今、何となく平成が過ぎ去ろうとしている。新元号が発表されると、ムードが新しいことを歓迎するようになるだろう。だからこそ、過去30 年間の平成について政策面で何が起こり、それがどうなったのかを改めて考える機会にしたい。筆者は、昭和時代の感覚で金融・財政政策が行われていることを問題視する。それをまずはリセットすることが次の課題と考える。

平成
(画像=PIXTA)

失われた30 年?

 4月1日に新元号が発表されると、いよいよ平成時代は終幕の印象が強まるだろう。その手前で少し長期スパンで経済政策の課題について考えてみたい。課題の中にはどうしても長期スパンで捉えてみなくては捉えきれない問題があるからだ。

 象徴的な思考実験として、1990 年代が「失われた10 年」と言われていたことを思い出してみたい。この「失われた」というのは何を指すのだろうか。おそらく、失われたのは成長であり、正確に言うと成長実感だろう。企業というよりも、勤労者の実感が成長していることの手応えを感じなくなっている。2000 年代は「失われた20 年」と言われ、同時に実感なき成長とも言われた。2010 年代になると、もはや「失われた30 年」などと言う人はいなくなった。これは、低成長に人々が慣れてきて、実感なき成長を当然視するようになったからだ。「物価上昇率2%がスタンダードだ」と息巻く日銀をみて、ドンキホーテのようだと感じるのは筆者だけではあるまい。政府や日銀が無理に成長目標を高く掲げても、国民はその数字を頭から信じなくなっている。

 目先の話題として、トランプ大統領が2020 会計年度の予算教書で今後10 年間の経済成長率を3%前後だと設定したことをみても、何処の国でも同じような錯覚に陥るものだと感じられる。

 私たちが平成時代を終えるに当たり、すでに2~3%以上の高い成長率には手が届かないのが当たり前だと受け止めるようになっているのだ。

政策全体が神通力を失いつつある

 平成時代は、バブルが崩壊して長期不況に苦しんだ時代であった。実質GDPの推移をみると、この30 年間は(1)バブル崩壊後、(2)金融危機後、(3)リーマンショック後という3つの局面に分ける事ができる。この間、政策面では、金融・財政政策を打ち尽くしてもまだ長期不況から脱することができなかったという見方ができる。そこで登場したのが、様々な改革パッケージである。90 年代は金融システムの正常化と不良債権処理、2000 年代は構造改革、2010 年代はアベノミクスという改革パッケージを思い出す。

 翻って、これらの改革パッケージがどの位成長率を引き上げるのに貢献したかを考えると大きな疑問が残る。例えば、不良債権が銀行のバランスシートからなくなって、銀行の自己資本が増強されたことはどのくらい有効だったのか。確かに、成長制約としての金融制約がなくなったことは、成長率を押し下げる要因をなくしはしたが、それだけで成長率を大きく押し上げるものではなかった。小泉政権の構造改革も、様々なテーマで制度見直しを進めたが、郵政民営化など当時は大騒ぎをしていた割に、マクロ経済へのインパクトは限定されていた。アベノミクスの手法は、小泉政権の構造改革を真似したものであり、数々のテーマが並んでいてもやはりマクロ経済へのインパクトは同じように限られている。

 金融・財政政策を打ち尽くした後、それに代わる有効な経済政策のツールはまだ見つかっていない。「失われた10 年・20 年」とは、成長率を政策が思い通りには引き上げることが叶わなかった結果として起こっているのだろう。

 経済学の枠組みでは、需要によって決まる成長率と、供給能力によって決まる潜在成長率がある。金融・財政政策では一時的に需要を持ち上げることはできるが、潜在成長率は上げられないとされる。つまり、構造改革のような政策パッケージでは、金融・財政政策に代わって潜在成長率を引き上げることが、同時代に生きている人々が信じているほどにはできていないということなのだろう。長い期間でみると、様々な改革策もまた以前に比べて神通力を失っているのだ。

