要旨

●●日本を覆う「経済低迷不安」、「財政不安」、「社会保障不安」の根底には、人口構成の変容がある。しかし、「生涯現役社会」が実現し65 歳以降も健康に働く社会が実現できれば、これらの不安を払拭することができるはずだ。

●最大の課題は高齢者の雇用をどのように確保し処遇するかである。既に65 歳までの雇用確保措置が企業に義務化されているが、これによって企業は人件費負担やポスト不足に悩んでいる。更なる雇用延長を企業に義務化しても、こうした問題がさらに深まる可能性が高い。

●それゆえに、1社で働き続けるキャリアから様々な企業で様々な仕事に就くような労働市場を実現することは重要だ。高齢者も含めて労働移動を当たり前のように行いニーズのある職場で働くよう、労働市場の流動化を進めることが求められる。

●そのためには、日本型雇用慣行の是正や職業教育(リカレント教育)の機会を充実させることが必要になる。リカレント教育の充実には、企業と職業教育機関のミスマッチ解消や、高スキル者を評価するような企業の賃金体系の変革など、その先にある就職に労働者がメリットを感じられるような枠組みを作ることが不可欠だ。

●「生涯現役社会」を実現するためには、企業、労働者、労働法制、社会保障制度、職業教育機関や学術機関が一体となって変革に取り組む必要があり、このうちの一つが抜けても完成しないものだと考えられ、これらを包括した「一体改革」が求められている。

「生涯現役社会実現」は日本に渦巻く「3つの不安」の特効薬だ

 “日本経済の将来は暗い”と言われて久しい。多くの日本経済の悲観論の根底にあるのは、人口、ないしはその構成である。少子高齢化の進展に伴い、生産年齢人口(15~64歳)は減少が続き、稼ぎ手の減少が経済成長のマイナス要因になる。人口に占める高齢者の割合は上昇していき、将来的には高齢者1人を1人の現役世代が支える「肩車社会」へ移行、現役世代には負担が圧し掛かる。こうした中で、年金をはじめとした社会保障給付は削減せざるを得ない状況であり、老後の生活保障は削減されていく可能性が高い。自営業者などが加入する国民年金は、40 年間満額の保険料を納めたとしても、年額78 万円(月額6.5 万円)程度の年金給付しか得られない。かつ、2016 年に可決・成立した年金制度改革関連法においては、マクロ経済スライドのキャリーオーバー、賃金スライドの徹底など、年金給付の抑制を進める措置が決定している。資料1は、今後のデフレからの脱却(物価+1%、実質賃金+0.5%の継続)を前提に、先行きの一人あたりの年金改定率を試算したものである。一人当たりの名目年金額はほぼ増えない一方で、物価の上昇分だけ実質的な年金給付額は減少が続くという結果が得られる。現行制度を前提にすれば、実質年金の目減りは続かざるを得ず、高齢期の生活保障水準はみるみる低下していくだろう。これら「経済低迷不安」「財政不安」「社会保障不安」は、日本 に渦巻く3つの将来不安である。

「生涯現役」を日本経済再生の切り札に
(画像=第一生命経済研究所)

 しかし、これらの将来不安は、ある一つの重要な前提のうえに成り立っていることに気づく。「高齢者(65 歳)になれば、働かなくなり賃金収入がなくなり年金生活者になる」という前提だ。この前提を覆すことができれば、日本経済の絵姿はかなり変わってくる。例えば高齢者の定義が65 歳から75 歳になった場合について、数字でみていこう。

 まず、「経済低迷不安」の根源にある働き手人口、生産年齢人口だ。総務省「国勢調査」と国立社会保障人口問題研究所の出生・死亡中位前提の人口推計に基づけば、15~64 歳の人口は2015 年時点で7,629 万人、2040 年時点で5,978 万人まで2割強減少する。一方、15~74 歳の人口をみると2040 年時点でも7,659 万人と、現在の15~64 歳人口とほぼ同水準の人口が存在する。換言すれば、74 歳まで働く社会を構築することが出来れば、高齢化の進行に伴う働き手の頭数の減少は25 年近く遅らせることができるということだ。

「生涯現役」を日本経済再生の切り札に
(画像=第一生命経済研究所)

 「財政不安」と「社会保障不安」についてはどうか、極端な例えをしてみよう。もしも今すぐに75 歳まで働き、その後年金を受給するスタイルに完全移行することができた場合を考えてみる。

