貧困・差別問題に挑む~日本発の次世代ビジネス
東京駅の地下街にある革製品の「ビジネスレザーファクトリー」八重洲店。全国に18店舗と急拡大中だ。
イタリアの高級ブランドも使っている上質な本革のトートバッグは1万6498円。スリムビジネスバッグは内側の縫製もしっかりしていて1万5398円。シンプルなデザインで手頃な値段のビジネスマンの必需品が並んでいる。ウィングチップの凝ったビジネスシューズも1万998円だ。
革製品だけで13億円を売り上げるこのブランドを仕掛けているのがボーダレス・ジャパンというベンチャー企業だ。
人気の革製品はバングラデシュで作っている。10人に1人が1日200円以下で暮らすアジア最貧国の一つだ。ボーダレス・ジャパンの工場で働くのは、シングルマザーなどの貧困層の人たち。貧しい人たちを雇用するために造られた工場で、840人を雇用する。ボーダレス・ジャパンは「ビジネスでさまざまな社会問題を解決しよう」という会社だ。
問題に取り組むビジネスはミャンマーでも。山間部で昔から栽培されているのは葉巻きたばこになる葉。1本5円ほどで売られているが、農家は厳しい。1年かけて育てても年収は数万円。中には数千円という人もいて、借金から土地を奪われることもある。
農家の貧困は、ある社会問題を生んでいた。人里離れた山の中で隠れるように栽培していた植物はケシ。ミャンマーは世界で2番目の生産国で、花の中の実がアヘンになる。
ボーダレス・ジャパンの創業社長、田口一成(39)は10年前、ミャンマーの農家の貧困問題を解決しようと、現地の貧しい葉タバコの農家とともにビジネスを始めた。
村の3分の1に当たる農家が、田口の依頼を受け、ハーブの栽培を始めた。農薬を使わないレモングラスやペパーミントなど10種類。ハーブは3ヵ月で収穫でき、早く現金化できる。田口はこれを適正価格で全て買い上げ、結果、農家の収入は以前の3倍になったという。今、この村では、ケシを栽培する人は一人もいなくなった。
ミャンマーで作ったハーブは年間7億円を売り上げるヒット商品になっている。妊娠中や授乳中の女性はコーヒーなどカフェイン入りの飲料を避ける。そうした人たちでも安心して飲めるハーブティー「ミルクアップブレンド」(1999円)を専門家と一緒にブレンドして作ったのだ。
世界の社会問題と向き合ってきた田口だが、その姿勢を「貧しい人を見つけて『やってあげる』というスタンスは一切ないです。あくまでお互いさま。僕らも頑張るし、農家も頑張る。ビジネスだから持続性のある取り組みにつながっていく」と説明する。
入社希望者が殺到~やりがい1万倍の株式会社
ボーダレス・ジャパンの国内拠点の一つは福岡に。朝9時、年季の入った自転車で田口がやってきた。会社では夜、節電のために電話線を抜いて帰る。
「これでどれだけエネルギー削減になるか分からないですが、大きい小さいではなく、できることは全部やる」(田口)
今や年商54億円。田口は去年、「世界を動かす日本人50」(日経ビジネス)の1人にも選ばれた注目の経営者なのだ。
ボーダレス・ジャパンは会社としても独特の形態をとっている。事業を立ち上げた人が社長を務める。つまり、新しい事業を立ち上げる時に新しい会社まで作ってしまう。その事業数は今や35になった。
「やりたいことがやれる」と、大手企業から転職してきた人も多い。元イオングループの伊藤綾は「控えめに言って最高です」と言う。イケア、アマゾンと外資系を渡り歩いてきた河原木里遊は「(年収は)前職に比べると半分以下になりましたが、やりがいを比べると1万倍ぐらい高い」と言う。
太田真之はコストコで副店長を任されていたが、半年前に転職し、事業会社の代表となった。「やはりサラリーマンでチャレンジできてないと、自分の中でモヤモヤしていた。転職は納得のいくチャレンジだと考えています」と言う。
太田がビジネスで解決しようとしているのは障害を抱える人の就労問題だ。障害者が働こうと思っても求人は少なく、金銭面の待遇も良くないことが多い。だが、太田は障害者も分け隔てなく正社員として初任給20万円で雇用。しかも技術が上がれば、昇給もある。
株式会社なのに社会貢献ができると、大阪で開かれた会社説明会には有名校の学生が詰めかけていた。ある女子大生は「同志社なら『大企業に入れる』『もっと給料がもらえる』とよく言われますが、それでも行きたいです」と言う。
若者が就職先に求めるものが以前とは変わってきている。別の学生に、就職先を選ぶのに大切にしていることは何か聞いてみると、「やりたいことができる環境。高校生の時から貧困問題に興味があって、同じ志を持つ人と仕事がしたい」と答えた。
こうした学生たちにとって田口は憧れの存在。田口の元に人生を賭けたいとやってくる。
「理想論だ、きれい事だと言われますが、大人が理想論を言わないでどうする、と。現実の話ばかりしていても、何のために生きているのか。理想に向けて努力をする。大いにきれい事を言わないとダメですよ」(田口)
課題解決を仕事にする~異色ベンチャーの挑戦
社会貢献に取り組む会社は他にもあるが、田口のやり方は独特だ。
学生時代はスポーツに熱中し、社会貢献とは無縁だった。しかし、ドキュメンタリー番組で飢餓からお腹を膨らませた子供を見て衝撃を受けた。
「何百年もかけて解決できていない問題。微力かもしれないけど、やらないよりやったほうがいい」(田口)
