要旨
●人手不足が続くことが見通される中、人生100年時代、生涯現役などを目的に、年金受給開始年齢の任意での引き上げを進める動きが出てきた。年金開始年齢を引き上げる人は増えるのか。実際に、年金受給開始年齢が着々と引き上げられている60代前半世代に注目し、シニア活躍の課題を考えたい。
●厚生年金の受給開始年齢引き上げに伴い高齢者雇用をめぐる法改正が進んだこと、人手不足状況が続いていることなどから、60代前半の雇用環境は改善している。一方で、この20年で、男性が60-64歳の間に受け取る年金は640万円減少しており、年金の削減分に就労所得の増加は追いついていない。
●就労増でも年金減が賄えない背景には、60歳での一律賃金カットがあげられる。このまま、同一労働同一賃金を進めれば、60歳以降の目標を下げざるを得ず、これほど人手不足が指摘される中でも、60歳以降の労働者が持つ力が100%発揮されることはなく、ただ年金支給開始を待つ時代になることが懸念される。
●生涯現役時代を実現するためには、終身雇用を前提とした一直線のキャリアの上に60-64歳時代を置くのではなく、60歳からのセカンドキャリアを建設しなおすことが必要だ。転職、兼業など新たなキャリア建設を条件に高齢者雇用継続給付を支給するようにする方がよい。60歳以降の労働者が生活苦から働かざるを得ない時代ではなく、健康な体を、能力を100%生かせる、真のシニア活躍が実現し、結果、年金支給開始年齢を引き上げる人が増えることを期待したい。
60-64歳はほぼ現役なのか?!
高齢化の進展を受け、労働力不足の解消や社会保障の安定のために、シニア層の一層の活躍を推進し、年金受給世帯ではなく、労働世帯として経済の支え手を担ってもらう必要が高まっている。こうした中、人生100年時代、生涯現役などを看板に老齢年金の繰り下げ受給を推進する動きが出てきた。
確かに、近年のシニア層の労働市場での活躍は目覚ましく、中でも60-64歳の男性については、労働力率が8割を超えるなど、ほぼ現役と言えそうだ。本稿では、こうしたシニア層の年金から就労へのシフトが順調に進むのかどうか、実際に、年金受給開始年齢が着々と引き上げられている60代前半世代に注目し、考えてみたい。
進まない年金繰り下げ受給
老齢年金は本来の受給開始年齢から実際の受給開始年齢を早める繰り上げ受給や、遅らせる繰り下げ受給が選択できる。本来よりも早める繰り上げ受給の場合には受給額が削減され、遅らせる繰り下げ受給では受給額が増額されることで、本来受給との公平性を保っている。現状では、本来受給開始年齢が65 歳、繰り上げ受給は60~64 歳、繰り下げ受給が66~70 歳から選ぶことが出来るが、これを受給額の割増率が70 歳超でも増えるようにすることで、70 代でも就労所得をメインに生活するインセンティブを高めようというものだ。
そもそも、年金開始を遅らせる繰り下げ受給自体は、年金増額率も高く、十分に魅力的な選択であると考えられる。たとえば、本来65 歳支給開始の人が70 歳まで繰り下げた場合の年金月額は本来支給額の42%増しであり、82 歳でもとが取れることになる。H28 年簡易生命表によれば、65 歳時点での平均余命は男性で19.55 年であることを考えると、年金受給額が増えることが期待できる。
しかし、実際に繰り下げ受給をしている人の人数をみると、国民年金のみの人では約10 万人で横ばい、厚生年金加入者では受給権者数の増加に伴い約26 万人と前年比+5~6%程度で増加傾向にある。ただし、いずれも年金受給者に占める割合で見ると、約1%と非常に低水準に留まっている。こうした背景には、繰り上げ・繰り下げ制度の知名度の低さが挙げられることが多い。しかし、国民年金加入者の内、繰り上げ受給をしている人は減少傾向にあるものの35%、20%程度が60 歳に繰り上げている。また、支給開始年齢の引き上げが本格化した厚生年金でも60 歳への繰り上げ受給を選択する人が出始めていることを考えると、知名度が低いというよりも日々の生活が年金無しには回らないという生活逼迫度の影響が大きい。
厚生年金支給開始年齢引き上げで▲640 万円
年金支給開始年齢引き上げと共に実施された高齢者雇用をめぐる法改正や、昨今の人手不足により、60-64 歳の雇用環境は劇的に改善している。今や男性60-64 歳の労働力率は8割を超え、65-69 歳でも55%と働く人が過半数になるなど、自営業者が多かった70 年代の水準に近付いている(図表1)。
実際に、60-64 歳の男性の一人当たり平均就労所得(60-64 歳の総雇用者報酬/60-64 歳人口)をみると、就業率の上昇の影響で増加基調が続いている(図表2)。年金支給開始年齢引き上げ開始前の2000年と比べても、就業率の高まりを背景に、やはり年収ベースで40 万円の増加しており、60-64 歳の5年間でみれば200 万円の増加だ。
次に年金についてみてみたい。そもそも、厚生年金では老齢年金の本来支給が開始するまでの60-64歳は、65 歳以降の基礎年金に相当する定額部分(平均支給額:月額6.6 万円)と、65 歳以降の厚生年金に相当する報酬比例部分(同:月額10 万円)が、特別に支給されてきた。しかし、特別支給の年金の支給開始年齢が引き上げられることに伴い、60-64 歳の年金受給額は大きく変動している。例えば、男性厚生年金加入者は2000 年以前であれば60-64 歳の5年間に(6.6 万円+10 万円)×12 ヶ月 ×5年で約1,000 万円の年金を受け取ることができた。しかし、2017 年に受給開始を迎えた男性(2017 年に62 歳)は、定額部分(基礎年金)の支給開始が65 歳、報酬比例部分の支給開始が62 歳のため、60-64歳の5年間の受給額は 10 万円×12 ヶ月×3年で360 万円に留まる。この20 年の間に60-64 歳の年金受給額は640 万円も減少したことになる。
