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働く人を幸せに~苦境に負けない吉寿屋の戦略

大阪・心斎橋の商店街。2020年4月、外出自粛で7割ほど人が減り、多くの店がシャッターを下ろしていた。そんな中でも、それまで通り店を開けていたのが「お菓子のデパートよしや」心斎橋店だ。

1500種類の菓子を扱う専門店だが、店の売り上げは半減。だが、巣ごもりにはお菓子が必要だと、営業を続けていた。

来てくれた客には簡易マスクのプレゼント。客に喜んでもらうのはもちろんだが、これには別の意味もあるという。マスクを袋詰めしていたのはパートの従業員。こうして仕事を作って、シフトが減らないようにしている。

関西を中心に「おかしのデパートよしや」を99店舗展開する吉寿屋の年商は116億円。カンブリア宮殿に登場した2016年7月には、連日お客が詰めかけていた。創業者の神吉武司は「52年間、赤字は出したことがない」と言う。

商売繁盛の秘訣が早朝の本社にあるという。毎朝3時すぎ、神吉の弟で会長の秀次が一番乗りでやってくる。倉庫のお菓子の前に立つと「お菓子の皆さまおはようございます。今日も1日よろしくお願いします。ありがとうございます」。1日はお菓子への感謝から始まる。その後はメーカーから届いた段ボール箱を運び、中身を所定の位置に並べていく。

「1歩でも先にやる。人に負けるのは好きでないので」(秀次)

それから2時間後の午前5時、武司が現れ、やはりお菓子に感謝の言葉を。誰よりも朝早く来るのが商売繁盛の秘訣。二人で500個の段ボールを開ける。

「朝、早いところほど業績はいいような気がしますね」(武司)

朝の8時半。ここでようやくパートさんが出勤。神吉兄弟が並べておいたお菓子をピックアップしていく。こうしてピックアップしたお菓子は、他のスーパーやドラッグストアにも卸している。吉寿屋は菓子問屋でもあるのだ。

経営者として守り続けてきた信条もある。それが役員全員で唱和する「願う、従業者の幸福」という言葉だ。働く人を幸せに。神吉兄弟はこの信条を現実のものにするため、いろいろな制度を作ってきた。

例えば心斎橋店の山本浩之店長は、出勤前のサラリーマンを取り込むため、開店時間を9時から7時に早めて売り上げを3割も伸ばした。すると報奨金が500万円。山本店長は高級車を買った。「結果が出た分は報われる会社です。やりがいになっています」と言う。

一方、特別な成績を出していなくても、いいものがもらえることも。東淀川区・淡路店の小河純一郎店長は、あみだくじの景品として、金の延べ棒1キログラムをもらった。今なら時価で650万円。これが毎年あみだくじで当たるのだ。

摂津市の吉寿屋本社では、景品として炊飯器やテレビがもらえるじゃんけん大会も毎月行われているという。この日、テレビを勝ち取ったのは、10年以上パートで働いている濱崎良子。現在のテレビもファックスもじゃんけん大会の景品だったという。

さらに学費のかかる子供を持つ親のために、教育補助金として、子供一人に社員は月1万円、パートにも月5000円を出している。

「教育手当をする会社は他には無いので助かりました。楽しくて他社に移ることは考えなかったら18年たちました」(パート従業員・伊藤康恵)

従業員に大盤振る舞いする吉寿屋。その額は年間7000万円にもなる。それでも経営は成り立つと、武司は言う。利益の半分は税金。残りを3等分し、その一つ、利益全体からみれば6分の1をボーナスとは別に社員に還元。これがおよそ7000万円というわけだ。

「ほとんど社員が儲けたお金だから、その利益を会社のお金と思うか、社員のお金と思うかの違いだけです」(武司)

創業から50年以上、吉寿屋はリストラも給与削減もない。

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コロナ不況だからこそ~社員へ感動のプレゼント

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2020年4月、吉寿屋本社。秀次(74)はこの日も朝3時過ぎに出社していた。

「スーパーさんは営業しており、そこに卸している。不況に強い。景気が良い時もたいしたことないが、安定している」(秀次)

