(本記事は、佐藤 秀氏の著書『格差は子ども社会において現れる!ああ格差社会』の中から一部を抜粋・編集しています)
お父さんがよく買うもの
地方の子
タバコか、お酒かな
都市部の子
本とか、趣味のものとか
都心の子
都心のマンション
「地方の子」の親が買っているものは、ほとんどの場合、タバコやお酒の類であり、それらは即ち「中毒品」である。中毒品といえば、実は、スマホだって、その類のものだろう。
そうやって考えると、人間に中毒を引き起こすようなもの(=中毒品)に支払う金額が、家計の支出に占める割合(以下、「毒され係数」)は、エンゲル係数と同様、地方の家庭ほど、それも貧しくなるほど、高くなるのではないかと思う(エンゲル係数とは支出に占める食費の割合のことであり、貧しい家庭ほど、これが高くなる)。
感覚でしかないが、「お酒をまったく飲まない」という人も、都心に行けば行くほど、多くなるような気がする。
更に言えば、未成年の喫煙率や飲酒率は、これまた地方に行けば行くほど、多くなるような気がするのだ。
タバコは体に悪いということがわかっているので、さすがに大人が子どもに勧めることはないが、地方では、大人が面白がって子どもにお酒を飲ませることがある。
特に、お祭りなどの開放的なときに、それはよく行われる。けれども、都心に来れば、たとえふざけていたとしても、そういったことはほとんどなされない。
子どもは、大人のことを、意外によく見ているものだ。
生活費をつぎ込むことによって、必要な教育費などが欠乏し、子どもに十分な教育を与えることができない。ときには借金を背負っていることもあり、そうなると、まともな生活など送れない。
たとえば、ローンを組んで車を買う。これも立派な借金である。
また、ちょっとした買い物を、クレジットカードのリボ払いで済ませる。これも立派な借金である。けれども、これは「都市部の子」の親によく見られることである。
そこで買われたものが、ちょっと高価なスマホであったり、車であったりしたならば、それはスマホないしは車という中毒品を、借金で買ったことと同じだ。そして、その支払いによって教育費が削られ、さらに借金まで背負えば、まともな生活など送れないことになる。
ここで考えねばならない問題というのは、中毒患者の多くは、「自分が中毒患者であるとはまったく思っていない」ということである。つまり、自覚がまったくないのが、中毒患者の問題点である。
そしてまた、中毒になりやすい人は、何に対しても中毒になりやすい。特に、地方の生活から脱け出したいのに逃れられない人というのは、何らかの中毒にかかっていて、それにお金がかかってしまっているため、脱け出すための資金がたまらない(いわゆる「金縛り」にあってしまっている)ケースが圧倒的に多いのである。
ところで、都市部に住んでいる人が購入する「本」や「趣味のもの」というものも、実は「中毒品」であることに変わりはない。
確かにお酒やタバコよりはましであるが、その本質に変わりはない。
ここで、誤解されては困るので、少し説明しておくと、その「本質」とは、「お金の使い方が間違っている」ということである。
既に述べたように、「人間というのは、ブレーキとアクセルが逆についている」と言った長者番付の常連がいる。つまり、「人間というものは、命にかかわるもの(たとえば、医療費)をケチりたがるくせして、命にはまったく関係のない高価なバッグを買ったりする」ということだ。
本来なら、何よりも大事な命というものが最優先されるべきであるのに、そうはならないのである。そのため、「人間というのは、ブレーキとアクセルが逆についている」ということになる。
人間というものは、命に別状のない趣味のほうを優先する性分なのだ。
一体、そのためのお金は、どこから出るのか。それは、労働して得た対価から支出されるのである。
労働は、決して楽なものではないので、「そこから得た貴重なお金だから無駄遣いをしてはいけない」と思う一方で、「好きなことをするために働いているんだから、それに使って何が悪い」「むしろ、好きなものも買えないんだったら、大変な思いをして労働をする意味がない」とばかりに、最後は「俺が稼いだカネなんだから、俺が自由に使って何が悪い!」という論理になる。
そしてこれは、出すべき子どもの教育費を出さずに、自分の中毒品を買ってしまう「地方の子」の親と、そう大きな差はない。
このように、「地方の子」の親も、「都市部の子」の親も、買うものの性向に違いはあれど、こと「お金に対する考え方」や「お金の使い方」という点に関しては、そう大差はないのである。
けれども、「都心の子の親」は、これとは一線を画している。
なぜ「都心の子」の親は、子どもがそれとわかるまで、頻繁に都心のマンションを買うのだろうか。
それは、そのマンションを持っている間に家賃収入を得るためである。
ある程度の家賃収入が得られたら、そのマンションは売却してしまう。このとき、都心のマンションの多くは、よほどのことがない限り価値が下がらないので、購入時と同じ値段で売却できる。
そうなると、その間に得られた家賃は、丸儲けである(より正確には、不動産売買手数料、不動産取得税、固定資産税等を引いたもの)。
けれども、これが地方の物件だと、そうはいかない。なぜなら、地方の不動産は時間とともに値下がりするので、買う時よりも売る時のほうが安くなり、それまでに得た家賃がすべて帳消しにされてしまうからである。
しかも、地方は賃借人が入りにくい。そのうえ、家賃も安い。なので、固定資産税その他の分がマイナスとなってしまう可能性があるからである。
これに対して、都心の物件というのは、賃借人もつきやすく、家賃も高い。なので、固定資産税その他の分を考慮しても損はしない。
また、値下がりもしないだけでなく、うまくいけば値上がりすることもあり、結局、得しかないのである。このように、「都心の子」の親は、常に何らかの形でお金が入るものを、子どもの目から見ても分かるくらいに頻繁に買っている。
私のクライアントで、かなり成功している会社の会長は、「自分の誕生日には、自分のために、気に入ったレストランを買う」ということをしていた。
最初にこの話を聞いたときには、ずいぶんと贅沢な趣味だなあと思ったが、それは違っていた。実はこの会長は、「絶対味覚」の持ち主だったので、そのレストランが自分の所有物である間に、料理の改良などを行い、そのレストランの価値を高め、最終的に、買った値段よりも高値で売っていたのだ。
要は、趣味ということの単なる道楽ではなく、ちゃんと実益が備わっていたのである。
ちなみに、都心のお金持ちは、趣味のための支出は、労働収入からは支出しない。不労所得や一時収入の中から支出するのである。
そして彼らは、「欲しいものを買うために、お小遣いを貯める」の延長で「給与の中からコツコツと貯めて、所定の金額に達したら、使う」などということは、絶対にしないのである。宝石や高級衣服等の贅沢品も、そうである。
ましてやこれらを、借金して買うようなことは、絶対にしない。
もうここまで書けばわかると思うが、自分からお金を取っていくものを、(ときには借金をしてまで)お金を払って買う集団と、自分にお金をもたらしてくれるものをお金で買う集団がいる。前者が「地方の子」と「都市部の子」の親であり、後者が「都心の子」の親である。
繰り返しになるが、これが、先述した「格差社会が逆転しない理由の一つが、ほぼ確実に、ここにある」ということなのだ。
- ああ格差社会[お父さんがよく買うもの]
- 「都心の子」の親の趣味は道楽ではなく、必ず実益が伴っている