平成時代の金融政策

 平成の日本銀行は、まさしく時代に翻弄された政策当局の代表である。バブルが崩壊して、1999 年にはゼロ金利政策に追い込まれた。専門家も実務家も、短期金利をゼロ%にした後は、日銀ができる政策はほとんどないというのがほぼ一致した見方だった。その認識を前提にして、日銀はその先にある追加的緩和余地を探るという課題に取り組んだ。これが黒田東彦総裁が登場する以前のパラダイムだったように思える。ところが、黒田総裁は、非主流な見解であったリフレの政策思想を利用して、追い詰められた日銀がさらに大規模な緩和効果を演出した。筆者などは、リフレのオピニオンリーダーたちは、仮に政策に失敗しても責任を取らないだろうから、責任を求められる当局がそれに便乗するのは危険だと判断していた。経済学者の中にも、実験的な政策を実務で試してみることへ警戒感を示す人は少なくなかったように思える。今、やはりリフレの人々は責任を感じることなく、まだ量的拡大を唱えている。

 その結果、国債を民間金融機関から買い尽くすことになり、株式市場でも日銀保有株は存在感が大きくなり、売るに売れなくなっている。2013 年4 月に黒田総裁が異次元緩和をスタートさせて、2019年初まで約6年間が過ぎ、気が付くと何を目的にして行っているのかがわからなくなっている。当初は、エネルギー価格の変動を含めて、通貨供給量をコントロールすれば物価は操作できるとしていたのに、それはうやむやにされた。物価予想を誘導できるという姿勢はもっと失敗したことが明らかである。日銀は、2016 年9 月に遅ればせながらも枠組みをイールドカーブ・コントロールに見直して、量的拡大の効果を前面に出さなくなったが、巨大な資産買入れを停止するには至っていない。日銀の30 年間の歴史を振り返ると、いかに日本の経済政策が迷走し続けているかが鮮明にわかる。

 平成の次の時代までその不幸を引きずってはいけないと感じる。

サプライサイド政策は人口減に引っ張られる

 平成の次の時代に向けて、政策の有益性を取り戻すことが課題であるが、もうひとつ、逆風が吹いていることを認識しておきたい。それは、人口減少・高齢化による経済下押しである。潜在成長率にもネガティブな作用をもたらしている。従って、政策の有効性は、そうした人口面でのマイナスをカバーして経済を引っ張る分まで期待されることになる。

 人口減少に対して、人口対策・少子化対策という言葉はある。しかし、その言葉がイメージとして感じさせるほどの人口減少に効果を上げているとは思えない。少子化対策の政府予算が使われるところまでは明確になっているが、その効果が本当にマクロ的成果につながっているかは怪しいところがある。

 経済成長の基盤となっている労働力や消費者の人数がダウントレンドになる重石に対して、成す術がなかったというのが平成の終幕に当たっての理解である。年金改革は、平成の丁度中間地点の2004年に決まった。労働力の変化にはその影響は色濃く表われている。年金支給開始年齢が引き上げられたことや、年金だけで暮らしていけなくなった高齢者が増加したことによって、就業者数が増えたことである。人口高齢化は、年金財源を圧迫して、年金生活者を労働に駆り立てた。これは、経済成長率を落とさないための痛みを伴う政策だったと総括することができる。

 もうひとつ、人口減に伴うサプライサイドの政策は、自治体の合併と企業の再編である。自治体の方は、「平成の大合併」として知られている。企業の方は、石油、化学、薬品、鉄鋼、電機、自動車、銀行と軒並み業界内での主要企業の合併・提携が進む。国内市場が低迷し、海外事業に打って出るには再編によって体力を強化する必要があるという認識で主要企業がまとまった。

 こちらは、成長のための再編というようりも、生き残りのための供給能力の削減を目指したものである。表現を変えると、“持続的成長”という発想で、期待成長率が下がっても十分に収益面での成長を維持できるように体質転換を狙ったのである。