卸し部門が好調で、全体では前年同様の売り上げを確保していた。

朝6時、続いて兄の武司がやってきた。79歳になった今も週に3日、出勤している。

武司が従業員を集めて始まったのは、「コロナに負けるなじゃんけん大会」。今回の景品は、ステイホームに役立つものをそろえた。魚沼産コシヒカリ、部屋の除菌ができる家電……。利益が出れば従業員に還元する姿勢は今も変わらない。

「節約も必要だけど、こういう時こそプレゼントすると、皆さんも喜ぶから」(武司)

じゃんけん大会とは別に全員に段ボール箱を手渡した。これは従業員を支えてくれる家族へのプレゼント。ポテトチップス、カップ麺などの食料品やマスクまである。

「手に入らないから助かります。大変なときに家族のことも思ってくれているのが大きい。そういうところで働けると安心です」(姫路御幸通り店・岸哲也店長の家族)

吉寿屋の思いやりは従業員だけにとどまらない。4年前に社長になった武司の息子・一寿が訪ねたのは、40年付き合いのある菓子メーカー「松岡製菓」。大阪で有名な「満月ポン」という煎餅を作っている。一寿はスイカを差し入れ。厳しいご時世だからこそ、頑張っている仕入れ先へのプレゼントだ。

「小さい会社なのにお気遣いいただいて。足向けて眠れない」(松岡清徳社長)

続いて向かったのは、緊急事態のもとで営業している直営店、吹田市・南千里店。「頑張っているから、少しだけど」と言って、封筒を渡していく。「すごいです。10万円でした」と、新免真梨子店長。パートやアルバイトにも心尽くしの金一封を、総額は500万円になった。

神吉兄弟が作り上げた従業員を大切にする会社。その思いを象徴するのが武司の言葉だ。

「私が死んだら、焼香するのは社員が一番先。その次はお得意さんで、仕入れ先さんで、親族は一番後。それだけ親や親族より社員にお世話になっているから」

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焼き立てパンに客殺到~大人気メゾンカイザーはいま

東京・中央区の「コレド日本橋」。ここに、2018年9月、カンブリア宮殿で紹介した大人気のフランスパン専門店メゾンカイザーがある。

一番人気は「クロワッサン」(238円)。1日に1000個売れることもあるいう。表面はパリパリサクサク、中はモッチリ。噛んだ瞬間、バターの香りが口いっぱいに広がる。

「バゲットモンジュ」(303円)も看板商品、材料は小麦と水、塩だけなのに、その味は客が「日本のバゲットで一番おいしい」と言うほど。噛むほどにおいしさを感じる。

この人気のパン屋を作り上げたのが、ブーランジェリーエリックカイザージャポン社長・木村周一郎だ。

フランスパンの店で成功した木村だが、そのルーツはあんパンで有名な東京・銀座の「木村屋」にある。日本で初めてあんパンを作った「木村屋」。その7代目の後継ぎとして生まれた木村は幼いころから、のれんを守ることが宿命だった。ところが、木村が入社しようとした矢先の1997年、経営権を巡る争いが起き、父・周正が会社をやめてしまう。後を継ぐと信じていた木村は突然、進むべき道を失った。

「生まれて初めて目標がなくなった。喪失感しかなかったです」(木村)

その後、木村は30歳でフランスに渡る。「50年に一人」と評されるパン作りの天才、エリック・カイザーの店でフランスパンの製法を修行。そして2001年、日本でメゾンカイザーの高輪本店を出したのだ。

パリの店と同じやり方を守る木村。生地を発酵させる酵母も他の店とは違う。液体の天然酵母、ルヴァンリキッド。一般的に使われているのはイースト菌という1種類の菌だが、このルヴァンの中には3000種類もの菌が入っている。だからイースト菌に比べ複雑な味わいが生まれるのだ。

「イースト菌で作ったパンをピアノのソナタだとすると、ルヴァンは3000種類の楽器でつくったオーケストラのようなものです」(木村)

本場仕込みのフランスパンならきっと客は買ってくれるはず。ところが、木村のそんなもくろみは崩れ去る。実際にオープンしてみるとフランスパンは見向きもされず、看板商品のバゲットは1日14本しか売れなかった。

そんな状況をなんとかしようと、木村が始めたことがある。近くの交差点で焼きたてのバゲットを切り、道行く人にただで配ったのだ。食べた人たちは喜んでくれた。だが、買いに来てはくれない。それでも木村は、半年間配り続けた。

