韓国政府、ポストコロナ対策として「国民皆雇用保険制度」の導入に意欲
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で雇用情勢が悪化する中、韓国では全ての就業者に雇用保険を適用する「国民皆雇用保険制度」の導入に関する動きが活発に行われている。2017年の大統領選挙の公約として雇用保険制度の対象拡大を挙げていた文在寅大統領は、就任から3年目を迎えた5月10日に行った特別演説で、「全ての就業者に雇用保険が適用される基盤を作る…雇用保険制度に加入していない低賃金非正規労働者の雇用保険制度への加入を迅速に推進し、特殊雇用職従事者(1)、ギグワーカー(gig worker)、フリーランス、芸術家等が直面している雇用保険の死角地帯を早く解消する」と国民皆雇用保険制度の実現に向け、「段階的」に取り組む姿勢を表明した。その後5月11日に李載甲(イ・ジェガプ)雇用労働部長官は、「今年中に関連法を改正して特殊雇用職従事者やギグワーカー、フリーランス、芸術家等が来年から雇用保険の恩恵を受けられるようにする」と明らかにした。
しかしながら、同日開催された国会の環境労働委員会では、特例条項として芸術人だけを雇用保険の適用対象に含まれることが決められた。その結果、2018年11月に発議された雇用保険法改正案に含まれていた運転代行業に従事する運転手や貨物自動車の運転手、保険外交員、放課後教室(日本の学童保育に当たる)の講師等いわゆる「特殊雇用職従事者」や、インターネットのプラットフォームを通じて単発の仕事を依頼したり請け負ったりする「ギグワーカー」は対象から外れ、次の国会での成立を待たなければならなくなった。
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(1)特殊雇用職従事者とは、日本の「一人親方」に類似した概念で、独立した個人事業者でとして分類される。発注者から業務の指示を受けているという点では労働者に近いが、個人事業者なので労働関連法や企業の福利厚生制度が適用されない。
個人事業者なのに個人事業者の自律性がなく、労働者なのに労働者の権利がないのが特殊雇用従事者であると言える(イチョンチョル(2019)『カデギ』ボリ出版社)。
雇用保険制度の被保険者は労働力人口の半分以下
韓国における雇用保険制度の被保険者数は2020年3月現在1,378.2万人で、労働力人口の49.5%しか加入していない。日本の労働力人口の64.2%が雇用保険制度の被保険者であることに比べると、多くの就業者が雇用保険の恩恵を受けていないことが分かる。韓国の雇用保険の被保険者数が少ない最も大きな理由は、自営業者の割合が高いからである。韓国における自営業者の割合は2018年時点で25.1%でOECD加盟国の中で5番目に高く、日本の10.3%を大きく上回っている。
では、なぜ韓国における就業者に占める自営業者の割合は高いだろうか? その主な理由としては、定年が早かったことや公的年金が給付面において成熟していなかったことが挙げられる。まず、2016年に60歳定年が義務化(300人以下の中小企業は2017年から適用)される前までには、定年が定められておらず、多くの労働者は50代前半に会社を退職していた。一方、公的年金の受給開始年齢は60歳以降に設定されていたので、大半の退職者は生計維持のために再就職あるいは起業のうちのどちらかを選択せざるを得なかった。しかしながら韓国の転職市場はそれほど発達しておらず、特に中高年者が再就職することは容易ではなかった。また、50代に起業することは資本金やリスクの面でハードルが高かった。そこで、退職者の多くは、家族で簡単にできる食堂などの生計維持型自営業を選択することになったのだ。特に、フライドチキンの店の人気が高かった。相対的にかかる資本金が少なく、3日~5日程度体験をすれだけで開業するには十分であったからである。フライドチキンの店や食堂などの生計維持型自営業を選択した多くの人は、「売れなかった残りものは家族で食べればいい、60歳まで頑張れば高額ではないが公的年金ももらえるので何とか生活はできるだろう」というシンプルでポジティブな考えで店舗をオープンしたのだろう。しかしながら、世の中はそんなに甘くなかった。ソウル市の調査によると2019年現在の自営業者の5年存続率は、25.7%に過ぎない。このように自営業者の存続率が低いのは、特定分野にお店が集中しており、供給が需要を上回っているからである。KB金融持主研究所の報告書によると、韓国の2019年2月時点のフライドチキンの店の店舗数は約8万7千店に達する。これは日本のコンビニ数5万5620店(2019年12月末)を大きく上回る数値である。平均的に4店舗のうち3店舗がつぶれて、彼らのほとんどが失業者に転落した。しかしながら、失業者になっても雇用保険に加入していないので失業給付などが利用できない。残るのは、お店をオープンするために金融機関などから借りた借金のみである。