 社会保障や民間企業が平成時代に遂げた変革は、「人口減少=国内市場の縮小」を前提にして、その中で低くとも安定した成長力を獲得することだったと理解できる。

 しかし、そのことは、家計(高齢者)や勤労者(含む非正規)からみれば、自分たちが体質転換の犠牲にされたという負の感覚を生み出した。それが実感の乏しさをつくると同時に、平成を象徴する“格差問題”を発生させた。ほぼ同じ流れが海外の先進国でも起こり、リーマンショック後のポピュリズムの嵐へとつながったのだろう。

政策の錯覚が生む負の遺産

 経済成長が右肩上がりだと信じられていたのが「昭和」だとすると、「平成」は成長率がアップダウンして、伸びるときでも人口制約の影響を受けてそこそこの高成長しか得られないことに気付いた時代であったと言える。

 しかし、金融・財政政策においては、必ずしも「平成」の時代感覚が共有されていないと考えられる。日銀は、インフレ率2%を目標に置いて巨大緩和を続けている。政府の方も、いずれ成長率が2~3%に高まって基礎的財政収支が黒字化するという指針を定めて歳出拡大を続ける。当初予算から上積みされた税収増は、ほぼ補正予算で使い切ってしまうという暗黙のルールが支配している。

 政府も日銀も、中長期の物価・成長率は右肩上がりを想定する点で、筆者は強く昭和の感覚に囚われていると感じる。それが、歯止めのかからない財政拡張と、それを影で支える財政ファイナンスの常態化を生んでいる。

 人々は、そのことを止める決定について出口と呼び、出口は難しいと口々に語っている。しかし、私見では、出口はコロンブスの卵のように簡単だ。昭和の感覚を捨て、2%の物価と過大な自然増収の税収見積りを修正すればよい。従来のコミットメントを破るという簡単な手続きを実行できないのは、巨大緩和と財政拡張によって利益を得ている人が多くなり、未だに昭和をいつまでも続けられるという錯覚を放棄しないからだ。日銀を独立させて、財政との中立性を回復させることで、いくらか泥沼化を脱することはできる。それを可能にできるのは、日銀と政府のトップの決断次第である。

平成の次の時代へ

 次の時代には、昭和の右肩上がりの幻想を引き継いではいけない。巨大緩和と財政拡張を一旦停止しない限り、金融・財政政策が大きな効力を回復することはできない。これは、金融財政がともに動員できる余力をつくらなくては大きな刺激をもたらせないからだ。

 次の時代は、成長率がある程度まで回復すると、需要刺激を止めて、よりサプライサイドの強化を意識することが必要になる。このサプライサイドとは、より高い国内成長率を望むのではなく、縮小する国内需要の代わりに、相対的に成長する海外市場によって成長を引っ張っていく政策がある。例えば、平成に最も成功した事例として、インバウンド政策がある。ビザの緩和や空港整備によって、訪日外国人を増加させた。

 もうひとつ、海外でのイノベーションの成功事例をいち早く国内市場でも普及させることは、国内需要喚起に効果が大きい。海外スマホの世代交代、シェアリングエコノミーの活用、自動運転技術の進化など、10 年以内に起爆力のある技術革新が海外で大きなサプライサイドの力を発揮するだろう。それを見越すと、いかに早く国内のルールを寛容にして国内に新技術の恩恵を及ぼすかが課題として浮かんでくる。海外からアイデアを取り込む発想は、平成時代よりも重要性を増し、それはテクノロジー競争の恩恵の形をとるだろう。

 おそらく、政治的には、即効性が見込めそうな需要刺激の方に関心は集中するが、少し長い目でみると、テクノロジーや新しいビジネスモデルの普及の方が圧倒的に経済を引っ張る力量は大きい。より高い成長を望むのであれば、近視眠的な政策から、中長期的な政策に重点を置くことが有益である。そのためには、政策決定における“政経分離”を進めて、中央省庁の役割も中長期的な成長を視座に置いて、政治の介在を低下させていることが求められる。こうした結論は、平成における強い反省に基づく認識である。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生