これまで、事業承継といえば、養子を含む子供などの親族に承継させる親族内承継や、有力な従業員に承継させるのが一般的であった。しかし少子高齢化や産業構造の変化を背景として中小企業のなかには、光る強みがあるにもかかわらず後継者難によりやむを得ず廃業していくケースが後をたたない。収益を上げられない会社や借金でどうにもならない会社は、廃業の憂き目にあってもやむをえない側面もある。
しかしそうでもないのに廃業を余儀なくされるのは非常にもったいない。そこで本記事では事業継承の一つとして経営者が考えておきたいM&Aについて解説する。
事業承継にM&Aを選択する経営者が増加傾向
近年は事業承継を検討する際に「M&Aにより第三者に売却する」という方法が脚光を浴びている。帝国データバンクの「全国『後継者不在企業』動向調査(2018年)」によると2018年度の後継者不在率は66.4%であった。中小企業が後継者不足で悩まされている実態がよく分かる結果だ。そこで親族や従業員を後継者とすることが困難な場合、「M&Aを活用する」という経営者が増えている。
しかしM&Aによる事業承継にはリスクもあり万能な方法ではない。そのためM&Aの流れやメリット、デメリットについてしっかりと把握しておくことが必要だ。
M&Aによる事業承継の流れ
M&Aを実施する際の具体的な流れについて解説する。M&Aとは契約であるため極端な話になれば買う側と売る側で条件の合意がなされ契約が成立すればそれで完了だ。しかし実際は多くのプロセスを踏むことになる。経営者自身で同業者団体など売却先を探してくる事例もあるが、一般的にはM&Aの情報やノウハウをたくさん持っているM&Aのアドバイザリー業務を行っている会社と契約を結ぶことが多い。
契約を結んだら買主を募集するための匿名の提案資料(ノンネームシート)を作成する。会社の歴史や決算書、事業計画などをもとに作成していく。有望な買主候補が現れたら以下のような確認を行うことが必要だ。
・その候補に具体的な提案をしてもよいか
・企業名を明かしてもよいか
・重要書類を渡してもよいか
この確認を「ネームクリア」という。ネームクリアを行う必要がある理由は、「会社を売却しようとしている」といった情報が世間に出回ることで従業員が大量離職したり取引先が離反したりといったことが発生するからである。同時に買主側でもさまざまな手続きが行われている。まず具体的なM&A候補を探す前に自社の事業計画や強みなどから「どのような事業や企業を自社に取り入れていきたいか」といった戦略の立案を行う。
なぜならM&Aは時間もコストもかかるので、やみくもに買収をすればよいものではないからである。M&Aのアドバイザリー業務を行っている会社と契約を締結し、その会社から希望条件に近い会社について匿名で提案書(ノンネームシート)が提供。その提案書を見比べながら実際に交渉に入る会社を選定していく。
買主と同様、興味があれば決算書や企業名などが明かされ問題なければ交渉に入る。買主側も売主側も会社の選定が完了すれば、めでたくマッチングが成立するという仕組みだ。その後はトップ同士が面談を行い書類だけでは分からなかった双方の経営者の人格や社風、経営方針などを吟味したり、さまざまな疑問点をディスカッションしたりすることによって解決していく。
その際に売り手側に希望があれば伝える。この時点でしっかりと会社の今後についての希望を伝えておくことが必要だ。面談後、それぞれにM&Aを進める意思があれば細かい条件を整理していく。条件について合意が得られれば「基本合意契約書」を締結し、会計士や弁護士などによるデューデリジェンスが実施される。
デューデリジェンスは財務や法務の調査をすることで買収企業に隠れた問題がないか、事前にしっかりと調査しリスクを逓減するためのものだ。デューデリジェンスの後、問題も見つからずそれぞれの同意が得られれば「最終譲渡契約書」を締結し、めでたくM&Aが成立となる。
M&Aによる事業承継の具体的な3つの方法
具体的なM&Aの方法については、大きく分けると「株式譲渡」「事業譲渡」「会社分割」の3つだ。
株式譲渡
売り手側が所有する自社の株式を第三者に売却して会社の経営権を譲渡する方法である。会社の株主と経営者が変わるのみであるため、従業員や顧客との関係は変化せず社内のみで法的手続きが完結するため、手間がかからない。そのため中小企業のM&Aを活用した事業承継では最も活用されている。譲渡した側は、譲渡益のうち20.315%を所得税や住民税として納付することが必要だ。
事業譲渡
一部の事業またはすべての事業を売買するM&Aの手法だ。一部の事業のみを切り離して売買できる点から、株式譲渡に次いで中小企業の事業承継で用いられている。メリットとしては、買い手側が不要な資産や簿外債務を引き継ぐ必要がない点が挙げられる。しかし雇用関係や契約関係について個別に引き継ぎを行わなければならない可能性がある。
そのため他の方法に比べて手続きが煩雑になりがちだ。また売り手側の企業には、譲渡益について法人税が、課税資産の譲渡について消費税が課税される。仕組み上のれん代が大きいケースでは、支払う税金の額も大きくなるので注意しなければならない。のれん代が大きくなると予想される際には、他のM&A手法を活用したほうが税金を抑えられる。
会社分割
組織再編の際によく利用される手法であるが、M&Aでもよく利用される。事業譲渡と類似しているが、それとは異なり労働契約承継法で定められている手続きによって従業員との雇用関係をまとめて承継できるという点が大きなメリットだ。また会社分割は消費税が課税されないことになっていることも魅力の一つである。
他の承継方法と比較してのメリット、デメリットとは?
