健康経営優良法人認定制度をご存知だろうか。これは、健康経営(1)に取り組む優良な法人を『見える化』することで、従業員や求職者、関係企業や金融機関などから『従業員の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に取り組んでいる法人』として社会的に評価を受けることができる環境を整備することを目標とした制度である。「健康経営優良法人2018」は、2018年2月20日に公表済みで、大規模法人部門から541法人、中小規模法人部門から776法人が認定された。そして、「健康経営優良法人2019」認定の申請受付は、既に始まっている(制度運営主体の経済産業省HPより)。

節酒対策,禁煙対策
(画像=PIXTA)

「健康経営優良法人2019」の認定基準では、「受動喫煙対策」が必須要件に格上げされている。一方、煙草に並ぶ大人の嗜好品である酒については、特段明記されていない。但し、「健康増進・生活習慣病予防対策」や「ヘルス・リテラシーの向上」といった項目がある。生活習慣病は「食習慣、運動習慣、休養、喫煙、飲酒等の生活習慣が、その発症・進行に関与する疾患群」のことであり、酒についても上記項目の一環として対策が講じられることになろう。生活習慣病予防対策には、煙草に関する対策も含まれるのに、受動喫煙対策が別立てされているのは、健康増進法の改正などの動きに起因するのであろうが、嗜む当人以外にも悪影響を及ぼすのだから、至極当然な気もする。

話は変わるが、リスク対策の要諦を判断する際には、客観的な視点「も」重要だ。専門家はリスクの発生確率とリスク発生時の被害程度(重大性)を基に、なるべく客観的にリスクを算定するよう努める。一方、一般人は発生確率や重大性以外の主観的な情報も用いてリスクの高を判断する。このため、専門家が算定する客観リスクと一般の人々の考える主観リスクには乖離が生じることが知られている。この乖離はリスク認知バイアスと呼ばれ、リスク認知バイアスが生じやすい要素と効果に関する理解も進んでいる(Bennett,1999等)。先行研究を概観すると、受動喫煙にリスクを過大評価されやすい要素が複数含まれることが分かる(図表1)。

節酒対策,禁煙対策
(画像=ニッセイ基礎研究所)

喫煙自体は当人の自発的行為であるが、受動喫煙は非自発的に晒されるリスクであり過大評価されやすい。また、喫煙による快楽は喫煙者のみが享受するのだから、リスクと利益の分配も不公平であり、これも過大評価につながる。受動喫煙のリスクは科学的にも証明されているのだから、受動喫煙対策が不要だとは決して思わない。しかし、受動喫煙に対する主観リスクの大きさが、飲酒リスクに比べて喫煙リスクを過大に評価することにつながり、結果として飲酒リスクを過小に評価している可能性はないだろうか。このように考える理由は、日本経済団体連合会が2015年に取りまとめた「『健康経営』への取り組み状況」にある。

健康経営に関する取り組みとして禁煙対策を掲げている企業は94社中38社であるのに対し、節酒対策を掲げている企業は8社にとどまる。そこで、禁煙対策を掲げる企業に比べて節酒対策を掲げる企業が少ない理由として、以下3つの可能性をなるべく客観的に検証したい。

可能性1:過度な飲酒による健康被害は小さい
可能性2:喫煙者に比べて過度に飲酒する人が少ない
可能性3:過度な飲酒の危険性に対する理解が進んでおり、対策は不要である

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(1)「健康経営」は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。

検証1:過度な飲酒による健康被害は小さいのか?

まず、国立研究開発法人国立がん研究センター社会と健康研究センターの予防研究グループが実施する多目的コホート研究の成果を確認する。疾病の種類や、がんの部位によって喫煙や飲酒の影響は異なるが、喫煙と同様に、過度な飲酒もがん全体の罹患リスクや全脳卒中の発症リスクを高める(図表2)。また、疾病ではないが喫煙だけでなく過度な飲酒も自殺リスクを高める。影響の程度に差はあるが、喫煙者や過度に飲酒する人の定義による影響もあるので、どちらの健康被害が大きいかを判断することは難しい。ただ、「過度な飲酒による健康被害は小さい」とは言えなさそうだ。

節酒対策,禁煙対策
(画像=ニッセイ基礎研究所)

次に、がんや脳卒中だけが健康被害ではないので、国別データを用いての喫煙率やアルコール摂取量と男女の65歳生存率との関係を確認した。世界銀行のHealth Nutrition And Population Statisticsに収録されている141カ国を分析対象としたが、国によって医療水準に差があるため、代理変数として幼児死亡率を用いることで、医療水準の差による影響を調整した。つまり、喫煙率とアルコール摂取量の一方と幼児死亡率の2変量を説明変数、65歳生存率を被説明変数として回帰分析を行った。

結果は図表3の通りである。係数の符号が負であれば、喫煙率が高いほど、またアルコール摂取量が多いほど65歳生存率が低いことを意味する。喫煙率が高いほど、男性の65歳生存率が低いが、女性の65歳生存率は逆に高い。しかし、いずれも結果の統計的有意性は低く、分析対象をOECD加盟国に限定すると異なる結果が得られた(図表3括弧内)。一方、男女ともにアルコール摂取量が高いほど65歳生存率が低く、結果の統計的有意性も高い。また、分析対象をOECD加盟国に限定しても結果は変わらない。筆者の簡易な分析からも、「過度な飲酒による健康被害は小さい」という可能性を指示する結果は得られなかった。

節酒対策,禁煙対策
(画像=ニッセイ基礎研究所)

これらの結果から、喫煙だけでなく過度な飲酒による健康被害も大きそうだ。つまり、「過度な飲酒による健康被害は小さい」ことが禁煙対策を掲げる企業に比べて節酒対策を掲げる企業が少ない理由では無さそうだ。

検証2:喫煙者に比べて過度に飲酒する人は少ないのか?