 厚生労働省資料に基づけば、厚生年金および国民年金の老齢給付のうち、6割弱程度が60 歳から74 歳までを対象とした給付となっている。もしも“75 歳まで働く社会”が実現できれば、この財源は浮くことになる。2015 年度年金給付額の54.9 兆円をベースにすれば、そのうち6割弱となると30 兆円程度に上る。これをすべて年金給付の拡充に用いれば、一人当たりの年金給付額を2倍超にすることができる。すべてを財政赤字の縮減に充てるのであれば、消費税率を+10%pt 引き上げるのと同等の効果が得られる。これらのミックスを通じて、社会保障不安、財政不安を大きく和らげることが可能である。また、この数値は年金が浮いた場合の額だ。実際にはここに高齢者が働くことによって新たに生じる社会保険料や税の支払も加わり、財政面の余裕はさらに生じる。高齢者を65 歳以上として設計された制度を変えることができれば、日本経済を覆う将来不安を払拭することができるはずである。

   図解すると、老後の生活設計における公助・自助の位置づけを資料3のように変えていく、ということになる。これまでは、一人当たり年金支給の縮減方針の中で、自ら資産形成を行い老後資金を蓄えることが求められてきた。確定拠出年金制度が創設されるなど、高齢期に入ってからは、公助(公的年金)と自助(若いうちからの資産形成)によって老後の生活を行うようなメッセージが発せられている。しかし、その公助が縮減されていくことに加えて寿命も長期化しており、その自助による蓄えは一体幾ら必要なのか、その不透明感が強まっていることに将来不安の根源はあると考えられる(資料3中央図)。

「生涯現役」を日本経済再生の切り札に
(画像=第一生命経済研究所)

 それを資料3右図のような形に変えていく。つまり、高齢者の就労継続と支給開始年齢引き上げを行い、その分、人生最終盤の社会保障給付はしっかり充実させる。「自助」が必要な期間(つまり「公助」の開始時期)を明確にし、「いつまで生きるかわからない」、「幾ら必要かわからない」という状態から脱却する。「自助」の期間には労働収入と資産形成によって生活を賄う。労働を終えてからは十分な公的生活保障があり、生活苦を強いられるような事態にはならない。こうした状況が実現できれば、老後の社会保障不安は大きく和らぐのではないか。

高齢者雇用をどうするか

 もちろん、話はそう単純ではない。最大の課題は高齢者雇用の確保とその処遇である。高齢者雇用を巡っては、「高年齢者雇用法」によって、すでに65歳までの希望者については、定年延長などを通じて何らかの雇用確保措置をとることが企業に義務付けられている。現在、年金の支給開始年齢が60歳から65歳へ段階的に引き上げられている中で、定年から年金支給開始までの無年金期間の発生を防ぐための措置である。

 しかし、企業からすれば、雇用確保を義務付けられても人件費に充てることのできる額が増えるわけではない。60歳定年を前提に人件費の計画を立てていた企業が、突如雇用確保措置を求められた結果、企業が人件費の膨張を抑えるため、60歳を超えると突如賃金が急減する形の賃金カーブが形成された。

 企業の高齢者雇用に対する悩みは金銭面だけでない。2015年に経団連が実施したアンケート調査では、再雇用後のモチベーション低下や、ポストの不足、組織の新陳代謝の低下を企業経営者は高齢者雇用の問題として挙げている。特に、今後生じる可能性のある問題に、ポストの不足や新陳代謝の低下を挙げる企業が多い。

「生涯現役」を日本経済再生の切り札に
(画像=第一生命経済研究所)
「生涯現役」を日本経済再生の切り札に
(画像=第一生命経済研究所)

 このように、雇用延長の義務化によって多くの企業では高齢者雇用が増加したものの、企業はお金もなければポストも無いという悩みを抱えているのが実情である。こうしたなかで、更なる雇用期間の延長を企業に強制しても、65 歳までの雇用継続義務化で生じたひずみをより大きくするだろう。これは、高齢者雇用確保という課題に対して、従来の日本型雇用慣行、すなわち1社での勤続を前提とした新卒一括採用、年功序列型待遇、終身雇用、その延長で対応していることに起因している。

労働市場の流動化が必要だ

 こうした課題を打破するためには何が必要だろうか。日本型雇用慣行、「1社勤続」の前提を変える必要がある。すなわち、労働市場の流動化を進め、人材ニーズのあるところへの労働移動を活発化させることである。これによって、高齢者自身も企業や仕事を自らのキャリアの中で変えることができるようにしていく必要がある。

 労働市場の流動化を進めるためには、①企業が中途採用を拡大したくなる、②労働者が積極的に転職したくなる、この2つのインセンティブが働くような、ないしはこれらに逆行するものを除去していく仕掛けが必要だ。