その年の12月24日、クリスマスイブに奇跡が起きる。閑古鳥の鳴いていた店に、突然客が。試食した人たちだった。特別な日は特別なものが食べたいと、やって来たのだ。

「半年間『おいしいですよ』と配って。味だけ覚えていてくださり、じゃあ行ってみようと集ってくださった。鳥肌が立ちましたね」(木村)

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売り上げは70%ダウン~起死回生の秘策に独占密着

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2020年4月、以前は行列ができていた日本橋のメゾンカイザーを訪ねると、緊急事態宣言を受けて休業していた。商業施設を中心に36店舗を展開していたが、半分以上が営業停止の事態に。売り上げは7割も落ち込んだ。窯の火はずっと消えたままだ。

「窯が冷めたのはオープンして以来。寂しいですね」(木村)

この最悪の事態を乗り切ろうと、木村は動き出す。毎月9000万円の人件費を手当てするため資金繰りに奔走。総額5億円を借り入れた。

このまま収束を待っているだけではいられない。休業中のベーカリーカフェ、メゾンカイザー池袋サンシャイン店の厨房を使って新たな挑戦を始めるという。

「収束を待たないで、巣ごもりしているお客さんのところに突っ込んで行く」(木村)

ルヴァンを使って作ったピザの宅配を始めるという。

「生地のスペシャリストとしてピザにアプローチする。耳までおいしいピザをうたっていこうと思います」(木村)

久しぶりに窯に火が入った。カイザーのフランスパンの生地だから、膨らみ方が半端ではない。他のピザ屋とは一線を画す、一味違う仕上がりを目指したという。

「全部に気泡が入って、口当たりの軽いピザになっています」(木村)

その後は従業員と一緒に街へ出て、チラシを配っていく。創業当時、味を知ってもらうためパンを配った時と同じやり方だ。

「お店に来られないなら迎えにいくのが創業時の営業姿勢。それを思い出してやっていきたいと思います」(木村)

店や雇用を守るためにはなりふり構っていられない。

5月5日、社運をかけた宅配事業がスタートした。久しぶりに仕事ができて、従業員も張り切っている。ピザは1枚1728円~(宅配料330円)。配達は自前で行うのは、休業中の店のスタッフに配達してもらうことで、彼らの雇用を守るのも狙いだ。熱々を届けるため、宅配範囲は店から1キロに絞った。さらに、ピザを頼めばフランスパンのセットも一緒に注文できる。6個入って1620円だ。

木村はその一方で、収束後に向けて新たなパン作りも模索していた。用意したのは大人気だったクロワッサンの生地。

「フランス人でも思い付かないのを作ろうと」(木村)

木村が目指すのは、クロワッサンを超える今までにないパン。優しく丸めた生地をカップに入れて焼き上げると、生地の中にカスタードクリームを注入。さらにざらめをまぶして炙っていく。「お客さんの前で炙って出すようにしたい」と言う

どんな苦境にあっても、木村はおいしいパンを追求していく。

「コロナも必ず収束する。現状維持のために足元を固めるのも重要だけど、冬が過ぎた後の春の準備はしなければいけないと思います。絶対諦めない」(木村)

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~村上龍の編集後記~

「お菓子の皆さん、おはようございます」と売り物のお菓子に向かって挨拶するお二人の映像は、何度見てもシュールだし、感動する。お二人は嘘偽りのない感謝とともに生きている。従業員への、客への、そして、お菓子への感謝。なぜ商売がうまくいくのか。早朝出勤、休日返上、人よりたくさん働く、それがすべてだ。

メゾンカイザーはとてもおいしいパンを焼くが、それだけで満足しない。客を捕まえに行く。狩猟民なのだ。パンは味だけではない、バゲットにできる気泡のような、何かが必要だ。その何かを常に探している。

<出演者略歴>
神吉武司(かみよし・たけし)1941年、徳島県生まれ。1956年、大阪の菓子メーカーに就職。1964年、弟の秀次と吉寿屋を創業。1986年、「お菓子のデパートよしや」開業。2016年、相談役に就任。

木村周一郎(きむら・しゅういちろう)1969年、東京都生まれ。1991年、慶應義塾大学を卒業、千代田生命保険入社。1997年、退社し米国立製パン研究所に入学。1999年、フランスのエリック・カイザーで修業。2000年、ブーランジェリーエリックカイザージャポン設立。

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