税引後利益2,800 万円よりも少なくなっている。

 2015 年度に9万件の企業が所得促進税制を利用しているが、これは元々あった賃上げの予定に、賃上げ減税を重ねて申請したに過ぎないということなのか。それでは、新たな賃上げを誘発することにはならないのだろうか。

 筆者は、賃上げを1年限りの取引と考えるのではなく、多年度に亘る取引(ゲーム論でいう「繰り返しゲーム」)とすると捉え方が変わってくると思う。例えば、先の例で今年150 万円の税還付を受けた企業は、そこで増えたフリーキャッシュを来年の投資、あるいは賃上げに使おうとするだろう。つまり、今期の賃上げには寄与しなくても、翌期以降にこの減税は効いてくる。特に、事業拡大を毎年遂げている企業は、毎期ごとに税還付を受ける効果を織り込んで行動するだろう。そうなると、来期の事業拡大を考えない企業には効果は乏しくなるが、成長を多年度で構想する企業は、減税によって高い賃金でより優秀な人材を採りたいと考えて、賃上げを促進することになる。

賃上げ減税の課題

 上記のような理解をすれば、「賃上げ減税などしても意味がない」という議論は早計と見える。

 一方、それで問題がないかと言われると、筆者はYesとは答えにくい。一つの問題は、15%の税額控除の率を16~100%にまで引き上げてはいけないのかという点である。もちろん、この控除率を上げると、多年度の賃上げ誘発効果は大きくなる。

 この点は、税収全体の増減に関わる判断が働いている。例えば、15%の控除によって賃金が1,000 万円増えたとすると、同時この1,000 万円にも受け取る側の雇用者の所得税が増える。所得税率は5~45%の範囲で設定されている。税収が中立化できるバランスを考えて15%をもっと引き上げることはある程度は可能だろう。

 もう一つの問題は、この賃上げ減税自体がすでにある賃上げニーズの受け皿にはなっても、企業が賃上げをして優秀な人材を獲得(または引き留め)する動機をつくることはできない問題である。これは、金融・財政政策の限界にも共通する問題だ。企業が、人材獲得を積極化するには、企業がもっと盛んに投資・雇用を増やした利益拡大する事業ニーズが膨らまなくてはいけない。それを実現するのは、規制緩和や技術進歩による事業のチャンスの拡大がもっと豊富に見える必要がある。

高所得者増税は続く

 給与所得控除の扱いは、2014 年度に「主要国の概算控除額との比較においても過大となっていることから、中長期的には主要国並みの控除水準適正化のための見直しが必要である」との基本方針が設定された。2018 年度改正は、給与収入が850 万円超となる給与所得者を対象に控除の上限の引下げを行う。子育てや介護の扶養親族がいる場合は負担増が生じないようにするという。

 この理屈に沿えば、過大にみえる給与所得控除はまだ見直しが続くと考えられる。2000 年代前半に一度頓挫した見直しは10 数年を経て実行されている。この主要国と比べて過大という説明は、公正を期するというニュアンスを感じさせるが、今まで長期間維持されていたことに対する説明はない。何より、この過大だから見直すという理屈はこれまで維持されてきたことと矛盾する。

 1980 年代はインフレが進んで先進国では累進課税の税率が引き下げられることが多かった。なぜならば、インフレで貨幣価値が低下して、昔の金額階層に従った税率が実質的に重くなったためである。同じ理屈に沿うと、デフレのときは貨幣価値が上がり、重い税率をより低い金額段階に課する微修正が行われることになる。今回の高所得者増税のように、より低い金額階層に重い税負担を求めることは、デフレの時には正当化し得る。大綱では、デフレ脱却を謳っているのに、高所得者に対してはデフレ時の修正を加えている点はおかしく感じられる。

 これだけ厳しい財政再建だから、全ての国民が痛みを負うことは仕方がない。そうだとしても、一方で慣例化した年度末の補正予算の大型化や、無償化の範囲の拡大が財政再建の例外のように行われることは、不公平に感じられる。何のための財政再建かと言えば、国民の未来のために社会保障システムの持続性を守るためだろう。そうしたミッションが例外扱いの増加により空洞化して、消去法的に所得税にしわ寄せが来ているように思える。税の公正性をトータルに考え直す発想に戻りたい。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 経済調査部
担当 熊野英生