つまり、60 歳以降の就労は増加しているものの、年金の減額を埋めるには全く至っていないということだ。60-64 歳の労働力率上昇は、シニア層の活躍というより、生活苦の中、働かざるを得なくなった結果と言えよう。実際に、こうした可処分所得の低下により、60-64 歳世代では勤労世帯においても消費性向が上昇し、ここもとは100%を上回る時期も目立つ(図表3)。これは貯蓄を切り崩して生活していることになり、やはり現役世代とは言いにくい状況だ。
同一賃金が無駄の引き金に
就労増でも年金減が賄えない背景には、60 歳以降の一律賃金カットがある。こうした賃金の低下には、社会保障制度の影響も大きい。現在の賃金カーブは、在職老齢年金や高齢者雇用継続給付との兼ね合いを前提にしているからだ。年金支給開始年齢の引き上げに伴い、在職老齢年金の縛りはすでに無くなりつつあるものの、高齢者雇用継続給付は制度変更しておらず、60 歳到達時点に比べて賃金が75%未満に低下した状態で働き続ける場合に給付が受けられ、61%以下の賃金の場合には15%支給される。つまり、社会保障制度は賃金の大幅低下を前提に作られており、こうした制度がシニア層の生活を支えてきた一方で、大幅な賃金削減を容認してきたのである。
企業をみても、60 歳以降の待遇については、定年延長ではなく再雇用のスタンスを維持している。65歳以上への定年年齢の引き上げを実施している企業はようやく10%を超えたに過ぎない(図表4)。そのため、これほどシニア層の就労が増大しているにかかわらず、賃金カーブはこの20 年、50 歳以降について大きな変化はしていない(図表5)。結局、社会保障制度では60-64 歳について準失業者の扱いで給付を出し、企業も人件費増を懸念し真に必要な労働力と捉えていない面がある。こうした中で問題になりそうなのが同一労働同一賃金の流れだ。
60 歳を機に30 歳前後と変わらない賃金になることが合理的なほど、業務や責任が軽減されたり、能力が低下したりするとは考えにくい。となれば、現状では60-64歳は同一労働同一賃金に反して、賃金以上の業務を担っている可能性が高い。少なくとも担う力がある。しかし、現状の企業のスタンスをみる限り、同一労働同一賃金の原則が徹底されれば、現状の責任を維持して現状よりも給与を上げるというよりは、現状よりも責任を軽くすることで給与引き下げを合理的なものにするという選択肢が選ばれそうだ。となれば、これほど人手不足が指摘される中でも、60歳以降の労働者が持つ力が100%発揮されることはなく、ただ年金支給開始を待つ時代になることが懸念される。
求められる柔軟な労働市場
以上見てきた通り、60代の労働参加は拡大しているものの、その労働力が十分に生かされる状況にはなっていない。それどころか、今後、同一労働同一賃金の原則が徹底されれば、労働力の無駄が増える可能性すらある。人口減少、人手不足の中、60歳以降の世代には、ただ労働市場に参加するのではなく、持てる力を100%発揮してもらうことが重要だ。そうした生涯現役時代を実現するためには、終身雇用を前提とした一直線のキャリアの上に60-64歳時代を置くのではなく、60歳からのセカンドキャリアを建設しなおすことが必要なのではないだろうか。
例えば、60歳を機に中小企業への転職というのも一つの道かもしれない。大企業での経験は、中小企業でも十分に生かされると思われ、本人の持つ力を十分に発揮できる可能性も高まるだろう。賃金カーブを企業規模別にみると、60歳以降は規模間格差が大きく縮小する(図表6)。人手不足がより深刻で、賃金上昇率も高まってきている中小企業の方がシニア層の賃金上昇に柔軟な対応を取ることでき、結果60-64歳の就労所得が増加する可能性もあるだろう。
副業や兼業の推進も一つだ。同一労働同一賃金の法則の中で、責任は現状のまま、給与も6割の現状通り、その分勤務時間を減らすことで給与減を合理化すれば、空いた時間で他の分野でも活躍することができる。
雇用保険の給付も、現状のような給与が下がることに対する給付ではなく、転職や兼業など新たなキャリアを作ったことを条件に給付すべきであり、60歳までのキャリアの延長での給与減を埋めるのは本来の道理ではないか。雇用保険の給付が無くなれば、企業も真に必要なシニア世代について賃金上昇を真剣に考えざるを得なくなり、結果、賃金カーブも変化を見せるだろう。
こうしたセカンドキャリア建設の動きは、他の世代にも広がり、柔軟な労働市場の構築にもつながるだろう。人手不足が続くことが予想される中、女性ではパートから正社員になる道が見え始めるなど、労働市場は大きく変化してきた。次はシニアだ。労働者、雇い主、国が連携し、シニア労働力の生かし方を考え、同一労働同一賃金の原則が労働力の無駄を生み出すことにならないようにする対策が急がれる。年金支給開始年齢引き上げが議論されるのはその先だ。60歳以降の労働者が生活苦から働かざるを得ない時代ではなく、健康な体を、能力を100%生かせる、真のシニア活躍が実現し、結果、年金支給開始年齢を引き上げる人が増えることを期待したい。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 経済調査部 担当 主任エコノミスト 柵山 順子