社会保障収支の黒字化を通じて公費負担を減少させるには、社会保険料の伸び率を高めるしかない。資産収入などを除いて考えると、2014・15 年度と赤字幅が急改善している。今後、雇用者報酬の伸び率をさらに着実に高めていけば、公費負担を減らし、財政再建の進捗を確かなものにできる。それが財政再建に苦しむ我が国の活路となる。

収支改善の条件

 社会保障関係費の膨張には歯止めをかけにくい。高齢者へ自己負担を求めることは、勤労世代の負担増よりも政治的に不人気だからである。もう一方では、子供・教育関連でも政府支出を増やしたいという思惑も強い。今も財政再建は、深く袋小路に迷い込んでいるように見える。下手をすると、このままでは財政が行き詰るのではないかと恐ろしく思うときもある。

賃金・雇用増で社会保障収支は改善
(画像=第一生命経済研究所)

 筆者は、この問題の核心部分にある社会保障の公的負担をどのように制御すればよいかを考え続けてきた。政治的にも最も受け入れられやすいのは、成長によって社会保障負担を賄っていく方法がより現実的だと考えている。無論、決められた消費税率の引き上げは必ずやるきだ。消費増税を念頭に置いても、成長していた方が好都合である。

 本稿では、焦点を社会保障収支に絞って、その改善に必要となる賃金・雇用の拡大ペースの条件を考えてみた。考え方は、賃金・雇用が伸びると、社会保険料が自然増となって、公費負担を軽減させる。その軽減が一般会計ベースの財政赤字を縮小させ、先々、基礎的財政収支の黒字化に寄与する。

 基本的な図式は、国立社会保障・人口問題研究所の「社会保障費用統計」に基づく(図表1)。この図式は、社会保障費用が、主に社会保険料と公費負担によってカバーされていることを示している。

 賃金と雇用者数が伸びれば、社会保険料も増えて、社会保障給付をより多くカバーできる。特に、社会保険料の増加率が、社会保障給付の増加率を上回るほどに、公費負担の軽減に寄与する。概念を簡便法で示すと次のようになる。

賃金・雇用増で社会保障収支は改善
(画像=第一生命経済研究所)

 これは、財政の持続性条件としてよく引用されるドーマーの定理(名目GDP成長率>名目公債利子率)と考え方はほぼ同じである。トマ・ピケティの資本の成長>経済成長だから、資産格差拡大というロジックをも想起させる。

社会保険料の伸びは高い

 最近の社会保障収支の中で特徴的なのは、社会保険料の伸び率が高いことである。2010 年度は前年マイナスの反動だろうが、その後は2011 年度2.8%、2012 年度2.2%、2013 年度2.5%、2014 年度3.4%、2015 年度2.7%となっている。5年平均で2.7%である。

賃金・雇用増で社会保障収支は改善
(画像=第一生命経済研究所)

 同じ期間の社会保障給付費の伸びは5年平均で1.8%である。2012~2015 年度の4年連続で、前述のI>Cの条件をクリアしている。潜在的に社会保障収支の公費負担が改善していることになる。図表1のデータでは、社会保障収支(B-A)からさらに「資産収入とその他」を除いたときの赤字幅(純粋な収支、B-A-C-D)が2015 年度にあと少しでプラスになる手前まで縮小してきている(図表2)。このベースでみた収支は、団塊世代が60 歳に達することが増えた2006 年から一旦赤字幅が急拡大し、2014・15 年度と改善が進んでいる。あと1・2年間ほどI>Cの関係を維持していれば、いよいよ黒字化に成功できる。

 ここで考えたいのは、「資産収入とその他」の扱いである。「その他」には、積立金からの受入を含むので、これを収入に入れてはいけない。「資産収入」は振れが大きく、これを含めてよいか迷う。2015 年度は僅か2.1兆円に減少し、過去にも2008、2010 年度と少なくなった。収支に含めるには不安定すぎる。また、2013 年度から黒田緩和が始まって金利収入は限界的に大きく減っている。また、積立金が取り崩されていると、「資産収入」も減ってくる理屈だ。「資産収入とその他を除く収支」がプラスであることが条件になって「資産収入」が増える。この原理はプライマリー・バランスの黒字化と同じだ。基本は社会保険料と公費負担だけの収支(純粋な収支)で考えるべきだ。

 ところで、なぜ社会保険料の伸び率がここにきて高いのだろうか。賃上げは2014 年度から徐々にプラスに転じているが、まだ1%未満で低調である。むしろ、常用雇用者数の伸び率が2015 年度から直近まで2%超で推移している。1人当たり賃金×常用雇用者数=総賃金でみて高い伸びになるのは、後者の常用雇用者数の伸び率が大きく寄与しているからである。GDP統計の雇用者報酬(名目)は、2016 暦年は前年比2.3%、2017 年上期も前年比1.6%と1990 年代中頃以来の勢いを取り戻している。

