いよいよ衆議院が解散された。財政再建はどうなってしまうのか。消費税を2019 年10 月に増税したときの使途が変更されると、その分、財政再建の見通しを仕切り直すことがより難しくなっていく。今後の政策運営をどう考えていくかを改めて検討してみたい。

財源再建の漂流

 安倍首相が消費税がらみで臨時の記者会見を開くのは、今回で3度目である。過去2回は増税の延期、今回は増税分の使途変更。一見違っているようにみえるが、財政再建を先送りする点では共通している。記者会見後の質問では、歳出削減によって財源を確保する方法もあったのではないかという鋭い質問に対して、2兆円の教育・子育ての歳出増加に対して、歳出削減ではとても対応しきれないと説明した。ここでは暗黙のうちに、歳出削減でまかなえる範囲で、教育・子育ての歳出を増やすという方針が否定されている。財政再建を遅らせてまでも、教育・子育ての拡充がなぜ必要なのかという、合理的説明はなかった。

 筆者の見方では、まず「歳出増」が優先されて、次に「消費増税」の実行が財源確保として選択され、「歳出削減」が最後に回されたとみる。これは、政策運営として重大な優先順位の変更を行ったと考えられる。引続き、「財政再建の旗は降ろさない」と強弁してはいるものの、長い目でみて財政再建の一線を越えてしまっているように思える。今回、明らかになっている税収・歳出増の内訳は、まず、①8%から10%への増税で5.6 兆円の税収増が見込まれる。それに対して、②半分の2.8 兆円が、「人づくり革命」に充てられる。その内訳は、大学を含む高等教育の無償化(約1兆円)、幼児教育・保育の無償化(0.7 兆円)、0~2歳の無償化(0.4 兆円)、待機児童解消(0.3 兆円)という概略になりそうだ。これらのほかに、給付型奨学金、介護人材の賃上げ、社会人の学び直しの支援も入ってきそうだ。そうした広範囲の支援をもって、「人づくり革命」と呼ぶことになりそうだ。

 また、財政再建の方針を堅持し続けると言いつつ、基礎的財政収支(PB)の黒字化は2020 年度から先送りする。具体的な延期の時期は明示されなかった。増税分から返済に回るはずだった4兆円が2兆円に半減したとしてもPB赤字は10 兆円(従来8.2 兆円)である。筆者は、本当に2020 年度を先送りする必要性はあったのかという点や、2兆円の教育・子育ての歳出増を先送りする方に舵を切らなかった点について必ずしも明確な説明責任が果たされなかったことを極めて残念に思う。

 記者会見では、0~2歳児の幼児教育無償化には所得制限があって、3~5歳児の無償化には所得制限が加えられない理由がはっきりとしなかった。「広く利用されている」からと会見で説明された3~5歳児の無償化は、なぜ所得制限をすべきでないのかが今一つ伝わってこなかった。

実質は教育減税、需要増になるか?

 現時点では、財政運営の仕切り直しなどについて見えない部分が多い。あまり言及されていない点として、保育園や幼稚園の費用を無償にしたり、大学授業料を無償にすると総需要が増えるかと言う問題がある。

 短期的には、家計は教育費用に回していた資力を消費に回すことができる。ただ、消費が増える必然性はなく、国費の支出額に比べて総需要の押し上げは限定的だ。「増税分を借金返済に充てる」と国民への恩恵が少ないという錯覚を与えることも問題だが、増税分を無償化に回すとそれもまた景気刺激ではなく、実質として減税に似たものになる。需要創出が部分的になる問題を素通りしてはいけない。

 また、経済学的に考えると、通常、無料化は需要の弾力性を無限大にする。わかりやすく言えば、誰もが皆欲しがるということだ。その時、物理的に制約されている教育サービスの供給量にボトルネックが生じる。行列ができて、皆が教育サービスを受けられないという問題が起こりやすくなる。すると、時間が経つと粗悪な教育機関が組成濫造される心配がある。これでは、誰もが受けたい教育サービスを受けることにはならない。人づくりで一番大切な教育の質はどうなるのか。

 長期的な問題として、大学進学率が上昇して需要が拡大したときの問題はどうか。この場合であれば、国費が需要に結びつく。大学の入学者数も増える。その反対側では、大学の教職員が増えるが、そのことに問題はないのか。おそらく、給料の低い民間サービス部門から、大学の教職員への雇用シフトが起こる。大学は無料化されていて、必要とされるサービス供給が確保されるから、民間サービス雇用は圧迫される。この場合、大学サービスの生産性が十分に高いのならば何の問題もないが、必ずしもそれは保証されない。つまり、教育の質や大学卒業による若者の能力向上が厳しく問われる必要がある。

 こうした質の問題は、幼児教育でも生じる。果たして幼児教育が遠く将来の人材形成にどのくらい役に立っているのか。今回の政治的判断は、こうした複雑な課題を一足飛びに越えて、見たい夢を叶えようとする危うさがあると思う。教育は、個人の価値判断と深く絡んでいるだけに、容易周到なプロセスを本当は踏んだ方がよかったと思える。

消えない財政不安

 筆者は、基本的にここで選挙を行う根拠がよく飲み込めない。安倍首相は、消費税に絡んだ変更は選挙を通じて国民の判断に委ねているという。今回は、予想される歳出規模が約2兆円であり、これをまかなうには消費増税しかないという説明であった。

 ふと思い返すと、過去の景気対策には、2兆円を遥かに上回るような財政出動が何度もあった。最近は、その財源が赤字国債の発行によって行われている。そうなると、財政拡張の大きさによって、国民の判断が必要という訳ではなくなる。財源確保が消費税による場合だけ特別扱いとなる。

 これは、よくわからない理屈だ。社会保障の自然増で財政赤字が膨らんで、遂に三党合意で消費税率を引き上げることになった。選挙によって、仮に消費税率の引き上げがNoだということになれば、財源の手当てできない歳出増加はすべて国債発行ということになりはしないか。

 これはやや極端な見解であり、所得税の控除見直しや相続税強化をも含めて考える必要がある。消費税が絡んだときにだけ、国政選挙が行われることになると、自ずと選挙にさらされる国会議員は消費税率の引き上げに消極的となる。サラリーマンや資産家に偏った増税に傾くことを誰かが制御するのか。

 今回は、教育・幼児の無償化に絞って、財源を消費増税でまかなうという。ならば、今後の大型景気対策はやはり大きな財源を必要とするということで、消費税を動かすということになるのか。そこの首尾一貫性をしっかり議論しておかないと、消費税だけが特別扱いになって、抜け穴を通るように財政赤字が増えていくことが心配される。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 経済調査部
担当 熊野英生