要旨
2018年6月29日、参院本議会で「働き方改革関連法案」(正式名称:働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案)が可決・成立した。
働き方改革関連法案の中で、特に注目を浴びているのは長時間労働を是正するための措置である「残業時間の上限規制」だろう。
今回の残業時間の上限規制により、長時間労働はある程度解消されると期待されるものの、その内容をみると、一つ疑問点がある。それは、1カ月で100時間未満と2~6カ月の平均で80時間以内には「休日労働を含む」ことがきちんと明記されているのに、年720時間には「休日労働を含む」という内容が入っていないことである。
厚生労働省が発表した残業時間の上限は、現在のところ基準が明確でないので、多様な形で解釈することが可能である。そして、期間ごとに異なる基準が設定されているので、どの基準に合わせて残業時間の上限を設定すれば良いかがよく分からない。
労働基準法第36条の問題が再び発生しないように、残業時間の上限規制に関する基準を明確し、より分かりやすい制度に見直す必要があるだろう。
2018年6月29日、参院本議会で「働き方改革関連法案」(正式名称:働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案)が可決・成立した。働き方改革関連法案は、(1)労働基準法、(2)労働安全衛生法、(3)労働時間等の設定の改善に関する特別措置法、(4)じん肺法、(5)雇用対策法、(6)労働契約法、(7)短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律、(8)労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律という8本の法律改正によって構成されている。
働き方改革関連法案の中で、特に注目を浴びているのは長時間労働を是正するための措置である「残業時間の上限規制」だろう。今回の残業時間の上限規制は、労働基準法が制定されてから初めて上限規制が罰則付きで定められた。今までは労働基準法36条に基づく労使協定(サブロク協定)に「特別条項」を付けることで事実上、無制限に残業をさせることができた。しかしながら、今回の改革により残業時間は制限されることになった。
残業時間は、原則「月45時間、年360時間」までとし、臨時的な場合の月単位の上限は、1カ月で100時間未満(休日労働を含む)、2~6カ月の平均で80時間以内(休日労働を含む)で、最長でも年720時間に抑えている。違反した企業や上司に対しては30万円以下の罰金か6カ月以下の懲役が科される。今回の残業時間の上限規制により、長時間労働はある程度解消されると期待されるものの、その内容をみると、一つ疑問点がある。それは、1カ月で100時間未満と2~6カ月の平均で80時間以内には「休日労働を含む」ことがきちんと明記されているのに、年720時間には「休日労働を含む」という内容が入っていないことである。なぜ、年720時間には「休日労働を含む」という内容が含まれていないだろうか。残業時間の上限規制に対する企業側の負担あるいは反発を恐れた措置かは分かりかねないものの、このままだと混沌をもたらす恐れがある。
つまり、現在の法律のままだと、既存の労働基準法のように「特別条項」を付けて労使間に協定を締結すると、年720時間以上も残業をさせることが可能ではないかと思われる。人によっては次のような質問が出ることもあるだろう。
Aさん:「1カ月100時間未満(休日労働を含む)」を適用すると、100時間(休日労働を含む)×12カ月=1,200時間になるので、年間残業時間の上限は1,200時間になりますか? 「2~6カ月の平均で80時間以内(休日労働を含む)という基準が同時に適用されると、1,200時間にはならないと思いますが、実際はどうでしょうか?
Bさん:「2~6カ月の平均で80時間以内(休日労働を含む)」を適用すると、6カ月の平均残業時間は80時間以内(休日労働を含む)であるので、6カ月の総残業時間は480時間(6カ月×80時間)になると思います。基準を「2~6カ月の平均で80時間以内(休日労働を含む)」にしたのは、1年間にこの基準が2回適用できることでしょうか? もし、そうだとすると1年間の残業時間の上限は960時間(480時間×2)になりますか?
Cさん:「年720時間」という基準には休日労働が含まれていませんが、労使間に協定を結べば休日に働くことにより、年720時間以上も働くことができるのではないでしょうか?企業は、労働基準法35条1項の「使用者は、労働者に対して、毎週少くとも一回の休日を与えなければならない」だけを守れば休日を活用し、年720時間以上の残業をさせることは可能ではないでしょうか?
以上のように、厚生労働省が発表した残業時間の上限は、現在のところ基準が明確でないので、多様な形で解釈することが可能である。そして、期間ごとに異なる基準が設定されているので、どの基準に合わせて残業時間の上限を設定すれば良いかがよく分からない。朝日新聞は今年の6月8日の朝刊(1)で「「年720時間」は休日労働を含まない上限だ。一方で、特に忙しい時期に認められる「2~6カ月平均で月80時間」の特例は、休日労働を含んだ基準になっている。この残業を12カ月繰り返し、「80時間×12カ月=年960時間」の残業ができるのだ」と年間残業時間は720時間ではなく960時間だと報道し、残業時間の上限に関する問題点を指摘している。朝日新聞の見解は上記のBさんの考えと同じ結果になっている。
残業時間の上限規制は、企業規模や業種により施行時期と残業時間の上限が異なっていることも制度が理解しづらい一つの原因になっている。つまり、残業時間の上限規制は大企業の場合は2019年4月から施行されることに比べて、中小企業は1年遅い2020年4月から施行される。また、自動車運転業務、建設業、医師への上限規制は5年間猶予され2024年度から適用され、自動車運転業務の場合は、年960時間と一般業務の年720時間に比べて240時間も多く上限を設定している。さらに、高度プロフェッショナル制度が適用される労働者や新技術・新商品の研究開発業務は上限規制が適用されない。
今回、厚生労働省が発表した残業時間の上限は本当に複雑な仕組みになっており、抜け穴がたくさんあるように見える。このままでは長時間労働の解消の実現は、困難であると言わざるをえないのではないだろうか。労働基準法第36条の問題(2)が再び発生しないように、残業時間の上限規制に関する基準を明確し、より分かりやすい制度に見直す必要があるだろう。
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(1)朝日新聞2018年6月8日朝刊「休日含め「残業960時間」上限720時間に抜け穴、議論されず」から引用。
(2)既存の日本の労働基準法第36条、いわゆるサブロク協定では「労使協定をし、行政官庁に届け出た場合においては、その協定に定めるところによって労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。」と労働基準監督署長に届け出た場合は、その協定内の範囲内で残業や休日労働を許可していた。さらに、労働基準法は、残業時間の上限を「月45時間」に制限しているものの、「臨時的で、特別な事情がある場合には、残業時間の上限を超えて働くことができる」という「特別条項」を付けて協定を締結することも可能であり、この場合は残業時間の上限なしで、無制限に労働者に残業をさせることができるようになっていた。その結果、長時間労働が解消されず、精神障害等の労災請求件数が毎年増加している傾向である。
金 明中(きむ みょんじゅん)
ニッセイ基礎研究所 生活研究部 准主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任
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