 今、大変ラッキーなことに雇用者報酬→社会保険料→収支改善という流れが予想外に長く継続しているのである。問題は、それが2020 年度以降も続くかどうかだ。労働力人口が減っていくことは避けられないだろう。ならば、非正規雇用が継続して正規へと転換する流れを何らかの形で恒久的なものにしたい。まだ我が国では、正規化の流れは労働需給のタイト化に背中を押されているとはいえ、一時的なものかもしれない。だから、社会保障収入の改善もまだ先々でどうなるかわからない。

社会保障給付も抑制的

 筆者は、社会保険料の伸びの方を重視するが、もう一方で社会保障給付費の伸びが落ち着いていることも見逃してはいけない。前述したように、社会保障収支は団塊世代の退職が進み始めた2006 年頃から悪化した。2006年から2009 年は、社会保障給付費が2%から6%まで急伸していた。それが、2012 年以降は少し伸び率が鈍化しているのである。ひとつは年金について、厚生年金・報酬比例部分の支給開始年齢が繰り上がってきたことである。後期高齢者や介護の給付額は伸びているが、もうひとつ医療給付の伸びは全体として抑制的である。これは薬価が抑えられ、ジェネリック薬品の普及を進める努力が効いているのかもしれない。これは、まだ統計に表れていないが、2016 年度の医療費は前年比で減少した可能性がある(詳しくは、8月7日発行のEconomic Trends「医療費、14 年ぶり減少の可能性」<星野卓也>を参照のこと)。今後も、しばらくは60 歳および65歳以上人口の伸び率がじりじりと鈍化していく見通しである。社会保障給付費の伸びもそれほど急伸しないで済むかもしれない。2018 年度予算編成では、診療報酬と介護報酬のダブル改定のタイミングになる。政策面での支出抑制が効き続ければ、2012 年以降の収支改善を2020 年頃までは延長できるチャンスである。

公費負担を軽減する道筋を描く

 具体的に、どのくらいの社会保険料の伸びがあれば、潜在的な公費負担を減らしていけそうなのだろうか。まず、支出面での社会保障給付費の伸び率の前提を確認しよう。2005~2015 年度のトレンドでみて、年間ペースで2.4%となる(図表3)。2012~2015 年度は平均1.5%であるが、もっとスパンを長くとって厳しい前提で考えることとする。

賃金・雇用増で社会保障収支は改善
(画像=第一生命経済研究所)

 2.4%を上回って社会保険料が伸びれば潜在的な公費負担を減らしていける。2015 年度の社会保険料は、社会保障給付費に対して58%のウエイトである。この58%の寄与度が2.4%になればよい。すなわち、2.4%÷58%=4.1%が潜在的な公費負担を増やさない条件となる。

 確認すると、社会保険料が4.1%以上の伸びであれば、その寄与度は4.1%×ウエイト58%=2.4%以上となり、たとえ公費負担が0%の伸びであっても、社会保障給付費の2.4%の伸びを全てカバーできる。言い換えると、公費負担をマイナスの伸びにするには、社会保険料の寄与度が2.4%以上になることが必要ということである。なお、2012~2015 年度にかけては社会保障給付費が平均1.5%で伸びたから、公費負担を0%の伸びにするために必要となる社会保険料の伸び率は、1.5%÷58%=2.59%と計算できる。実際、この期間の社会保険料収入は平均2.7%で伸びた。ごく僅かに公費負担を減らすことができていたことになる。

賃金・雇用増で社会保障収支は改善
(画像=第一生命経済研究所)

となっている。2012~15 年度は社会保障給付費の伸びが低かったので、この条件を満たしやすかった。

次に、賃金(名目雇用者報酬)と名目GDPとの関係をみてみよう(図表4)。2012~15 年度のGDPベースの雇用者報酬はプラスに転じてきたが、まだその伸び率は高くない。一方、名目GDPは2.6%と1990 年代後半以来の高い成長率であった。データの連動性を調べると、社会保険料4.1%の伸びを確保するには、必要とされる雇用者報酬の伸び率は、1.2%である。この計算は、名目GDPと社会保険料に対し、雇用者報酬の弾性値が高いように思える。少しでも雇用者報酬が増えれば、より大きく社会保険料が上がるという関係性である。これは、2000 年代にかけて非正規化が進み、経済が成長する割に雇用者報酬が増えにくい関係にあったことを反映しているのだろう。また、ここには、勤労者の厚生年金保険料率が毎年0.354%(労使折半)で上がってきたことも含まれている。

賃金・雇用増で社会保障収支は改善
(画像=第一生命経済研究所)

 いずれにしても、社会保険料を大きく伸ばすために、賃金・雇用を増やして雇用者報酬を伸ばすことが必要になる。今後を展望すると、2018 年からは厚生年金保険料率の引上げの効果がなくなってしまう。完全雇用が続いていく中では、これ以上の雇用増を期待しにくくなる。だからこそ、雇用増よりも賃金上昇が進むことに期待したい。特に、春闘におけるベースアップ率を高くして、それが社会保険料の増加に寄与することが望ましい。

 冒頭にも記したように、財政再建を成長させる成長とは、賃金・雇用の高い伸びを通じて社会保障収支を黒字化させることである。社会保障収支を改善させ、潜在的な公費負担を減らすには、1.2%超の雇用者報酬の伸びを目指すことがメルクマールになるだろう。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 経済調査部
担当 熊野英生