ここでは、日本における喫煙者の割合と生活習慣病のリスクを高める量を飲酒している者の割合(以下、過飲酒の割合)を男女別に確認する。男性は過飲酒の割合より、喫煙者の割合の方が明らかに高い。但し、10年前と比較すると、喫煙者の割合が減少傾向にあるのに対し、過飲酒の割合はさほど変化がない為、その差は縮小傾向にある(図表4左)。一方女性は、過飲酒の割合が近年上昇傾向にあり、また喫煙者の割合が僅かに低下していることもあり、過飲酒の割合が喫煙者の割合を僅かに上回る。(図表4右)。

つまり、男性従業員の健康管理に限れば、「喫煙者に比べて過度に飲酒する人が少ない」ことが禁煙対策を掲げる企業に比べて節酒対策を掲げる企業が少ない理由として成立する。しかし、女性従業員の健康管理に限れば、「喫煙者に比べて過度に飲酒する人が少ない」とは言えず、むしろ禁煙対策よりも節酒対策の方が重要かもしれない。

いずれにせよ、男性では15%程度、女性では10%程度の人が生活習慣病のリスクを高める量を飲酒しているのだから、禁煙キャンペーンと同様に、何かしらの対策を講ずるべきではないだろうか。

節酒対策,禁煙対策
(画像=ニッセイ基礎研究所)

検証3:過度な飲酒の危険性に対する理解は十分か?

まず、生活習慣病のリスクを高める量を飲酒している者は、1日当たりの純アルコール摂取量が男性なら40g以上、女性なら20g以上の者と定義される。ビールに換算すれば男性なら1,000ml以上、女性なら500ml以上に相当する。残念ながら、生活習慣病のリスクを高める飲酒量(以下、危険飲酒量)に対する認識は十分でない。男性が男性自身の危険飲酒量を正しく理解している割合は27.2%に過ぎないが、危険飲酒量を過小に評価する安全な誤解が14.3%である。決して十分理解が進んでいるとは言えないが、およそ4割が健全に認識していることになる。一方、女性が女性自身の危険飲酒量を正しく理解している割合は23.6%と男性よりも低く、また安全な誤解もない。更に、「わからない」を除けば、女性の危険飲酒量も男性と同じ1日当たり1,000ml以上と回答する割合が最も高く、ヘルス・リテラシーの向上余地は十分にある。つまり、「過度な飲酒の危険性に対する理解が進んでおり、対策は不要である」ことが禁煙対策を掲げる企業に比べて節酒対策を掲げる企業が少ない理由では無さそうだ。

興味深いのは、異性の危険飲酒量に対する認識が男女間で大きく異なることである。女性の場合、男性の危険飲酒量に対する正答率(23.8%)は、女性自身の危険飲酒量に対する正答率(23.6%)と差はなく、同様に男性の危険飲酒量に対し「わからない」と回答する割合(38.0%)も女性自身の危険飲酒量に対し「わからない」と回答する割合(36.3%)と大差ない。しかし、男性の場合、男性自身の危険飲酒量に対する正答率(27.2%)に比べて、女性の危険飲酒量に対する正答率(21.9%)は低く、女性の危険飲酒量に対し「わからない」と回答する割合(40.4%)も、男性自身の危険飲酒量に対し「わからない」と回答する割合(26.4%)に比べてはるかに高い。男性は女性の健康に、さほど関心がないのかもしれない。

節酒対策,禁煙対策
(画像=ニッセイ基礎研究所)

禁煙対策を掲げる企業に比べて節酒対策を掲げる企業が少ない理由として3つの可能性を検証したが、いずれも正解ではなさそうだ。検証の過程で、女性従業員の健康に対する、男性経営者の関心や知識の不足が新たな可能性として浮上したが、これも正解ではないことを信じたい。やはり、非自発的にリスクに晒される受動喫煙に対する主観リスクの大きさが、自発的な飲酒リスクに比べて喫煙リスクを過大に評価することにつながり、結果として飲酒リスクを過小に評価しているのではないだろうか。

非自発的リスクに晒される受動喫煙に対する対策が重視される事に異論はないが、健康増進・生活習慣病予防対策やヘルス・リテラシーの向上において、飲酒は自己責任だから等の理由で軽視するのは不合理ではないだろうか。自己責任度合いで言えば、食習慣、運動習慣、休養、喫煙による自身の健康被害と飲酒による自身の健康被害との間に差はない。

従業員の健康被害リスクへの対策を検討する際には、客観的な視点「も」重要なので、適切な受動喫煙対策だけでなく、健康増進・生活習慣病予防対策やヘルス・リテラシーの向上の一環として、禁煙対策に加え、節酒対策が講じられることに期待したい。

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高岡和佳子(たかおか わかこ)
ニッセイ基礎研究所 金融研究部 主任研究員・年金総合リサーチ

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