新聞報道によって突然、2020 年度の基礎的財政収支(PB)を黒字化する約束が延期されることを知らされた。理由は、2019 年10 月の消費税率の引上げで行われる債務返済を、教育の無償化などに振り向けることを次の衆議院選挙で公約に掲げるからだという。教育の無償化は、現在の日本に本当に最優先されるべき問題なのだろうか。政党間でそうした詰めた論議が行われないまま、選挙の洗礼を受けることには大きな違和感がある。
財政規律の問題
各種報道によると、安倍首相は10 月22 日に衆議院選挙に打って出て、そこで基礎的財政収支(PB)の黒字化の目処を2020 年度から先送りすることを選挙で問うという。今回、教育の無償化を優先して、消費税の税収増を財源に充てた。つまり、新たな歳出のために増税が行われる。これは「大きな政府」志向である。必要最小限の消費税率しか引上げないという原則を変えた。安倍政権は、自分がやりたい政策を増税によって実行することになる。これは質的に今までと異なる政策対応に思える。
筆者は、PB黒字化の延期が財政再建のタイミングの単なる後ずれでなく、レッドラインを越えたと感じる。それは単に計算上の財政収支の不足分が大きくなって困るという問題ではなく、当座の財政規律が失われて、しばらくは財政拡張に歯止めがかからなくなることが強く警戒されるからだ。例えば、2017 年度の補正予算はどうなるか。財政政策のセオリーから言えば、完全雇用下では雇用対策の財政出動は不要のはずだ。2020 年度に控える東京五輪に向けて、公共事業などを積み増したいという思惑も強まるだろう。
具体的に、2012 年の三党合意を見直して、債務返済に回すはずだった約4兆円の部分から、①幼児教育・保育の早期無償化、②大学教育への支援・成助見直し、③社会人向けの学び直し・復職などへの支出を増やすと、どのくらい2020 年度のPB赤字は拡大するのか。まず、三党合意の枠組みの4兆円は、消費税の軽減税率分が割り引かれていないので、実質的な債務返済は3.4 兆円程度となるだろう。歳出増が2020 年度で1~3.4 兆円の範囲で増えるとすれば、2020 年度の国・地方のPB赤字▲8.2 兆円(経済再生シナリオ)は、▲9.2~▲13.6 兆円という計算になる。消費税率が10%になっても、PB赤字が▲9.2~▲13.6 兆円も残るということは、財政収支の改善が進まずにずるずる赤字が累積する結果をもたらすことになる(図表)。
また、筆者が強く警戒するのは、例えばPB黒字化が2020 年度に先送りされることで、2017 年度補正のほか、2018~2020 年度の財政拡張に歯止めが効かなくなって、事後的に2025 年度のPB黒字化の姿すら霞がかかってしまうことである。
多くの人は、2020 年度のPBがピンポイントで1兆円以上悪化することを心配しているのではなく、どうにか抑え込んできた歳出拡大の圧力が堰を切ったように溢れ出すことを憂いているのであろう。
これで何が変わるのか
「蟻の一穴」という言葉は、僅かな変化に見えても、思いのほか大変なことになることを意味している。筆者なりにPB黒字化の延期によって、次に何が起こるのかを連想してみた。
(1) 安倍首相の任期が2021 年9 月までだと仮定すると、PB黒字化は次の首相の宿題となる。 (2) PB黒字化のために次の首相は、10%の次の消費税率引き上げを決断しなくてはいけない。 (3) 本当は13%(例えば)の消費税率で済んでいたものが、15%のより高い税率でなくてはいけなくなる。税率が高いほど、国民の痛税感は強まる。高齢化がより進むことも、増税の抵抗を強める。 (4) 日銀の出口政策の時間軸は数年分伸びることになる。 (5) 2020 年度の東京五輪が終わった時の反動不況によって、PB赤字が増えるだろう。PB黒字化の約束が2020 年度よりも先になることで、その反動減に対応する財政出動も大きくなる。 (6) 先進国の財政状況は、日本と日本以外で大きく格差が開く。
様々に気が付いたことを書き連ねると、先送りされた後のPB黒字化は、2020 年度の黒字化よりも遥かに難しくなることは間違いなさそうだ。
様々な言葉の解釈
報道を通じて筆者が目にした説明には、いくつかの誤解があるように思う。こうした説明は、財政拡張を正当化するために用いられた恣意的なレトリックだと思えるので、筆者なりの解釈をしたい。
増税分を債務返済に使う…巷間、債務返済に使うと、追加的需要刺激にならないから、教育支出に回すとされる。しかし、この債務返済とは先に増えていた歳出分の財源を手当てしているに過ぎない。すでに需要刺激は先食いされている。増税分を債務返済に使うのではなく、増税分はすでに使われている。そう考えると正しくは、今回の措置は「教育支出をまた新しい赤字国債でまかなう」ということになる。
全世代型社会保障…高齢者だけでなく、若い世代の教育、子育てに使うから「全世代」のニュアンスを加えたのだろう。しかし、若い世代は、後代のツケを回されるので、社会保障を受け取るだけでなく、自分が支払う債務返済の負担も増える。
無償化…公的サポートを受けられる人は、あたかも無償でサービスを受けられるように感じられる。しかし、そこで債務も増えるので、生涯収支でみて無償ではない。いずれ消費税の増税で支払うことになる(2019 年10 月になれば、税率は+2%の負担増となる)。
教育は社会保障…教育と社会保障の区分が曖昧にされている。社会保障は、貧困に陥った場合、または疾病・老齢・失業によって貧困の危機に直面した場合、公的支援を受けるシステム。社会保障と教育は必ずしも同一ではない。教育が権利であれば、健康、就職、結婚などとどう区分するのかがよくわからない。
筆者の記憶では、教育分野により多くの公的資金を使おうというアイデアは安倍首相たちよりも前に、野党から提起されていた。野党の思惑が正当か否かを議論するのではなく、政権側がそれに同調して、選挙のテーマに祭り上げたところに驚きを禁じえない。その政策が正当か否かを論じられることなく、一足飛びに選挙で正当性が問われるというプロセスは、私たちが議論から外されて、いきなり観客席に強引に座らされた感じがある。理性に照らして正当か否かを問うべき問題まで、選挙によって正当性が成り立つかのように取り扱うことには違和感がある。
財政再建についても、「財源がないから教育の無償化ができない」という議論が出てきて、「財政再建を先送りしてでも教育の無償化を行う」という流れによってなし崩しになったように思える。教育の無償化という政策は、政党間での詰めた論議を経ることなく、既成事実化された印象を拭えない。本来は、義務教育の範囲を越えて、教育の無償化を行うことが正当なのかを吟味するのが先であろう。仮に、国民がそれを望んだからといって、望まれることがすべて正しいとは限らない。財政再建を無視することは、まだ投票権を持たない国民や、まだ生まれていない世代に対して、選択の余地なく負担を負わせることになる。それが正当か否かという吟味に戻って、教育分野への公的資金の利用を考え直すことが必要である。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 経済調査部 担当 熊野英生