自営業者は任意で雇用保険への加入が可能
韓国政府は、自営業者の再就職や生活を支援する目的で、2012年から自営業者も任意的に雇用保険制度に加入することを許可している。自営業者が雇用保険制度に加入すると、雇用者と同じく雇用安定事業、職業能力開発事業、失業給付による支援が受けられる。加入対象は、従業員がいないか従業員数が50人未満である事業主で、保険料率は2.25%と労働者の保険率1.6%(失業給付に対する保険料率、労働者0.8%、事業主0.8%)に比べて高く設定されている。保険料は、雇用労働部長官が告示する7等級の「基準報酬」のうち、自営業者自らが選択した基準報酬に保険料率をかけて計算する。失業給付を受給するためには、原則として1年以上の被保険者期間が必要で、廃業日から遡って6カ月間赤字が続いたこと、廃業日から遡って3カ月間の平均売上が前年の同じ期間に比べて20%以上減少したこと等の要件を満たす必要がある。この条件をクリアすると、選択した基準報酬の6割に該当する金額が失業給付として支給される。
さらに、政府や自治体は、零細自営業者に対して雇用保険の保険料を助成する制度をスタートした。中小企業ベンチャー部は2018年から、従業員がいない自営業者のうち、「基準報酬」が1~4等級に該当する者に対して、保険料の30%~50%(1,2等級は50%、3,4等級は30%)を助成する制度を実施している。また、ソウル市も2019年から従業員がいない自営業者の雇用保険料を30%助成(最大3年間)する制度をスタートし、段階的に対象者を拡大している(2019年4千人、2020年8千人、2021年1万3千人、2020年2万人)。このように、ソウル市で自営業を営んでいる従業員がいない自営業者の場合、中小企業ベンチャー部の助成制度とソウル市の助成制度を合わせて、最大80%まで保険料の助成が受けられる。
しかしながら、このような助成制度が実施されているにもかかわらず、2020年3月現在の自営業者の雇用保険制度の加入者数は24,731人で自営業者の0.2%に留まっている。なぜ、自営業者は雇用保険制度に加入していないのだろうか?その理由としては、まずは保険料に対する負担が大きいことが考えられるが、それより大きな理由としては雇用保険制度に加入することにより所得と財産が漏出されることを嫌がっている点が挙げられる。つまり、所得や財産等が把握されると、雇用保険以外にも公的医療保険、国民年金、労災保険のような公的社会保険制度にも加入する義務が発生するからである。
■多様な働き方に合わせた多様なセーフティーネットの実施を
新型コロナウイルスの影響により、今後経済状況はさらに悪化すると予想される。失業者は増え、自営業者の廃業も増加するだろう。暫くの間このような状況が続くことを考えると、韓国政府が推進しようとする「国民皆雇用保険制度」は、国によるセーフティーネットを強化するという側面からは議論する価値はあると考えられる。
雇用保険制度を含む社会保障制度の対象を拡大しようとする動きは、韓国だけではなく世界的に広がっている。短時間労働者、フリーランス、ギグワーカーのような、不安定労働が増えているからである。彼らに対するセーフティーネットを強化することは確かに重要であるものの、実施するまでに解決すべき課題は多い。まず、雇用者と同様に既存のセーフティーネットを自営業者やギグワーカーなどに適用するためには、彼らに対する所得捕捉率を高める必要がある。特に、ギグワーカーは一国に限らず多国に渡り働く可能性が高い。従って、今後ギグワーカーに対する対応は、一国だけではなく多国間で議論される必要性が高まる見込みが高い。また、自営業者やギグワーカー等は雇用者に比べて仕事の量を調整したり、仕事をするかしないかを決める自由度が高く、モラルハザードが発生する恐れがある。自営業者やギグワーカー等と雇用者を同じ雇用保険制度の中で扱うことにより起きるであろう問題と、その解決策に対する議論を十分に行うべきである。さらに、今後、労働市場における働き方がより多様化していくことを予想すると、既存のセーフティーネットのみならず新しいセーフティーネットの導入を講ずる等、多様な働き方に合わせた多様なセーフティーネットの実施を慎重に考える必要があるだろう(2)。
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(2)キムギチャン(2020)「3年間29万ウォン納めて、436万ウォンもらう…自営業者の雇用保険が大変な理由」中央日報2020年5月12日を参考。
金 明中(きむ みょんじゅん)
ニッセイ基礎研究所 生活研究部 准主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任
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