カンブリア宮殿,パナソニック
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便利商品で暮らしを変えた~パナソニック栄光と危機

大阪駅に隣接する「グランフロント大阪」のパナソニックの人気施設にあるのは「憧れの生活」を形にしたさまざまなモデルルームだ。海が見える場所での暮らしをイメージした「海が見える家でプチ隠居」に、趣味に夢中になる家族が住む「家族の夢中を応援する家」、女性向けの「ホームエステで夢心地」なんてものもある。

室内を飾るのがパナソニックの商品だ。ここは最新の商品を紹介する「快適な暮らし」がテーマのショールーム。「楽で快適に過ごせる暮らしの提案をしています」(パナソニックセンター大阪・村上一哉)という。

パナソニックには、客の心をつかむ使い心地を実現するための知られざる技術がある。

大阪・門真市の本社にあるプロダクト解析センターで行っていたのは掃除機の研究開発。画面には、使っている人の体への負荷の度合いが表示される。体の動きを記録したデータベースから人体へのさまざまな影響を可視化する、デジタルヒューマンという技術。

「使いやすい家電づくりに生かすのが目的です」(プロダクト解析センター部長・小川哲史)

この技術を武器に、パナソニックは楽で使いやすい家電製品を生み出している。

1918年に松下幸之助が創業したパナソニック。その歴史はまさに日本の家電の歴史だ。1927年、贅沢品だったアイロンを手の届く価格にして発売。今や必需品のドライヤー(1937年)に電気シェーバー(1955年)、業界初のカラーテレビを売り出した(1960年)のも、日本初の卓上型食洗機を作った(1968年)のも幸之助だ。膨大な数の家電製品を生み出し、大量生産の低価格で一気に普及させた。

だが2000年以降、アジアの新興メーカーの攻勢に晒され、厳しい戦いへ。2008年にはリーマンショックで巨額赤字に転落。以来10年以上、業績低迷にあえいできた。

不採算部門から次々に撤退、大量のリストラも断行した。在任8年になる社長・津賀一宏の危機感は強い。

「大きなパナソニックが、これからも発展を続けられる状況でないというのは明らかです。もっと新しい『掛け算』が必要なんです」

その津賀が改革のため呼び寄せたのが、専務の樋口泰行だ。

「パナソニックはどちらかというと古い体質のところがあります。社外を経験したフレッシュな目で変え、変革をリードしていただく。それが最大の期待でお願いしました」(津賀)

樋口は新卒で松下電器(現パナソニック)に入社。その後、世界の名だたるコンピューター会社を渡り歩き、日本マイクロソフトのトップまで務めた。そんな経歴を買われ、呼び戻されたのだ。

「日本は中国、韓国、台湾というアジア勢と戦ってきて、結局追いつかれてきている。どこで戦うかを間違えると努力が報われない。賢く戦うところを定めないといけない」(樋口)

樋口が任されるのは、パナソニックの中にある家電や住宅など主力カンパニーのうちの1つ、コネクティッドソリューションズ。企業向けの製品を手がける年商1兆1000億円の部隊だ。

企業向けとはいえ身近なものも多い。たとえば飛行機のモニターテレビの機内エンターテインメントシステム。機内の映像システムをモニターから操作するソフトまで丸ごと作りトップシェアを占める。現在、パナソニックのシステムを使う飛行機は1万4000機。総額2500億円を売り上げている。そんな専門的な映像機器から、法人向けパソコン、監視カメラなど、さまざまな商品を扱っている。

カンブリア宮殿,パナソニック
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パナソニックを変える~続々発覚!衝撃の風景

カンブリア宮殿,パナソニック
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25年ぶりに大阪の本拠地に戻った樋口は、驚くべき光景を目にした。毎週一度、巻物を取り出し、若い頃に自分もやった幸之助の理念の唱和を、変わらず行っていたのだ。樋口は徹底的な改革の断行を決意する。

改革1「“社内向け”仕事を捨てろ」

まず行ったのは、大阪から顧客企業の多い東京への本拠地移転。社内では理念の唱和は廃止し、スーツが当たり前だった服装も自由にした。

以前は、社員とコミュニケーションがとりにくかったという。

「16畳ぐらいの社長室があり、出たら秘書のカウンターがあって、それがバリケードみたいになっている。通過しようとすると『アポはありますか』みたいな雰囲気でした」(樋口)

さらに、ある習慣にも驚いた。

「ミーティングルームに入って座ったら、案内係までいて『そこじゃなくて、座席表によるとここです』と。最初に質問したのは『座席表を作るのに何分かかった?』。売り上げにも利益にも顧客満足度にも通じない仕事が目立った」(樋口)

