安倍首相は9月26 日に日米首脳会談を行って、日米物品貿易協定の交渉を開始することを決めた。なぜサービス分野を分けて、物品だけの貿易協定にしたのかは疑問が残る。安倍首相は、トランプ大統領の懐に飛び込んで、遂に交渉のテーブルにつくことになったが、それは根負けしたのではなく、良い作戦だったと思える。
緒戦勝利か
9月26 日の日米首脳会談では、新しい通商交渉を始めることが合意された。交渉は2019 年初から始まる見通しである。今回、交わされたポイントを見る限りは、日本はかなり好条件を約束したとみられる。早計かもしれないが、緒戦勝利だと思える。
確認されたとされるポイントは、 (1) 交渉の途中では自動車(同部品を含むとみられる)への追加関税は課さない。 (2) 物品貿易協定(TAG)を交渉開始。これまで日本が結んできたFTAとは全く異なる。 (3) 農林水産品は、過去の経済連携協定(TPPとみられる)で認めた範囲を最大限として市場アクセスを進める。
の3つである。今後の交渉では、自動車と農産物が議論の焦点となって、新しい協定がとりまとめられる。
なぜTAGなのか
少し驚いたのは、FTAではなく、TAGだったことである。なぜ、TAGだったのだろうか。理由の一つは、交渉分野を物品に限定することで、早期の締結を狙っていることがある。日本は、2018年末・2019 年初にTPP11 と日欧EPAの発効を予定している。TAGはそれらに遅れることなく、なるべく早期に合意したい。もしもTPP11 が発効すると、カナダやオーストラリアの農作物が安くなって、米国は農作物輸出で不利になる。日欧EPAが先行すると、同様にワイン・チーズ等の分野で米国は不利になる。米国から日本への輸出が不利になると、それがさらに摩擦を生む。ならば、米国と日本の貿易協定が、TPP11 と日欧EPAに遅れるほど対立が深まると考えられる。よって、日米がともに早期の協定締結を望むことになる。
また、サービス分野には根深い米国への懸念がある。一昔前、「TPPは医療を破壊する」というプロパガンダが行われた。米国の業界の働きかけによって日本で混合医療が解禁されるとまことしやかに語られた。物品からサービスへと交渉範囲を広げると、寝た子を起こして、早期締結が難しくなる。農産物をTPPの条件を上限にすると決めたことも同じロジックからだろう。
サービスを外すという選択は、自動車と農作物に争点を絞って、交渉を拡散させないためだろう。ただし、サービス分野は全く外側なのかというとそうではなさそうだ。共同声明では、「他の重要な分野(サービスを含む)で早期に結果を生じ得るものについても交渉を開始する」とある。そして、「この協定の議論の完了の後に、他の貿易・投資の事項についても交渉を行うこととする」と記されている。サービスの交渉をしないということではない。最終的にFTAと変わらなくなりそうだ。恐らく、安倍首相は国内的なメッセージとして、物品に限り、サービスは別と強調して、国内からの抵抗を和らげたいのだろう。
日本はTPPを結びたい
トランプ大統領は、欧州とメキシコに対して貿易交渉ではかなり柔軟な条件で合意している。それをみて、日本も当初はTPP11 に軸足を置き、日米FTAは引き伸ばし作戦でまともに取り組もうとしなかった。筆者自身も、そうした作戦がベストであり、トランプ大統領の誘いには乗らないのが賢明だと考えてきた。
その後、トランプ大統領が甘い条件で合意し始めたのをみて、筆者もこれはチャンスかもしれないと思い始めた。同様に、日本政府も方針を少しずつ変えていったようにみえる。今回、日米FTAを熱望するトランプ大統領に対して、安倍首相が懐に飛び込んだ格好になっている。外堀を埋められて根負けした訳でもないと思う。むしろ、態度を軟化させたのは米国である。遠因として日本がTPP11 を主導して、参加を求める国が増えたこともある。その圧力が米国を動かした面はあろう。米国が、中国との対決に力を使っていることが、日本などと対峙する余裕を失わせている面もある。
日本は、トランプ大統領から農作物輸入はTPPで決めた市場アクセスの範囲内で行うという言質をとっている。このTPPを強く意識した条件は、日米TAGを結んだ後で、トランプ大統領が了承すればTPPに、米国が復帰しやすくなるだろう。日本がTAGで米国と農産物の開放条件を取り決めているので、米国がTPPに復帰しても日米が農産物で大きく仕切り直すことはない。だから、米国がTPPに復帰するときは、日本が米国と新たに対立する部分は少なくて済む。日本が米国のTPP復帰を先導しやすくさせる役割も取りやすいと言えるだろう。
争点となりそうな自動車
日本と米国の間で自動車分野は常に交渉の主役だった。2017 年の貿易統計では、対米輸出15.1 兆円のうち自動車と同部品は5.5 兆円(ウエイト36.6%)を占める。ここで合意できれば、残りの9.6 兆円の部分が優遇される。対米輸入では、8.1 兆円のうち食料品・大豆・木材の1.6 兆円(20.2%)で上手く折り合うことが摩擦解消につながる。
自動車関税は、一旦棚上げにされているが、今後の交渉では潜在圧力となるだろう。日本にとっては追加関税をゼロにすることも大切だが、米国に現地工場を設立したときの部品調達に厳しい制約を加えられることが警戒される。米国とメキシコの間でも原産地規制は米国に有利になった。日本からメキシコに進出した企業も、自動車では原産地規制に縛られる。米国にすでに進出している自動車メーカーも、その利害に大きく絡んでいる。また、自動車の対米輸出の数量制限も要注意である。
安倍首相は、自動車分野である程度の譲歩を覚悟していることだろう。日本の自動車メーカーにとっては、厳しい選択となる。安倍首相は、2019 年10 月の消費税率の引き上げに際して、自動車と住宅で反動減対策を検討している。だから、自動車メーカーが対米交渉で何か我慢をするときは、代わりに政府が反動減対策のところで穴埋めをするという考え方もできる。
日本からみえる対米交渉は、なるべく早期にトランプ大統領が特定分野だけに絞って好条件を得られる格好で合意できれば、名を捨てて実を取れるというものになっている。この図式は、逆からみれば、トランプ大統領が建前を上手く守ってくれれば、実質的に多くの分野を自由貿易のままにして構わないという内容でもある。トランプ流は、最初は脅して、次に安心させて、最後は絞り上げるという三段戦法である。大統領自身は細かい実務には関心が乏しく、建前さえ守られれば良いと思っている。だから、最終的に実務的に今までと変わらない状態にすることが日本にとってメリットとなる。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生