「自分も何かしたい」と途上国で活動するNGOを回った。しかし、そこで言われたのが「本当に貧困問題を解決したいのならNGOには来ない方がいい」。NGOは資金面で厳しく、貧困問題を解決したいのなら寄付する側になれと諭されたのだ。
そこで田口は会社を作って稼ぎ、寄付をしようと決意。25歳でボーダレス・ジャパンを創業した。手がけたのは社会問題とは関係のない不動産の仲介サイト。売り上げの1%を寄付することにした。寝る間も惜しんで働いたが、1年後に寄付できたのは7万円。貧困問題の解決にはほど遠いと感じた。
悶々とする中で転機が訪れる。当時、外国人がアパートなどを借りられず、問題となっていた。外国人というだけで不当な差別を受けていたのだ。そこで田口は2008年、部屋を借りにくい外国人のためにシェアハウスを作った。
東京・大田区。2年前にインドから来たデバシス・プリティッシュさんの部屋の家賃は光熱費込みで8万円。シェアハウスを作って12年になるが、外国人が日本で部屋を借りるのは今も難しいと言う。
困っている外国人を助けながら、ビジネスとしても、シェアハウス事業の売上高は約8億円と大成功。この経験を通して田口は気付く。
「ビジネスはお金を稼ぐ手段だと思っていましたが、ビジネスで社会課題も解決できる。自分の中でモヤモヤしていたことが解決されました」(田口)
この成功をきっかけに、ビジネスで社会問題を解決するやり方に舵を切り、さまざまな事業を立ち上げていく。しかし、一人で事業を増やしていく中で大きな壁を感じるようになる。
「このまま僕が1人で事業を立ち上げていっても、1事業に1年ぐらいかかる。30事業しか作れない。大した結果にならないと思いました」(田口)
そこで田口は、もっと多くの事業を生み出そうとある仕組みを考え出す。まず、複数の事業会社からでた利益の一部を共通のポケットにストック。その中から1500万円を出資して新会社をどんどん作る、というやり方だ。
ただしハードルは高い。新事業を立ち上げたい人は全事業社長の前でプレゼンし、全員の賛成を取り付けなければならない。
こんな方法で去年は13社が生まれた。だが、全ての事業が上手くいっているわけではない。3年前に宮崎・新富町で「みらい畑」を起業した石川美里も苦しんでいる1人だ。
石川が解決しようとしているのは全国的に増え続けている耕作放棄地の問題。一度荒れると農地に戻すのは難しくなる。そこで再生出来る土地を使ってホウレンソウなどのオーガニック野菜を作り始めた。
しかし、去年は成功したが、今年は害虫にやられ、ホウレンソウは9割以上が出荷できなかった。経営状態はまさに崖っぷち。これまでボーダレス・ジャパンから追加出資も含め2300万円を出してもらったが、残りはわずか21万円余りになった。
追い詰められた石川の元を田口が訪ねてきた。「このままでは事業として成立していない」と言う石川は、もう絶対に失敗できないから農薬を使うべきなのではないかと相談した。すると田口は「社会のためにやっている事業が、生き延びるために普通の事業に変わったら、生き延びてもいい挑戦ではない」と言い、さらに追加融資を検討するというのだ。
「やめたら回収ゼロ。やめなかったらいつかは回収できる。もちろん可能性がない事業はやってはいけないが、可能性があると思っているので」(田口)
若手起業家を続々輩出~自己満足男が驚きの大変貌
田口の元で鍛えられ、大きな成長を遂げる若者もいる。
4年前、犬井智朗はある企画をプレゼンしていた。ミャンマーの少数民族カレン族を、お土産屋さんを作って支援しようというのだ。竹炭せっけんなどさまざまな商品を作ろうというプランだったが、「自己満足」「行動力だけではダメ。頭を使って」といった言葉とともに却下された。
あれから4年。犬井は今、ミャンマーの片田舎で暮らしている。犬井は1年前、現地の女性と結婚。1ヵ月前に子供も生まれた。住んでいるのは奥さんの実家だ。
しかし仕事の方では2年前に企画を通し、事業会社の社長となった。犬井が起こしたビジネスは、肥料や種を適正価格で販売する「農家のためのコンビニ」だ。へき地のため、これまではブローカーが法外な値段で売っていた物を買うしかなかったという。
農家たちに喜んでもらいながら店を黒字にしていく工夫もした。その一つが農業大学を出た現地スタッフの採用。商品を売りながら農業技術のアドバイスも行っている。「この店ができて収穫量が3割も増えた」などと好評だ。
「もう自己満足じゃないぞ、と(笑)。今を見てくれと」(犬井)
ある農家が犬井に何かを手渡していた。結婚式の招待状だ。犬井に是非、来て欲しいと言うのだ。
「家族と思ってもらえて、うれしいです」(犬井)
~村上龍の編集後記~
「誰もが明日も生きたいと思う社会に」「全ての子ども達が自らの手で明日を描ける社会を」「世界中の人がチャレンジできる社会に」「すべての人に希望とワクワクを」
ボーダレスに集まる人々は本気でそんなことを思っている。総じて若い。田口さんと話しても、微妙な違和感が残ったが、世代の違いとはそういうものだ。
「世界から貧困をなくす」ために働くが、自分たちはごく普通でいい。社会起業家のプラットフォームができている。彼らは具体的に、少しずつ前進するだろう。その前進には価値がある、とわたしは思う。
<出演者略歴>
田口一成(たぐち・かずなり)1980年、福岡県生まれ。2003年、早稲田大学商学部卒業後、ミスミ入社。2006年、ボーダレス・ジャパン設立
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