樋口は毎週の報告書作りも廃止するなど、無駄な社内向けの仕事を徹底的に削減した。

改革2「客の現場に深く入り込め」

埼玉・新座市にある配送センター「ヤマト運輸 埼京ベース店」。日々、首都圏から膨大な荷物が集まり、それを行き先別に仕分け、全国に送り出す拠点なのだが、ある悩みを抱えていた。「年々人が集まらなくなっているのに、インターネットショッピングで荷物が増えている」(副ベース長・平木大輔さん)というのだ。

そんな悩める配送現場の一角に小さな部屋を構えるのが、パナソニックの部隊。映像で現場を記録し、仕分けの問題点を議論していた。スタッフをいかに効率的に配置するか。ヤマトからの依頼で現場を分析している。「週のうち半分以上はここに詰めています」(現場プロセス本部・安達原浩)と言う。

使うのはもちろんパナソニックの技術。配送センター内に50台を超えるカメラやアンテナを設置。作業員のヘルメットの受信機と連動させることで効率の悪い動きを見つけ出し、無駄を削減する。現場に入り込むからこそ細かい改善が可能なのだ。

「労働力を確保するのが難しい時代に、アナログな部分をどう論理的なオペレーションに変えていくか。一緒になって手を動かして、期待を上回る取り組みをしていただいていると思います」(ヤマトホールディングス・長尾裕社長)

時間はできる限り顧客のために使う。それが樋口改革の最重要ポイントなのだ。

改革3「商品ではなく解決策を売れ」

中国に本拠地を置く世界的な外食チェーン「海底撈」。ロボットで料理を運ぶ火鍋レストランだ。ここの自慢がずらりと並んだパナソニックのロボットアーム。注文が入った火鍋用の食材を全自動で効率よく、しかも清潔に厨房から運び出す。人手不足の悩みを聞き、樋口たちが開発したものだ。

現場の困りごとの解決は、コンビニでも。去年、ファミリーマートと開発した次世代のコンビニを見据えたシステムがそれだ。客の動きを数十台のカメラとセンサーで捉え、商品の補充情報などをリアルタイムで店員に知らせてくれる。

単に商品を売るのではなく、持てる技術で現場のあらゆる悩みを解決する。それが樋口が新たに仕掛けるビジネスなのだ。

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技術者→世界企業のトップ~なぜ幸之助は尊敬されるのか

松下幸之助を知らない世代が増えている。

東京名物の「雷門」。実は1865年江戸末期に消失して更地に、100年ほど存在しなかった。1960年、巨額の資金を出して再建したのが幸之助だった。

大阪駅前で誰もが知る、駅と百貨店を結ぶ大きな歩道橋「梅田新歩道橋」。これも1964年、交通事故が起きないようにと、幸之助が寄付を申し出て建設されたものだ。

企業は社会の公器。そんな幸之助の理念は、鳥取・米子の老舗ホテル「東光園」にも伝説を残していた。1960年代、宿泊した幸之助は、接客した仲居さんに願いごとをされる。「米子は若者が働く場所が少ない。働く場所を作っていただけないか」(支配人・石尾健太郎さん)というのだ。

それについての、松下幸之助のインタビューが残っていた。

「あちこちで頼まれることがあるんです。知事さんなどが頼んでくることが多いが、その時は仲居さんが真剣に『工場を持ってきてください』と。非常に感銘したんです」

幸之助は実際に1972年、工場を建設。その後、日本中へ生産拠点を広げていく。そんな経営で幸之助は日本最大の家電メーカーを作り上げていった。

「食堂の前にベンチがあって、樋口さんはそこに座って英字新聞を読んでいました。そのころから英語を勉強している変わった人でした」(経営企画室・後藤康宏)

1980年、一人の若者が入社してきた。配属されたのは、工場などで使われる溶接機を作る部門。樋口はその設計をする技術者だった。英語の勉強に燃えていたのには理由がある。それが当時、仕事で出会ったアメリカIBMの技術者だった。

「憧れました。IBMの名刺自体に憧れた。ミーティングの進め方とか、いろいろなことが違うし、カルチャーショックを受けました」(樋口)

31歳の時、社内留学で念願のハーバードへ留学。MBAをとった樋口は、翌年、松下電器を退職、外資系コンサル企業へ転職する。その後、世界的に存在感を増し始めたアップルなどで働き、2003年には45歳の若さで日本ヒューレット・パッカードの社長に抜擢される。2005年には経営再建中のダイエー社長として食品部門の改革などに尽力する。そしてその後、日本マイクロソフトのトップにまで迎え入れられる。

躍進を遂げる外資系の裏でかつての王者は苦しみ始めていた。2008年、松下の名を捨て社名をパナソニックに。世界的な競争の中で、いつしか幸之助の理念が薄れていった。

しかし、海外を回り、古巣に戻った樋口は思わぬ経験をする。取引先の中国人経営者との会合で、樋口が「予想より社内コストがかかった」と値上げを依頼すると、「それは水道の水のようにいいものを安く作るべき、という幸之助の『水道哲学』に反してないか」と言われたのだ。