事業承継にM&Aを活用することのメリットは非常に大きい。まずM&Aでの事業承継の場合、買い手候補の企業や個人が多数存在するということだ。親族や従業員が頼りなかったとしても日本全国や世界中からふさわしい会社に買ってもらえる可能性がある。また他の事業承継と違い会社を有償で売却するため、「現在の経営者が創業者利潤を獲得できる」というのも大きなメリットだ。
後継者が不在の場合の選択肢としては、M&Aの他にも廃業という選択肢もある。しかし廃業の場合には、残務の処理費用は従業員の退職金、工場や事務所の除却費用など廃業するだけでもかなりの費用がかかる。売却した場合は、このような費用が一切かからない。そのうえ創業者利潤を得ることができるため、借金の返済や老後の生活資金への充当、別の新規事業の立ち上げにも活用できる。
また廃業の場合と異なり事業が継続されるため、これまで培ってきた技術やノウハウが無駄にならない。さらに従業員も新たな職を探す必要がなくなり取引先もこれまでの取引を継続できるので非常にメリットが大きいだろう。しかし事業承継にM&Aを活用するのはメリットだけではなくデメリットもある。どのようなデメリットに注意する必要があるのだろうか。
まずM&Aは、一時的であれ「時間とコストがかかる」ということに留意が必要だ。M&Aは最低半年、長ければ1年以上はかかるなど一定の期間がどうしてもかかってしまう。また交渉の進捗状況によっては、商談が白紙になってしまうことも少なくない。さらに手続きにかかる費用や仲介業者への報酬の支払いなど「大きな出費を伴う」という点も留意しておくことが必要だ。
M&Aによる事業承継の落とし穴
M&Aによる事業承継は、他の承継方法とは異なり経営者の理想と違った形になってしまうことも珍しくない。M&Aはまったく別の第三者に会社や事業を譲渡することになるため、以前までの経営者の理念や方針からは大きく方針転換されてしまうことがある。まったく別の会社の傘下に収まることにより企業文化が変わり従業員が流出することもあるだろう。
そうすれば経営者が築き上げてきた企業のブランド価値が大きくき損されてしまうことにもなりかねない。そのため自社や事業を売却する相手は、慎重に選んでいくことが必要だ。そのような事態を防ぐためにいくつか注意しておかなければならないことがある。まずは、適切なタイミングで決断し適切な時間をかけていくということだ。
自分の親族や従業員に事業承継をしていく場合に比べてM&Aを活用して事業承継をする際には非常に多くの時間がかかる。その交渉だけで数年の時間を費やしてしまい、いざ妥結した後に十分な引き継ぎができなかったということもゼロではない。そのため早めに事業承継の準備を進めておくことが必要である。
またタイミングを逃してしまい業績が悪化しているタイミングでM&Aを実施すると売却価格が不当に低くなってしまい損をしてしまうこともあるだろう。交渉自体にも時間をかけすぎると経営者が病気になったり亡くなったりしてM&A自体ができなくなる可能性もある。そのためきちんとスピード感をもって早めに決断していくことが肝要だ。
M&Aで事業承継を行う際は事前の準備を専門家と
M&Aによる事業承継の場合には、その前に企業価値を高めていく「磨き上げ」が必要不可欠となる。ブランド力やノウハウ、技術力、特許権などの目に見えない資産の強化を行うことも重要だ。また滞留在庫や、き損している資産を処分したり役員借入金を清算したりするなど抱えている法的なトラブルを解消することで買いやすい会社にしておくことが望まれる。
これらは、一朝一夕にできるものではないため、できるだけ早い段階から専門家のアドバイスを受けて磨き上げを行っていくことが望ましい。これらができておらず納得できる形で売却がまとまらないことが非常に多いため、しっかりと基本事項を押さえておこう。(提供:THE OWNER)
文・公認会計士 内山瑛