 ①に対するアプローチは、例えば解雇規制の緩和を進めることである。現在の雇用慣行のもとでは、企業はビジネスモデルの転換などで不要になった雇用も抱え込まなければならず、人件費の柔軟な調整を行うことが難しい。中途採用を拡大しようとしても、人件費の調整が出来ない状態だ。解雇するというオプションがないから、途中で採用することも難しくなるということである。解雇規制の緩和によって、企業が中途採用を拡大する効果が期待される。

 ②に関しては、年功序列型の待遇制度を是正することが求められよう。若いうちには低い賃金を、中高齢期には高い賃金を支給する賃金体系は、若いうちに退職した場合に本来得られるはずであった賃金が得られなくなることを意味する。多くの企業で採用されている退職金の制度もまた、勤続年数の長さが給付に直結するような体系になっており、労働者が1社で勤続することに対するインセンティブになっている。

 そして、2017年9月に発足した政府の「人生100年時代構想会議」においても議論されている「リカレント教育」(職業再教育)の充実も重要な鍵を握るだろう。新しい職場で新しい仕事に就く際に、新しい知識・スキルを得る教育機会を充実させることで、企業が求める人材を育成する。経済や産業構造の高度化が進んで行く中で、社会人になってからも必要なスキルを会得する場を設け、労働者の円滑な労働移動を推進する。これは、解雇規制の緩和によって生じるであろう失業者の再チャレンジを可能にするセーフティネットでもある。

「生涯現役」を日本経済再生の切り札に
(画像=第一生命経済研究所)

 リカレント教育の充実が成功するためには、第一に企業の求める人材と学術機関や教育訓練機関の教育内容のミスマッチを是正するために、産学のコミュニケーションを強化することが重要であろう。企業の求める人材像と職業教育の育成しようとしている人材像にギャップがあれば、幾ら職業教育を強化してもその先の就職に繋がらない。

「生涯現役」を日本経済再生の切り札に
(画像=第一生命経済研究所)

 また、企業は高スキル者にしっかりと高賃金を支払うように変わることも重要である。人材会社のHAYS とOXFORD Economics が共同で各国の労働市場を調査して作成している「Global Skills Index」によれば、日本は「専門性の高い業界に高い賃金を支払う圧力」が他国に比べて極端に低い。これは、労働者がIT など高い専門性が求められる業界への労働移動を妨げる要因になっていると考えられ、たとえ職業教育によって高いスキルを身につけたところで、正当に評価されずに低賃金に甘んじる構造になっている可能性を示唆するものである。

 こうした現状を放置したままリカレント教育の充実を行っても、労働者の身につけたスキルが企業で活かされることもなく、スキル見合いの賃金が支払われることもない。日本の雇用保険には職業教育を受ける際の受講費などを補助する「教育訓練給付」制度がある。この給付拡大も職業教育の充実の一つの手段であるが、幾ら金銭面での支援を充実しても、その先にある就職時のメリットを感じられなければ、労働者が自ら学ぶ意欲は喚起されず、リカレント教育は広がらないだろう。

生涯現役社会実現のための「一体改革」を

 以上、生涯現役社会を実現する意義、課題について考察を行った。労働市場の流動化と学びなおし、新しいキャリアの構築できる環境を実現、それによって高齢者雇用を確保できるようにすることが主な柱である。

 この実現のためには、企業、労働者、労働法制、社会保障制度、職業教育機関や学術機関が一体となって変わっていく必要があり、一つでも抜ければ完成しないものと考えられる。年金支給開始年齢を引き上げるだけでは雇用の場は広がらないし、職業教育のみを充実させても企業がスキル取得者を積極的に雇用しなければその職業教育に意味はない。

 そして、一つ一つの改革は各ステークホルダーにそれぞれメリット・デメリットが生じるものでもあり、個別に改革を進めていくことには政治的な難しさがあるだろう。しかし、生涯現役社会の実現によって、日本経済を覆う将来不安を取り除いていくことは、労働者にとっても、企業にとっても、日本経済全体にとっても意義のあることだ。政府に求められているのは、中長期的に目指すべき姿のグランドデザインを示し、その中で個々の改革の位置づけをはっきりさせ、各ステークホルダーの理解を得ていく姿勢ではないだろうか。今後行われる「人生100 年時代構想会議」の議論に期待したい。(提供:第一生命経済研究所

「生涯現役」を日本経済再生の切り札に
(画像=第一生命経済研究所)

第一生命経済研究所 経済調査部
担当 副主任エコノミスト 星野 卓也