「社内向けの仕事にすごくコストがかかっていて、そのコストを製品の価格に転嫁するのは水道哲学に反している、と。頭を叩かれたような感じでした」(樋口)

樋口が驚いたのは、世界で幸之助の哲学を学ぶ経営者の多さだった。

「世界中でどれだけ多くの人が創業者の本を読んでいるか。すごいことだと思います。『ではこの哲学を今にあてはめたら君はどうなるんだ』と。それを考えないといけないと思うんです」(樋口)

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がん治療を激変させる?~ものづくり100年の現場

今、引っ張りだこなのが、リオオリンピックでも使われたプロジェクションマッピング技術。100台以上のプロジェクターを駆使し、まるで現実のような映像を作り上げる。

通常は人を楽しませるためのものなのだが、樋口たちはその技術で医療現場の悩みを解決していた。肝臓癌などの手術向けに開発された「リアルタイムナビゲーション手術システム」(京都大学、三鷹光器、パナソニックが共同開発)だ。

従来は、肝臓に流し込んだ造影剤を赤外線カメラの映像で確認しながら切除する部分を特定していたのだが、「直接患部を見て、モニターを見てという視線の移動が非常に複雑で、ドクターの負担になっていました」(三鷹光器・中村勝之さん)。

その悩みを解決したのがパナソニックの最新技術。プロジェクションマッピングに対象を追いかける機能を加え、肝臓が動いても正確に映し続ける。持てる技術で医者たちの長年の悩みを解消、世界初の製品を生み出したのだ。

実はパナソニックには、技術の宝庫とも呼べる場所がある。それが、長年自分たちの商品を作ってきた現場だ。

例えばパソコン「レッツノート」を製造する神戸工場。猛スピードで動くのは、小さなチップを基盤に乗せるマシン。パソコンを作るために開発した。この社内向けのマシンを他社にも販売し、大きな売り上げを上げている。自分たちのものづくりに使うさまざまな技術が、売り物になっているのだ。

クロネコヤマトの配送センターで効率化を進めていた技術も、パナソニックが自社の物流倉庫で開発したものだ。大阪・茨木氏の彩都パーツセンターは、天井に沢山のカメラが取り付けられ、常にスタッフの動きを記録している。それをパナソニックの技術で画像解析にかけると、全ての人の動きの中から、もっとも無駄な動きをはじき出すことができる。 「我々も物流現場を持っているので、その課題解決のノウハウを他の業界にも展開していこうと」(現場プロセス本部・一力知一)

樋口が展開する企業の悩みを解決するビジネスは、パナソニックが100年で培った現場の技術が支えている。

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ベンチャーだった幸之助~年商8兆円の生き残り方

社長の津賀が、小さな家の模型を見せてくれた。松下幸之助がわずか3人で商品を作り始めた住居兼工場だ。津賀は、今必要なのは創業した頃のようなベンチャー精神だという。

「大きな会社が全部ベンチャー精神を持つことはできないですが、ベンチャーと距離が遠い存在になってしまうと時代の変化に生き残っていけない。時代が変化するからベンチャーのビジネスチャンスが生まれるのですから」(津賀)

時代の激変から生き残るべく、巨大企業となったパナソニックで走り続けている樋口だが、かつて、それ以上の危機感を持つ男がいた。1961年の経営方針発表会で、松下幸之助はこう述べている。

「『この会社は大きいから大丈夫』と思って入社した人ばかり集まったら、この会社は潰れてしまいます。社員の仕事の本領は『商売人』です。その商売人の姿がなくなってしまっている。いわば烏合の衆が集まっている。失われつつある産業人としての使命を、我々は再認識しようではありませんか」

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~村上龍の編集後記~

最近、危機らしい。売り上げが停滞し、資源配分と決断ができていない、など。わたしは皮肉ではなく、今もすごい会社だと思う。27万人の従業員とその家族を養っているだけでもすごい。

樋口氏は、そのパナソニックのコネクティッドソリューションズというカンパニーを率いる。BtoB部門をまとめているというが、具体的に何をしているのかわからない。

樋口氏は、最初の入社後、溶接機事業部にいた。作業着で、粉塵まみれで特許を6個取得した。わかりやすい。今、パナソニックに必要なのは、そのわかりやすさではないだろうか。

<出演者略歴>
樋口泰行(ひぐち・やすゆき)1957年、兵庫県生まれ。1980年、大阪大学工学部卒業後、松下電器産業入社。1991年、在職中にハーバード経営大学院卒業。1992年、ボストンコンサルティングへ転職。アップルなどを経て2003年、日本HP社長就任。2005年、ダイエー社長就任。2008年、日本マイクロソフト社長。2017年、パナソニック専務就任。

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